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【随想】 二足歩行のはじまり

 会社の浴場の大きな湯船に浸かりながら、それほど長くもない己の脚を「じーっ」と見る。指が短く親指が他の指と平行に並んでいるヒトの足は、二足歩行に適した形状だといわれている。
 お湯の中で脚を動かしてみる。足先に抵抗を感じる。幼い頃、“バタ足”から泳ぎを教わったことを思い出す。老生のような“幅広ばんびろ”な足は水泳に向いてそうだが、泳ぎは一向に習得できなかった。だから、学校の水泳の授業は苦痛な時間のひとつであった。
 ヒトは不思議な生き物だ。
 なぜなら、陸上動物のくせに駆けっこでは世界陸上の金メダリストも“鈍足”レベルであるのに、泳ぎは妙に巧みであるからだ。クロールで泳ぐイヌなど見たことない。もしかしたらヒトの本領が発揮されるのは陸上ではなく水中ではないかと、足鰭のようなバンビロの我が足を見て思うのであった。
 自然界の生存競争において鈍足は大いに不利だとされる。モタモタしていては敵から逃げることも、獲物を捕まえることも満足に出来ないからだ。足の速い遅いはまさに死活問題。なので、ヒトの祖先はコワい肉食獣に襲われると一目散に水中へ逃げ込んだのではないかと想像してしまうのだ。
 現代では我が物顔で地上の隅々にまで拡散しているヒトだが、実はそれほど陸上生活に適応していないのではないか。ふと、そんなことを考えてしてしまうのだ。
 陸上移動には二足歩行より四足歩行の方が圧倒的に安定性がある。何もしていない自転車は「バタン!!」と倒れてしまう。自転車よりもオート三輪が、オート三輪よりも普通自動車の方が安定しているのと同じ道理で、二足歩行は不安定である。
 地球上に暮らしている限り、常に“重力”に拘束される。この呪縛からは誰も逃れられない。現代社会で最も多く発生している労働災害が“転倒”なのも、二足歩行の不安定さを物語る何よりの証拠であろう。ヒトは二足歩行を始めた瞬間から、“こける”運命を背負ってしまったのだ。途轍もなく重い運命を。それでもヒトは“不安定さ”を選択した、と言うより、選択できる環境に棲息していたと言えようか。そこは二足歩行でも“こける”心配の無い、つまり、重力という呪縛から解放された特殊な環境であったと考えられる。だからと言って、「ヒトの発生・進化は無重力の宇宙船内でおこなわれた」と論ずるのは、いささか荒唐無稽すぎるだろうか。
 ヒトの進化について、現時点では「ヒトとチンパンジーが共通の祖先から分岐したのは900万年前〜800万年前」というのが定説となっている。現在確認されている最古の人骨化石は、2001年に中央アフリカのジュラブ砂漠で発見された700万年前〜600万年前のものとされている。この身長150センチメートル(推定)の人骨化石は、「トゥーマイ」(現地語で「生命の希望」の意)の愛称で呼ばれる初期猿人サヘラントロプス(Sahelanthropus)のものだ。
 トューマイ発見当時、「ヒトの起源は東アフリカに有り」という「イースト・サイド・ストーリー」説がアカデミズムの大勢を占めていた。そんな時代に、最古の人骨化石が中央アフリカで出土したもんだから、学界の驚きは相当なものだったようだ。
 だが、それ以上に驚くべきは、サヘラントロプスが既に“直立二足歩行”を獲得していたことだった。もっとも“直立二足歩行”はヒトであることの第一条件とされているのだから、直立二足歩行が出来ぬうちはヒトとは認定されないのは道理と言えば道理なのだが……。
 直立二足歩行を獲得したヒトとナックル・ウォーキングをするチンパンジーの身体構造を比較してみると、そこには劇的なる肉体改造の跡がある。いったいヒト誕生前夜に何が起こったのだろうか。
 ヒトが属する霊長類の起源は古く、最古の霊長類は白亜紀末(6,600万年前)の北米大陸に棲息していたプレシアダピス(Plesiadapis)類といわれている。えっ、北米大陸って、霊長類発祥の地はアフリカ大陸じゃないの? まぁ、それは兎も角、最古の霊長類・プレシアダピス類はネズミに似た姿をしており、発掘された足首の骨から木に登って生活していたと考えられている。
 老生、以前、ドブネズミが垂直の壁をスルスルと登るのを見たことがあるが、あの登攀力は大したもんだ。華厳の滝をよじ登るウナギにも匹敵しよう。
 白亜紀(1億4,500万年前〜6,600万年前)といえば、映画『ドラえもん のび太の恐竜』(1980年作品)でも知られているように恐竜の全盛時代。強力な恐竜から逃れるため、プレシアダピス類は夜行性で昆虫を捕食していたと考えられている。闇に紛れて獲物を狙うなんざぁ、まさに“ねずみ小僧”の所業に他ならねえ。そんな夜の生活を続けながら、初期霊長類は森林地帯の環境に適応していった。つまり、手足の指は木の枝を掴みやすいよう“拇指対向性”(親指が他の指と向き合っている)となり、木々の間を素早く移動できるよう両眼が顔の前面で並び“立体視”が可能となったのだ。
