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ひとりずもう

これから載せる文章は2019年7月に書いたものなのですが、最近このnoteに似たようなこと書いていたな…!ということに気づきました。

(似たようなやつはこれ↓)


でも久しぶりに、一年前に書いた文章(↓下記)を見てみたら、最近の私には発見できなかったことも書いてあって「ふむふむ、感心感心」と思ったので、このnoteにも投稿しようと思います。


↓↓↓↓↓↓↓↓




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最近読んで感動した作品について、少し紹介させてください。
とか言いつつ、いつも自分の話になっちゃうんですけど、それも踏まえてお付き合いください(笑)


読んだ作品:
ひとりずもう(漫画) / さくらももこ

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まさか、さくらももこさんのエッセイで泣くとは思っていなかった。(ちびまる子ちゃんを観て笑うことはあったけど泣いたことはなかった気がするから)
そして「漫画家・さくらももこ」と、私の人生を重ね合わせることになるとは思っても見なかった。

ざっくりこの作品の内容を言うと、
あの「ちびまる子ちゃん」のその後、
ももこが漫画家になるまでを描いたエッセイ漫画、なんですけど
(元はエッセイ本から漫画化したみたい)

いやあ、とてもとてもとても良かった。
最近読んだ本や漫画の中で一番胸にぐさっときた。

さくらももこさんの感性がとても好きだなあと思った。

昔、さくらももこさんのエッセイ本を買って読んだ記憶があるけれど、そういえばももこさんのことは「ちびまる子ちゃん」でしか知らないし、どんな経緯で漫画家になったのか、ということも知らなかった。

こんなにも、自分と似たところがある(なんて言ったらおこがましい気もするけれど)とは思わなかった。

私、エッセイがすごく好きなんです。
これは最近気づいたことなんだけれど、芸能人のエッセイ本や、いろんな人のエッセイ漫画を読むのがすごく好きで。
物語を描いた漫画や本も好きで読んだりするけれど、そういえば本屋さんへ行ってふらっとなんとなく立ち寄ってしまうコーナーは「エッセイ本・漫画」で。

私ってなんでエッセイが好きなんだろう、と考えてみたところ、
「こうやって、誰かのなかに自分と似たものを感じることが私は好きなのでは」ということに気がついた。
そして、「人間」というものを知るために、「私」という人間を知るために、エッセイを読んでいるのではないか、と。

エッセイって、いわゆるその人の人生が描かれる。
人が考えていることや思っていることや困っていることや悩みとかを、私は普段の生活でなかなか見つけることができない。
それは自分が人見知りであったり、人とうまくコミュニケーションができなかったりすることにより、いろんな人と多く会話しないことが原因なのだと思う。
本当はその人のことが知りたい、と思っていても、なかなか自分から、会話から、「その人」を引き出したり見つけたりすることができない。

ある意味そんな自分の「欠落」を埋めるように、エッセイ漫画を読んでいたのではないか。

人は、何を考え、どう生きているのか。

それを、エッセイは教えてくれる。

私が一人でぐるぐるうじうじ考えたり、深く悩んで、
孤独になって、絶望したりしていることを

ほかのだれかが、また同じように考えていたりする。

そのとき、「ああ、一人じゃない」なんて思えるのかもしれない。

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この漫画でたくさんたくさん共感することはあったのだけれど、
一番印象に残ったのは、
ももこが学校で作文を褒められた時にとても喜んで帰ってきて、「自分は少女漫画のラブストーリーを描くのはしんどかったけど、エッセイを描くのは得意なんだ。ならばエッセイを漫画にしてみたらどうだろう」と考え、そこで「やっぱり私は漫画家になりたいんだな」と気づくところで。

「少女漫画は大好きだけれど、好きなこととできることは違う場合もある…と私は改めて気づいた」
という言葉も、ももこの経験からとても説得力のあるものになっていた。

このお話を読んで、私も思い出したことがある。

小学校5年生の時に、担任の先生に日記を褒められたことがあったのだ。
私の愛犬が亡くなったときに、その思いを日記に書いた。すると、担任の先生がその日記の文章を、家庭に配るクラス新聞で紹介し、えらく褒めてくれた。

そのときはとても嬉しく、帰ってお父さんお母さんにそれを見せると、とても喜んでくれた。お父さんはそのプリントをでっかくコピーして、仕事場に飾ってくれた。


また中学生のとき、
研修で来ていた若い女の先生が、お別れのときにミサンガをくれたのでお礼にお手紙を書いたことがあった。
その後、その先生からは桜の写真とともに返事がきて、お手紙ありがとう、という言葉の続きに
「松森さんの生活記録を見させてもらったことがあるんだけど、松森さんは文章で自分の気持ちを書くことがとても上手だと思ったよ。」
と書かれていて、とても嬉しかったことを今でも覚えていて。
(松森 注:前回書いたときと少し状況が違いましたね…!こっちの方が正しい記憶だと思います。)

そんな風に、自分の書く文章を褒められたことが何度かあったはずなのに、私はいつからかいつも、「でも私より文章が上手な人なんてたくさんいるし」と思うようになり、自分の文章がとても恥ずかしく思うようになった。
そして、おそらく好きだったはずであろう文章を書くことをしなくなってしまった。

そういえば、全てにおいてそんな思いが付きまとっていることに気づいた。

「私よりすごい人はたくさんいる。私なんていらない存在だ。私なんかいなくても、この世は何食わぬ顔で回るんだ。」

なんて、中二病みたいな考えだけど、そんな思いを私はずっと抱えて生きているんだ、と今気付かされた。

さくらももこさんのすごいところは、自分のダメなところ・できないことを受け入れているところ。
そしてなによりも、「できること」や「大好きなもの」を大切に大切にしているところだ。

もし、ももこさんが「自分が描く少女漫画はあまり評価されないから漫画家は諦めよう」で終わっていたら、ちびまる子ちゃんはもちろん誕生していないし、私がこうやってももこさんのエッセイに勇気付けらることもなかっただろう。


「ひとりずもう」を読んで。
(なんか話がいろいろ飛んじゃったけどまとめ。)

私はももこさんのように「〇〇になりたい!」とか「私がやりたいのはこれなんだ!」と大きく決意したとかではないけれど、

なんだか小さなやりたいことが少しだけ芽を出しはじめた、気がする。

その小さな芽はおそらく今までに何度か顔を出していただろうに、
私が踏みつけてなかったことにしてしまっていた。
そしてその芽は枯れ、根は弱り
その芽がなぜ顔を出したかさえ忘れて、
なんだかぐちゃぐちゃな地面を前に気持ちもどんどんぐちゃぐちゃになってしまっていたのかもしれない。

そう、別にすぐに花を咲かせろって話じゃない。

その小さな芽に水をあげよう、
ただそれだけ。

それなら、わたしにもできるかもしれない。

そんなことを思ったのでした。

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