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【エッセイ】18歳で吉永小百合さんと

18歳の私は、1968年の3月末、京都の南座の舞台で歌謡ショーを上演中の吉永小百合さんと、客席の最前列に立って握手をしてもらうという光栄に浴しました。私は4月に京都の大学に進学します。そのしばらく前に、西江州の田舎・高島郡マキノ町海津から上洛していたのです。

吉永小百合さんは23歳になったばかりでしたが、世にゆるぎないスターでした。紅白歌合戦にすでに5度も出るなど、歌手としての人気も高かったのです。

歌謡ショーの後半、観客席のファンから花束を受け取るというコーナーがありました。「花束をお持ちの皆様、前へどうぞ」と、男性司会者が誘導すると、わらわらと7,8名の女性が、ステージ前の空間に集まってきて、ステージ先端に歩み出た吉永さんに順に花束を渡し、受け取った小百合さんは、手を差し伸べてひとりひとりに握手をしました。

私は中学生のとき、学校の巡回映画で『伊豆の踊子』などを見て、すっかりファンになっていたので、この南座にも訪れていたのです。この握手のシーンに私は、相当な興奮を覚えたようです。

南座三階のいちばん安い席にいたのですが、それを見た途端私は何も考えず席を立ち、一階に駆け降りると、そのままステージ前まで走り通しました。

しかし、遅かった。小百合さんは最後の花束を受け取った後、たくさんの花束を抱えたまま、すでにステージ奥に向かって歩き始めていました。

私は何の方策も持たないで、小百合さんの後ろ姿に向かって、ただ握手してほしい右手を大きく振ったのでした。すかさず、司会の男性が言いました。

「花束と握手の時間は、もう終わりました」

諦めてくれと言わんばかりの口調でした。その声を聞いて、小百合さんはクルリとステージを振り返ったのです。握手を求めて手を振っている私に、小百合さんは、何のためらいもなくツカツカと近づいてきて、好意ある微笑みを浮かべ握手をしてくれました。私の喜びは、たぶん大学合格より大きいものでした。10日ほど前の大学合格は、ホッとしただけの気分でしたが、握手は純粋な喜びだったのです。

そのとき司会者は、言葉は忘れましたが、いいフォローの言葉を投げかけてくれたはずです。「まあなんと、強引な人もいるもんですねぇ」とか。会場に明るい笑いが漏れ、雰囲気が和んだのを感じました。手を掲げて喜んだ私は、その時まだ、高校の学生服を着ていました。

私の吉永小百合熱は中学時代のもので、高校生になるともう同年の酒井和歌子さんなんかが好みの対象でしたが、このときの小百合さんが取ってくれたとっさの行動のせいで、憧れというものを離れ、私は彼女に畏敬の念を抱くようになりました。それは、半世紀をはるかに超えた今でも変わることがありません。ただしそれは、私の中に秘められた小さな思い出のひとつでした。
 
しかし。
 
東京の銀座で大学時代のクラス会があったとき、矢口幸一氏が突然、元クラスメートたちの前で、私にこう言いました。彼は大学で出会った、最も魅力ある知性の人で、私は彼の言動には、いつも敬意を抱いていました。

「大学に入って最初の英語の時間、クラスの全員が自己紹介やったやろ? あのとき、松ちゃんが何ゆうたか、おれ、覚えてるで」

まさか、そんなことまで記憶にあるとは……。

「ぼくは、まったく覚えていない。何ゆうたの?」

と質問する私に、矢口氏はいつもの淡々とした様子で、こう続けました。

「こうゆうたんや。『ぼくは先日、吉永小百合と握手をしました。それ以来、右手を洗っていません』と」

みんなが爆笑しました。
 
そんなクラス会があってしばらくののち、高校のクラス会が地元の滋賀でありました。宴会の二次会の途中、岸田陽一氏が真向かいに座りに来てくれました。彼とは受験友達として親しく、同じ大学に入ってからも、よくお互いの下宿を行き来していました。就職してから、ずっと東京に住んでいます。

「松本クンとは、入学前、南座に吉永小百合の歌謡コンサートに行ったなぁ」

おや。彼と行ったのか、これも覚えていなかった。

「あんた、吉永小百合と握手するちゅうて、走っていったやろ。花束も持ってないのに。あれ、わし、見てて、ものすご恥ずかしかったわ」と彼は、さも愉快そうに言ったのです。
 
18歳のぼくは、偉かったのかな。うん、そう思うことにしよう。


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