「ごめんね」という言葉の薄さ
ふと思った―――
先日友人に、彼女から借りていた容器をそろそろ返してと言われた。
ずっと中に何か入れて返そうと思っていたが、そのまま棚に置いていた物だ。
リマインドされて思い出したが、借りたときからかなり時間は経っていたので、言い訳もしづらく、あ~、そうだよね、ごめん、と謝った。
彼女は「盗られた」と思っていたのだろう。
いいのいいの、あなたなら忘れてないって分かってたから、
とフォローしてくれたが、彼女の表情は終始引きつっていた。
こちら側も本当に申し訳ない気持ちもあり、すぐにでも返したい気持ちを表したが、謝ったところで、彼女の気持ちに変化はない。
結局「ごめん」という言葉は人の感情までもは操れない。
―――そしてまたもう一件。
zoomで話そう、と予定を組んだ相手がいた。
元々ほとんど会話はしたことがなく、対面すらしたことはない。
しかし、仕事の都合上、仲を深めておくべき人だ。
彼は日本にいて、私はカナダにいるので、時差を考慮しながらも
お互い忙しい日々の中、一時間だけ予定を合わせることができた。
日本の23:00、カナダの6:00。
私の判断が甘かった。
起きれると思っていたが、前日は深夜までバイトで、
起きてみればもうすでに9時をまわっていた。
やったわ、と思って携帯を開こうとしたら充電切れ。
はあ、、。
slackを開いて、DMを見てみると、予定を組みなおそうとのメッセージがあった。
準備をして、zoomを開いて待ってくれていたことを想像し、
彼の時間・労力を無駄にしたと思うと、本当に申し訳ない。
自分に落胆しながら、謝罪の趣旨の返信を送った。
―――しかしやはり思った。
どんなにこちらが申し訳なく思っても、相手の感情や行動を埋めることはできないし、
こちらも自分の信用を失うことになる。
ごめんね、という言葉は、言ったところで現状は何も変わらない。
しかし、言わなかったら相手は更に、謝罪の言葉もなかった、と憤怒するだろう。
ごめんねという言葉はやはり薄っぺらい。
結論、失態を起こさないとこが一番。
なんか当然なことを、べらべらと話してしまった。
この投稿も薄いのか。