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伝統的若狭塗箸『貝香』の音

鳥の声があちらこちらから聴こえるようになり、小浜の陽の色も冬から春に変わってきた。北陸の冬は、1日の中でころころと天気が変わる。一年目で慣れないぼくは、天気につられるようにずっとソワソワしていたような気がする。

そんな冬の日、なんだか古井さんに会いたくなって古井さんに連絡。こんなにふらっと訪れるなんて失礼かとドキドキしていたけれど、古井さんは快諾してくれた。
工房の扉を開けると、いつも通りの一定のリズムが聴こえる。古井さんは一度に10本以上の箸を持って塗る。この日は、漆を塗っていた。漆は、ほんのり甘みのある独特の香りがする。

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漆を塗りやすいよう、箸は温められて塗りを重ねられる

この日塗っていたのは、『貝香』という箸。『貝香』は、四面のうち二面に、螺鈿(らでん)があしらわれ、漆の重ね塗りによって仕上げられた箸。螺鈿とは、貝殻の内側にある虹色光沢の部分を切り出し、薄い板状の素材として装飾したもの。この螺鈿だが、昔はボタンなどにも使われることもあり、国内でも入手することができたそうだが、今は、ほとんどが朝鮮や韓国のものだそうだ。

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しっかり五十板に刺された箸は、室(ムロ)にて逆さで乾かされる

古井さんが手にしている箸には、螺鈿をつけた部分と木地の部分に1mmくらいの段差がある。たかが1mmだが、この間を全て漆で塗り重ねていく。塗っては乾かし、塗っては乾かし、『貝香』はだいたい13回塗るそうだ。そして、螺鈿が隠れるまで塗ったところで削り出す。その削り出しも、薄い螺鈿の表面を見せる程度を削る。ちょっとでも厚く削ってしまったら、螺鈿の輝きがなくなってしまう。一膳の若狭塗箸は、そうしてやっと出来上がる。だいたい完成まで四ヶ月はかかるそうだ。

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均一に、均一に、何度も塗り重ねられる

作業中、ぼくが「伝統工芸士の技ですね」と声をかけた。
すると古井さんは「自分では、“伝統工芸士”なんて言わないよ。自己紹介の時も名刺にも書いてない。肩書きで仕事をするわけじゃないから。わたしは『若狭塗の箸屋』それだけ」とさらっと言った。

ぼくが急に会いたくなったのは、テレビをつけても不安になるようなニュースばかりでソワソワする自分に、この安心する音を聴かせたかったかもしれない。

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ぼくの愛用する『貝香』。どんな食事にも使いやすくて口当たりが優しい

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photo & text 堀越一孝

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