甘酒美人〝変わらない〟という信念が生んだヒットへの道
〝変わらない〟が価値を生む。
これは「本物の甘酒を売りたい」という思いが生んだ、信念の物語。
成田山に奉納される甘酒がある
千葉県成田山新勝寺(しんしょうじ)
千葉県成田市にある真言宗智山派(しんごんしゅう しゅうちさんは)の大本山です。
初詣のお寺としても有名で、正月三が日だけで毎年約300万人が参拝に訪れます。
その成田山に、毎年奉納されている縁起の良い甘酒があります。
それが、やますの看板商品の一つ「甘酒美人(あまざけびじん)」です。
ここでちょっと豆知識です。
みなさん「甘酒」には、2種類あることをご存知ですか?
そもそも甘酒とは?
大きく2種類あります。
酒粕(さけかす)から作る「酒粕甘酒」
米と麹(こうじ)から作る「米麹甘酒」
アルコール分があるのは、前者の「酒粕甘酒」になります。
やますの「甘酒美人」は、米と麹(こうじ)から作る「米麹甘酒」です。
しかも、大手メーカーが大量生産で作る「加糖タイプ」とは違い、砂糖は一切使っていません。
……にもかかわらず、ちゃんと甘いのです。
それは、お米本来の甘さを製造の中で引き出す〝技術〟の賜物でした。
卓越した発酵の技術。
それを持っているのが、千葉県東金市(とうがねし)にある会社「小川屋味噌店(おがわやみそてん)」です。
170年の伝統が途絶える危機
黒船来航(1853年・嘉永6年)の5年前。
1848年に、千葉県東金市(とうがねし)で生まれた「小川屋味噌店」
しかし、今から10年ほど前、170年の伝統が途絶える危機に立たされていました。
売り上げが右肩下がり、後継者もいなかったのです。
そんな折、やますが「M&A(企業・事業の合併や買収の総称)」に名乗りを挙げました。
この時、やますが大事にした〝3つ〟のこと
熱意と条件が折り合い、小川屋味噌店はやますのグループ会社となりました。
当初の条件通り、従業員はそのまま、拠点も東金(とうがね)のまま。
これまで、小川屋味噌店が培ってきた〝伝統〟はそのままに、事業の立て直しに着手しました。
従業員は継続雇用しますが、後継者不在の会社です。
取締役兼工場長を、やますから出向する必要があります。
房の駅代表・諏訪聖二(せいじ)氏が、この重責を託したのが、石川明男(いしかわ・あきお)でした。
やますにとって大事な人事。
聖二氏の中では、ずっと前から温めていたことだったのです。
真夏の車中で見た〝強い意志〟
2人が出会ったのは2005年。
房の駅2店目となる「草刈房の駅」がオープンしたばかりの頃です。
当時はまだまだ人手が足りず、1人やめられただけでも大きな支障が出る……。
まさにギリギリの状況でした。
そんな中で迎えた真夏の繁忙期。
……社員が2人続けて退職してしまったのです。
どれだけ人手が減ろうが、仕事は待ってくれません。
その日も品出し(店頭に商品を出す)ために、2人で車に乗り込み、店舗に向かいます。
夏の暑さとタイトなスケジュール、仕事は山積み。
いつ心が折れてもおかしくない、そんな苦しい状況です。
車内を流れる重苦しい空気……。
その時でした。
石川がボソッと言ったのです。
聖二氏
「これは彼が入社して1カ月ぐらいの時でした。
まだ仕事にも慣れていない中で、いきなり社員が2人もやめて、
内心参っていたと思います。
そんな時に、ボソッと言ったんです。
「ぼくは大丈夫です」
この言葉に〝自分は簡単にはやめません〟という強い意志を感じました」
その後も大変な状況は続きます。
それでも石川には、その苦しさすらも楽しむような、しなやかさがあったそうです。
この時、聖二氏は決めたのです。
「いつかやますにとって、大きな仕事がやってきた時、石川に託そう」
あれから十数年たち〝その時〟がやってきました。
石川の双肩に託したのが、小川屋味噌店の再建だったのです。
実は、この配置転換、当の石川にとっても渡りに船でした。
商品の誕生に立ち会う面白さ
Q:小川屋味噌店の工場長に命じられた時の気持ちを教えてください。
石川
「もともと房の駅で商品の販売をしていましたが、
ゼロから商品が出来上がることに興味がありました。
自分たちが企画開発して味を決めて製造したものが、
店頭に並ぶのは面白いと思い、ぜひやってみたいと希望しました」
商品がゼロから出来上がる現場。
それが、小川屋味噌店にはありました。
こうして2015年〝取締役工場長・石川 明男〟が、誕生しました。
やらねばならないことは山積みでした。
まず、白羽の矢を立てたのが「甘酒」です。
石川が工場長に就任当時、小川屋味噌店の甘酒の売れ行きはどん底……。
