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【随想】 失われつつある誇り

 近頃の日本人は卑屈である。
 己の主張を世界に向けて堂々と言えないでいる(ように見えて仕方がない)。まるで何かに遠慮するかのように……。

 その原因のひとつに、江戸時代末期のペリー来航からはじまる欧米社会に対する劣等感が挙げられよう。
 そして、決定打は先の大戦で敗戦国となった際の喪失感であったに違いない。
 敗戦国は戦勝国によって体制変更を余儀なくされる。
 戦後の日本人は戦勝国にヘツラウが如く自国が永き歳月を費やし育んできた文化を悉く貶めてきた。
 その最たるものは、弥生の時代から連綿と続いてきた米食文化を、西欧のパン食に劣った“悪習”だと唱え出したことだ。
「だから、いくさにだけは決して負けちゃいけませんぜ」
 という日本の元首相の言葉には、ズシリとした実感が感じ取れる。
 けれど、日本は歴史的にみても、欧米に劣った未開のクニではけっしてない。
 例えば、江戸時代に花開いた日本独自の思想は、西欧の思想と比較しても見劣りするものではない。むしろ、現代に通ずるほど先進的なものが少なくない。限定された国交しか持ち得なかった国としては、この事実は驚異的な奇跡である。もともと日本人は向学心と探究心に富んだ国民だったのだ。
 なので、幕末維新の時代、日本が欧米諸国に劣っていたのは軍事力だけだったと思えてならない。同時期、西欧世界は戦乱に明け暮れていたのだから、軍事関連の諸事が研鑽されるのは理の当然。それに対し、日本国内は、200年近く戦乱を体験していなかったのだから、軍事技術が発展しなかったのは致し方のないことだ。
 このことから、日本人は戦争のない社会を構築する才に長けた民族だといえるのではないか。
 だから、現代日本人は古代より受け継がれてきた自国の文化にもっと誇りをもって良いのだ。
 そのために、老婆心ながら歴史を学ぶことをお薦めする。
 学生の間には、古くより歴史は“暗記もの”という考えが根強くある。しかし、社会に出て自分を取り囲む世界がグンと拡張すると、歴史は単なる暗記だけの学問ではなく、現代を生き抜くための指標を知るための学問であることに気付くようになる。 
 
 日本人よ、自国の歴史を学べ!
 背筋を伸ばし、胸を張れ! 
 けっして卑下すること無かれ!

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