 白亜紀を含む中生代(2億5,000万年前〜6,600万年前)について、『図解 人類の進化』(講談社)《恐竜が暮らしていた中生代は、地球は今よりももっと暖かったと考えられています。高緯度地方では15℃も平均気温が高く、南極や北極にも今日のような大きな氷河は存在しませんでした》としている。中生代、恐竜たちは「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば〜♪」と、我が世の春爛漫を謳歌していたのだ。
 ちなみに、「氷河期」とは「地球上に氷床が存在する時期」と定義されている。この定義に従えば、南極や北極や、グリーンランドなどに万年雪・万年氷のある現代は未だ氷河期ということになる。現代の氷河期は“就職活動”だけの話ではなかったのだ。
 さて、中生代における氷床になれなかった水の身の置き所を考えみれば、おそらく液体として陸海問わず地球全体を「ピッチピッチ、チャップチャップ」と潤していたと推測できる。現在のアマゾン川流域と似たようなジャングルが、地上の至る所に存在していたのではなかろうか。木登りを得手とする初期霊長類は、地表を覆うジャングル伝いに世界各地に拡散したとは考えられる。
 ところで、目の前に拡がる豊かな水を見て、初期霊長類が大人しく樹上生活を続けていただろうか。そんなことはあるまい。なぜなら、寒い季節でも露天風呂に浸かるサルもいるくらいだ。温暖な中生代で水界に進出するグループがいても不思議ではない。ヒト(特に日本人)は毎日のようにお風呂に入る。一日でも入浴を怠れば、周囲から“汚い物”を見るかのような視線を浴びなければならない。三日も空けたら問題外。さらに温泉宿に泊まれば、日に何度もお風呂に浸かりに行く御仁もいらっしゃる。これらの事例から察するに、我々霊長類には水及び温水に浸かるのを好む習性があるように思えてならない。
 老生、木から降りた霊長類は樹上生活で器用になった前肢の指先を使って水辺の泥中に潜む生物(貝類や環形動物など)を採餌していたと推理している。やがて、水辺で美味しそうに餌を食べている仲間の様子を樹上から見ていた別のグループも、「我らも旨い餌にありつかん」とばかりにドヤドヤと水界に進出してきたのではあるまいか。まさに「百匹目の猿現象( Hundredth Monkey Effect)」じゃ。
 水辺の餌場に群がる集団が増えれば、その分食糧獲得競争が激化するのは古今東西世の習い。なので、ヒトの祖先は餌を求め、より深場へと行動範囲を拡げていったのではないか。まるで呑兵衛が新規の店を開拓するかのように……。
 ここで問題が発生する。四つ足の体勢では、深場での呼吸が困難となるのだ。これは生き物にとって大問題じゃ。餌は食べずとも“高楊枝”で済ますことも出来ようが、呼吸はそうはいかん。呼吸が出来ねば窒息死してしまう。だから、溺死を回避するには水面から顔を出すしか方策はない。水底の餌を探るために潜水し、呼吸のために水面から顔を出す……この動作を繰り返しているうち、ヒトの祖先の上体は“直立状態”になっていったのではないか。
 ヒトは水棲霊長類だ。
 しかし、ここで新たな問題が発生する。上体が直立まで起き上がると、脊椎の先にある尾が地面に当たり、何かと具合が悪くなるのだ。
 この地球に棲息している生物は数多居るが、なぜヒトには尾が無いのか。「それは直立二足歩行を始めたからサ」と常識論が返ってきそうだが、ナックル・ウォーキングをするゴリラやチンパンジーにも尾は無い。オタマジャクシ時代には尾の有るカエルも、陸上生活に移行した途端、尾は失くなってしまう。だから、「尾の消失は“直立”に起因するもの」とは簡単に言い切れない。他の要因があったに違いない。それは何か。
 まさか、柳田国男翁の『日本の昔話』(新潮社)が「猿の尾はなぜ短い」の項で紹介しているように、クマに騙されて長い尻尾(三十三尋あったそうな)が根元から切れてしまったわけでもあるまい。
 そこで仮説を立ててみた。
 それは、「歩行時、肩の位置が腰よりも高くなる生き物は尾が失くなる」というものだ。長い尾を維持するには、歩行時の肩の高さが腰と同じか、それ以下でなければならないと思うのだ。
 すなわち、謙虚な(=腰の低い)生き物ほど尾が短くなるという道理じゃ。現生のヒトの尾骨の短さから逆算してゆけば、“直立”を始めたばかりの初期のヒトの腰は、既にかなり低い位置にあったと推測される。まるでカエルのような姿勢(俗に言う“ヤンキー座り”)で、水面から顔を出していたのではないか。
 こんな話をすると、「上体を起こすよりも先に首を伸ばすヒトがいてもいいのではないか」と仰っしゃる方が居るやも知れん。「キリンのように進化の過程で長い首を持ったヒトがいてもいいのではないか」という問いに対し、全面否定は出来ない。
