『アルケミスト』を教えてくれた少年
ハワイになんて興味は無かったはずなのに、この一言ですっかりその気になったわたしは、7カ月後、ホノルル行きの飛行機に搭乗します。
辿り着いたのは、初のアメリカ。
それだけでも緊張するのに、入国審査ではご丁寧にパスポートを1ページずつ細かくチェックされ、違うデスクへと案内されました。
ラオスやタイの入国ビザが貼られたページを繰り返し確認していたので、何となく予想はついていましたが、案の定「なんで東南アジアに何度も渡航してるんだ」と訊かれてしまいました。
「NGOの仕事で滞在していたので――」と答えると、「NGOって何だ?」というまさかの返しが。
それにしても、こういうときの「非政府組織」には怪しさがつきまとうものです。それでも、マウイ島には呼ばれて来たのだという妙な自信のおかげで慌てることはなく、冷静に説明してスーツケースの中身もしっかりと確認してもらい(違法なものは持ち込んでいないよ)、国内線ターミナルへと足早に移動しました。
初めてのマウイ島は、期待通り、日差しがとても強かったです。
ほとんどの観光客が送迎車でホテルまで移動する中、ひとりローカルバスに乗って向かった先は、ラハイナ(Lahaina)。
海沿いに面したこの街は、1845年にカメハメハ3世がホノルルに遷都するまでハワイ王国の首都だったそうで、歴史を感じるのどかな街並みが素敵な観光地でした。
約10日間のひとり旅。
旅をしていると、有難いことに声を掛けて下さる方もいます。店員さんだったり、偶然隣に居合わせた人だったり。どれもこれも他愛のない会話ですが、その一つひとつが、旅の想い出を鮮やかに彩ります。
偶然の出逢いから生まれる偶然の会話で訊かれるFAQは、往々にして「日本人が大好きなオワフ島に行くといいわよ!」という言葉とセットになっていました。
しかし、そんな問いかけに対するわたしの答えは、決まっていてました。
果たして、旅というのは、人をおかしくさせるようです。
・・・いや、旅じゃない。あんな言葉を恥ずかし気もなく堂々と言えたのは、マウイ島の仕業だったようです。
あの島は不思議な魅力に溢れていて、だからなのかは分かりませんが、わたしの言葉を聞いても、可笑しな奴だと笑ったりする人はいませんでした。単純に優しい人々に出逢ったからというわけでもなさそうで、むしろ、共感してくれる人ばかりでした。
「とても素敵な理由ね」(そう言ってくれて、ありがとう)
「それが目的なら、マウイ島で正解だわ」(お、マジか。嬉しい)
「私も同じ理由でここに引っ越して来たのよ!」(上には上がいた)
ラハイナには、お気に入りの場所がありました。
目の前に広がる雄大な海原。天空高く、吸い込まれるような青色を背景にヤシの木はゆらゆらと揺れ、優しい小波の音が響き渡ります。シートを引いて腰を下ろすと、ほのかな芝の香りがくすぐったい、そんな場所。
そこで、ひとりの少年に出逢いました。
少年といっても、本当に少年だったわけではありません。年齢は30代前半だったと思います。ただ、見た目が少年だったんです。そのため、脳の記憶は彼を少年としてインプットしたようです。
名前を聞いて「あなたはピノイ(フィリピン人)なのね」と言ったわたしに、なぜ分かったのかと尋ねる少年。
「元大統領と苗字が同じだったから」という返答に、一瞬ですが、すこしばつが悪そうな表情を見せた気がしました。言わない方がよかったのかな。
数年前に移住して今はレストランで働いていると言う彼の言葉に、政治的な理由で移住したのだろうかと頭に過りましたが(フィリピンではないですがそのようなケースを見たことがあるので)、今思うと、それは考え過ぎだったのかもしれません。
宇宙に繋がるために来たという意味不明な理由に対する彼の返答は、それまでとはまた違った意味で、心を惹きました。
発音が聞き取れなかったわたしは、スペルを教えてもらい、スマホで検索して初めて『アルケミスト ‐ 夢を旅した少年』のことだと知りました。ついでに、世界的に、大変、非常に有名な小説だということも。
彼曰く、わたしたちの会話が、この小説を思い出させたそうです。
「『星の王子様』みたいなものだよ。きっと好きだろうから、読んでみるといいよ」
帰国してすぐ、『アルケミスト』はやって来ました。
外国書籍のため少々読み難い印象も受けましたが、読む度に感じ方が変わる深い智慧と人生の輝きが詰まった物語でした。
あれから数年が経ち――。
ニュースを見ながら思うのは、彼は無事だろうか、ということ。
他にも、「ひとり旅行なんて勇気があるわね、羨ましい」と言ってくれたベトナム人の女性や、レストランで隣のテーブルに居合わせ、話し掛けてくれたおばさまはどうしているだろう。
動物たちのことも、気になります。
そして今日も、本棚から『アルケミスト』を取り出し、パラパラとページをめくりながら、あの旅を小説の物語へと昇華させた少年との会話を思い出します。
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