【随想】 価値観の相違の果て
民族同士の争いは“価値観”の違いによって引き起こされる。ホンの些細な違いでも、紛争を何千年も続けさせる“力”をもっている。不気味な力を。
そして、一度でも不信感を抱いた者同士は、相互理解を毛嫌いする。“歩み寄り”というモノを拒絶するのダ。
これは世界規模の現象ではない。狭いクニの中でも起こっている。例えば、“おらがムラ”と“隣のムラ”とでは“しきたり”が異なっているではないか。
故郷を失ったバルタン星人は安住の地を求めていた。
それだけだった。はじめのうちは──。
故障した宇宙船の修理に必要なダイオードを調達するため科学センターを占拠したバルタン星人に、科特隊のハヤタ隊員(=ウルトラマン)は問う。
「警備員や防衛隊の人々の生命を奪ったのは?」
「生命? わからない」
突然、自分たちの知らない価値観を突き付けられ、バルタン星人は大いに困惑したに違いない。それは、ヒトが働きアリの価値観を理解できないコトと似ているのではあるまいか。
そんな地球人の価値観に困惑したバルタン星人を地球から追っ払ったウルトラマンは、本当に正義の味方なのだろうか?
永年、老生の脳髄に燻り続けている疑問である。
地球から撤退を余儀なくされたバルタン星人からすれば、
「バルタン星人と地球人の問題に、なんでM78星雲の宇宙人(=ウルトラマン)がしゃしゃり出てくるんだ!」
と言いたくもなるだろう。
現在、「近い将来、地球外知的生命体との接触がはじまる」と噂されている。
“宇宙規模の価値観”との接触。
それは“ペリー来航”の比ではないだろう。まさに“未知との遭遇”。各国の要人たちが右往左往する姿が目に浮かぶ。そのとき、「地球のヒトビトはどう対応すべきなのか」が問われる。
かつては「この世のすべて」と思われていた地球も、大宇宙から見たら芥子粒以下の微小な存在であるコトが明らかにされている。
“小さき球体”に住まう者同士でもお互いの“価値観”を理解し合えていない。
それが、現在の地球人の知的レベルの限界である。そんな哀しき知的レベルの地球人が、大宇宙を渡ってきた地球外知的生命体の“価値観”を果たして理解できるであろうか。
「わたし」の“常識”が、「あなた」の“常識”と合致する保証はドコにもない。
ハヤタ隊員とバルタン星人との問答が、現実のモノとなる日が、もう目の前に来ているのダ。