優しい性。
表現かぁ。
私の場合の表現は文章を書くこと。(最近書いてないけどさ)
歌を歌う事。
そして性について。
私は幼少のころから実にスケベであった。
隣人の家で成人誌が目に入り、そこから目が離せなくなり
理由を作ってはその家に通って こっそり読んでいた。
そして何かの拍子で 自慰を覚えた。
マッサージ器で自分で刺激を加えて快感を覚えると 何とも言えない幸福感に包まれた。体中の力が抜けた。
でも、、その行為にいつも背徳感が付きまとっていた。
「きっとこんなことを毎日している私はおかしな大人になる」
自分で自分に呪いをかけていた。
くそまじめできれいでもないただのデブの私に恋愛は程遠かった。
片っ端から惚れてみても それは単に自分を好きになれないゆえの誰かに穴埋めをしてもらいたいという代償行為だったんだと今だからわかる。なんとも情けない。。。
結局「優しい性」「満たされる性」には手が届かなかった。
そんな中で友達からある男性を紹介された。
自由に生きていて 誰のものにもならないよ。って公言している人だった。
自分とのセックスの経験を相手に書かせて大っぴらに表現しているような人だった。
「気持ち悪い」
第一印象はこれだった。確かそのサイトを通報したような気がする(笑)
でも、会ってみないといけない気がしてコンタクトを取り。実際に逢ってした。
体験談のようなことはなかった。けれど、男の人ってこんなに優しくそして力強く安心できるのかもしれないと初めて感じた。
数々の男性とやり取りしながら 昨年 14歳年下の今の彼に出会った。
最初は14個も年下だし、お金ないし、気まぐれだし、単純にセフレなんだろうと思っていた。
でも、彼との時間はいつも優しく。
私は肥満体形だしでかいし 美人でもない。このため自分の体形をもっと見栄え良くしようといつも考えては失敗してへこんでの繰り返しをしていた。そんな私に「美陽ちゃんのそのままの 体が好きなんだよ。美陽ちゃんが好きなんだよ。」と言い 私の上でつながったまま寝てしまう彼。
本当の気持ちはどこにあるのか今でもわからない。都合のいい女なのか。単純にセフレなのか。でも、、そんなの良くないけどまぁ、いいかとおもえるようになった。
彼は同じ時間を過ごすとき ひたすら抱きしめてくれている。重いから腕しびれるのではないかと思ってもひたすら。今までの人たちにはされたことのないさりげない優しさ。
私の中でどんどん「私は私で良いのだ」という、「この身体だからこそ私なのだ」という気持ちが深まっていく。自分のちょっとした表情を「きれいだ」って思うくらい 不思議なのだが自分を好きになっていく。
彼を想う時 この歌がいつも流れる。
私がこの大きな体を脱ぎ捨てて 天に還るとき きっとこの歌のように 私のことを愛してくれた彼の事を思いながら還るんだろう。
愛し 愛された記憶をたくさん たくさんお土産にして。
お互いの息遣いやぬくもりをしっかり感じつつ。
優しい性。それはバランスの悪い不倫という場所にあったのだけれど アラフィフという高齢になってから知りえたという意味は計り知れない。
世の中のルールからは ジャッジされまくりな私の性。
だけれどこれがまぎれもない私。
これでいいじゃないか。