作り方は今と変わらず、砂糖を一切使わない〝無添加〟です。
味噌作りの技術を応用、丁寧に正しく作られた「本物の甘酒」です。
「良いものを作っているのに、なぜ売れないのか?」
その原因は、多くの人が「甘酒」に対して持っている〝味のイメージ〟
それは、房の駅代表・聖二氏も同じだったのです。
……無添加の甘酒は「物足りない」
繰り返しますが、小川屋味噌店の「甘酒」は砂糖を一切使わない〝無添加〟です。
正しく作られた「本物の甘酒」です。
その「本物」を初めて飲んだ時の聖二氏の感想は……。
そうなのです。
確かに美味しいのかもしれない。でも、今まで飲んできた甘酒と比べると、物足りないのです。……原因はハッキリしていました。
これは、某大手メーカーが販売している「甘酒」の成分表です。
砂糖(国内)、酒粕、米麹、食塩/安定剤(増粘多糖類)、酸味料、香料
一方、こちらが小川屋味噌店の「甘酒」の成分表です。
米(千葉県産)、米こうじ、食塩
小川屋味噌店の「甘酒」には、砂糖をはじめ、安定剤や香料などが一切入っていません。その分、大手メーカーの「甘酒」と比べると、どうしても甘味が足りないと感じてしまうのです。
聖二氏を含めた、やます側のスタッフも同じような〝不満〟を、小川屋味噌店の「甘酒」に対して持ちました。
いくら良いものを作っていても、売れなければ意味がない。
そこで、やますから小川屋味噌店・石川へ、3つの改善案を出しました。
甘酒を売るために3つの商品改善
3つの商品改善案。それがこちらです。
これは大手メーカーも取り入れている手法でした。
やます側としても、協議を重ねた上で提出した内容です。
しかし、小川屋味噌店・取締役工場長・石川は「全て却下」したのです。
一体なぜ、石川はやます側の提案を取り入れなかったのか。
それには、現場でなければわからない「理由」がありました。
現場を人事を尽くしている
石川の立場は工場長です。
甘酒の製造工場にも日々、足を運びます。
そこで、作られたばかりの「甘酒」を口にして驚いたのです。
当時の驚きについて石川は、
「正直ビックリしました。
米が持つ本来の甘さを、しっかり引き出すことで、こんなに甘くなるのかと。
これなら砂糖を加える必要がないし、
小川屋の〝発酵技術〟をもっとアピールしたほうが良いと思ったんです」
しっかりとした甘さと風味の良い甘酒を作るカギは「麹菌(こうじきん)」です。
麹菌を微調整することで、風味も少しずつ変わります。
現場の職人たちは、その〝命の麹菌〟を決めるために、何度も何度も試作、食味を繰り返すのです。
そこには、170年以上続く、老舗味噌店の技術とたゆまぬ探究心がありました。
石川は、そんな彼らの姿から〝発酵食品の奥深さ〟を学んだのです。
〝現場は人事を尽くしている。
だからこそ、小川屋の甘酒を変える必要はない〟
やます側が提示した3つの改善案を全て却下した理由がこれでした。
現場は〝最高の甘酒〟を作っている。
その上で〝売り方を考えて欲しい〟と希望したのです。
中身を変えずに売るためにどうすればいいのか?
まず、やますが着手したのが〝パッケージ〟でした。
千葉にまつわる伝説の絵師
砂糖を使わない無添加の甘酒です。
体に優しく、これを飲めば〝美人〟になれる。
……という発想からスタートしました。
そこで目をつけたのが〝浮世絵の祖〟と言われ、江戸時代に活躍した伝説の絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。
実は、菱川師宣の出身は千葉県鋸南町(きょなんまち)だったのです。
そこで、世界的にも有名な代表作「見返り美人」をパッケージにあしらいました。
このパッケージが功を奏したのか、売り場でも目を引くようになりました。
さらに工夫したのが〝夏にも売ること〟です。
江戸の昔、甘酒は暑気払いとして、夏に飲まれていました。
(当時は武士が内職で、甘酒を作っていたこともあったそうです)
いつしかその風習は忘れ去られ、お正月、参拝客に振る舞う場面が目立つようになりました。
……ですが、商売としては通年売れる方が望ましいわけです。
甘酒のイメージを復刻すべく〝夏の飲み物〟としてお客様にオススメしたのです。
もともと甘酒には〝飲む点滴〟というイメージもありました。
夏バテ予防の飲み物として〝美味しい飲み方〟も含めて、丁寧にお客様に紹介しました。
小川屋味噌店の中で、お荷物商品と言われた「甘酒」が少しずつ息を吹き返しました。
そんな折、「甘酒美人」に逆風が吹きました。
それは、甘酒業界全体に、時折強く吹き荒れる〝困った風〟でした……。