 ところで、「首の長いヒト」といえば、妖怪・ろくろっ首が思い浮かぶ。もしかしたら、ろくろっ首の正体は、水面から顔を出すために首を伸ばしたヒトの末裔だったのではないか。ネス湖のネッシーの正体について「ネッシー=首の長い鰭脚類ききゃくるい」説というものがあるように……。
 まぁ、そんな妖怪談義は兎も角、ヒトの祖先を論じるとき、常に取り沙汰されるのは「なぜ、プレ・直立二足歩行の人骨化石が見つからないのか」という疑問である。つまり、四足歩行と直立二足歩行を繋ぐ化石が発見されないミッシング・リンク(missing link)の問題だ。
 この問題について、『絶滅の人類史』(NHK出版)《おそらく四足歩行から直立二足歩行への進化は急速に進んだため、化石に残らなかったのだ》と述べている。たしかに、この世に存在したすべての生物が化石となって発見されるわけではない。もし、すべての骨が発掘されていたら、今ごろ世界の博物館はパンク状態に陥っているだろう。だが、実際にはそんなことにはなっていない。なぜなら、ある骨は野獣に噛み砕かれ、ある骨は分解され土へと還り、ある骨は水に流され四散してしまったりと、発見されない骨の方が圧倒的に多いからだ。なので、直立二足歩行も極々小集団の中から起こり、極々数世代のうちに完成したと考えられるのだ。
 だいぶ話が脇道に逸れてしまったが、最前の“幅広ばんびろ”な足に関する疑問のことだが、これはヒトの水中活動に伴って獲得した形質だったに違いない。クジラ類は水中生活に適応して尾を鰭のように変化させたが、ヒトは直立二足歩行によって鰭に成り得る尾を消失させてしまった。そこで困ったヒトは、苦肉の策で水を蹴ることで推力を生み出す鰭のような“足”(俗にいう幅広な足)を獲得することにした。そんな結論に達したのであった。だから、もしヒトがさらに長く水中生活を続けていたら、我々の足はもっと大きく幅広な板状に変化したと考えることが出来るのだ。

【蛇足な話】
 水に浸かりながらの行動には、常に「呼吸が出来なくなる」(=溺死する)という恐怖がつきまとう。その恐怖に打ち勝てねば、いつまで経っても“金槌”のままである。ブクブクブク……。
 呼吸をするには、呼吸器官が大気と接しなければならない。鰓を持たないヒトは、水中で呼吸は出来ない。大気との接点を保つには、水に浮くことが求められる。水に浮くには大きな“浮力”を得なければならない。そのためには、どうすれば良いのか。
 それには、古代ギリシアの数学者・アルキメデスが発見した「物体が押しのけたのと同量の液体の重さだけ、その物体は軽くなる」という原理に従って、身体を大きくするのが手っ取り早い。早い話、恰幅のいいヒトになるのだ。
 ヒトには、食べる量が多いと身体のいずれかの箇所に脂肪として貯蔵しようと働く“倹約型遺伝子”があるという。この遺伝子の作用について、『気候文明史』(日本経済新聞出版社)《一般に人間が過食するとすぐ太り、身体の中に脂肪がついてしまうのは、栄養分の蓄え方が寒い気候の時代に適合するようにできているためだ》としている。つまり、身に纏った脂肪の層は寒冷な気候を乗り切るための“断熱材”の役割を果たしているというのだ。
 だが、そのような話を聞くと、老生の如き偏屈者は「じゃあ、南の島の住人が恰幅のいいのはナニユエじゃ」と口を尖らせる相違ない。たしかに 大相撲の世界を見てもハワイ出身の力士には巨漢が多い。
 老生が小学生の頃は、南の島の人たちが太っているのは食糧となる果実が自然とたわわに成っているので、血眼になって働かずとも食べ物に不自由しない……つまり、運動不足による肥満が原因だと信じられていた。
 この名誉毀損とも取れる説に対し、『[新装版] アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(SBクリエイティブ)は、「南の島の住人=ナマケモノ」説をまったくの濡れ衣、冤罪だとしている。どうやら、南の島の住人の恰幅のよさは、遠く海を渡ってきた彼らの祖先に起因する形質らしいのだ。同書によれば、《海の上は陸上よりも気温が低く、水しぶきもかかりますし、風があるとさらに体感温度は低くなります。そのような環境に耐えられるように、熱帯であるにもかかわらず、寒冷地適応をしたらしいのです》なのだそうだ。
 そうは仰っても、「脂肪層=断熱材」説は結果論のように思えてならない。ヒトは寒冷な気候に適応するために脂肪の層を身に纏ったのではなく、もともと浮力を得るための脂肪があったので寒冷気候を耐え抜くことが出来たのだ、と。
 倹約型遺伝子がヒトに及ぼすメカニズム(脂肪を蓄える作用)は、水中で浮力を必要としたプレ・直立二足歩行の時代に獲得したと思えてならない。
 そして推理する。重力を相殺する力(=浮力)が支配する水中で、ヒトは直立二足歩行を完成させたのだ、と。

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