大手メーカーからの逆風、そして神風・・・
大手メーカーが作る甘酒。
その多くが、砂糖が入った「加糖タイプの甘酒」です。
この甘酒を売るべく、時折、大物タレントを起用したCMを打ちます。
そのインパクトは凄まじいものがあります。
「甘酒美人」がコツコツと積み上げたイメージを簡単に吹き飛ばします。
甘酒業界では、時折こういった〝突風〟が吹くのです。
その度にお客様の舌と脳裏に〝加糖した甘酒〟のイメージが刷り込まれ、本物の甘酒が隅へと追いやられてしまいます。
そんな時〝一陣の神風〟が吹きました。
風は、同じ千葉県内、成田から届けられました。
成田山に奉納する甘酒として、やますの「甘酒美人」が選ばれたのです。
繰り返しますが、成田山には、成田山新勝寺(しんしょうじ)があります。
毎年初詣には300万人が訪れる、全国的にも有名なお寺です。
「成田山の奉納甘酒に選ばれた」
この影響力は絶大で、大手メーカーからの逆風を弱めてくれました。
ところが、逆風はまだまだ吹き荒れます。
それが新型コロナウィルスの猛威でした……。
新型コロナという逆風の中で見つけた「活路」
「試飲がダメになったのが痛かったです」
当時を思い出し、聖二氏は語ります。
「緊急事態宣言」
「不要不急の外出を禁ず」
「飲食店の営業時間短縮」
「飛散・飛沫を防ぐアクリルボードの設置」
「マスク着用・黙食の推奨」
食品・飲食業界にとって、まさに未曾有の危機です。
しかしこの逆風の中、聖二氏は石川からの〝売り方を考えて欲しい〟という要望を思い出します。
〝売り場強化〟という転換点
現場は最高の甘酒を作ってくれている。
コロナだろうが、なんだろうが〝売り方〟で乗り切るしかない。
夏に売るだけでは足りない。
本物の甘酒を、たくさんのお客さんに知ってもらうため、考え得るありとあらゆる手段を講じました。
当時を振り返り、聖二氏は言います。
「やますの商品で、ここまで売り方を考えたことはありませんでした。
〝売り場の強化〟について、ぼくを含めた社員全員が
真剣に考えるきっかけになったのは間違いありません」
ぼくたちは本物の甘酒を知らなかった
なぜ、聖二氏がここまで、小川屋の甘酒を信じられたのでしょうか。
最初は「この甘酒は物足りない」と言っていたのに……。
聖二氏
「確かに初めて飲んだ時は物足りなかったんです。
でも、何度か飲むうちに、自然な甘みを美味しく思うようになりました。
すると不思議なもので、大手メーカーが作っている加糖タイプの甘酒から
〝不純物〟を感じるようになったんです」
ネットで甘酒の作り方を調べてみてください。
こんな風に出てきます。
「お米を蒸して、麹菌を混ぜ、お米(おかゆ)と水と食塩を入れる」
本来、甘酒の作り方はシンプルです。
どこにも「砂糖」「香料」「安定剤」の文字はありません。
大量生産&流通をさせるため、どんどん「不純物」を足した結果、わたしたちの舌と脳が「これが甘酒なのか」と、思い違いをします。
ところが、聖二氏は、何度か「甘酒美人」を飲むうちに、本物の美味さと甘さに気が付いたのです。
〝うちの工場(小川屋)は本物の甘酒を作っている
ならば、それを売るための努力をすべきだ〟
強い意志と、本気の売り場強化により、「甘酒美人」はコロナという逆風の中でも、少しずつお客様に認知され、売上げを伸ばしていきました。
石川が唯一飲んだ〝変化〟、新生「甘酒美人」
AIの進化をはじめ、
いま世の中は、あらゆるものが〝新しいもの〟へと変化します。
そんな中で、小川屋とやますは〝変わらない〟という道を選びました。
もしあの時、工場長の石川が、やます側が出してきた3つの提案を飲んでいたら、
どうなっていたでしょうか?
一時は売れたかもしれません。でも、今のような息の長い売上げにつながらなかったかもしれません。
〝変わらない〟を守った男がいたからこそ、170年を超える伝統とプライド、なにより〝本物の甘酒〟が守られました。
……ですが、つい先日、2024年12月。
かつて、3つの提案をすべて却下した石川が〝たった一つ認めた変化〟がありました。
それが〝原材料(お米)の切り替え〟でした。
やますからの提案がこちらです。
「国産」から「千葉県産(長狭米)」への切り替え
〝甘酒の美味しさが増す変化だったら
喜んで受け入れますよ〟
笑いながら話す、工場長・石川の声が聞こえてきそうです。
お米まで全て「Made in CHIBA」となった新生「甘酒美人」
日本全国、たくさんの人が〝本物の甘酒の味〟を知る日は近いのかもしれません。
※こちらはやますの公式HP(この記事の取材・構成を担当しました)