*脚本の本棚*人工魂

「人工魂」(じんこうこん)
 作・忍守シン

登場人物
ハカセ・・・脳を研究する老科学者
助手・・・・助手として居ついた女

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警報が鳴り響く

助手、慌てて登場

助手 「ハカセ、ハカセ!どこです?どこにいらっしゃるんです?ハカセ!」

ハカセ、登場。落ち着き払っている

ハカセ 「どうした。なに騒いでおる」

助手 「ハカセ!一体なんです?何なんですかこの音?」

ハカセ 「ああ?これは警報だ」

助手 「わかりますよ音の雰囲気で。一体なんの警報です?」

ハカセ 「まあちょっとした、セコムみたいなもんでな」

助手 「セコム?」

ハカセ 「してますか?なんつってな」

助手 「カビの生えた冗談はやめて下さい。え、ということは、泥棒か何か入ったってことですか」

ハカセ 「そういうことになるな。まあ落ち着きたまえ」

助手 「落ち着いてなんかいられませんよ。ここ、大事な研究施設でしょう?何か盗まれたらどうするんですか」

ハカセ 「冷静になりたまえ。君、一体、何が盗まれると言うんだ」

助手 「…わかりません。わかりませんが、何か研究に関わる重要な機密事項を」

ハカセ 「ここではそんな重要な機密事項を扱っておらんよ」

助手 「それでも、何か失くなると困るようなものが」

ハカセ 「大事なものは全てコンピュータに入っておる。たとえPCが盗まれたとしても、重要なデータはローカルのハードディスクには保存せず、遠く離れたデータセンタのストレージの中にあるんだ。心配無用だ」

助手 「しかしですね」

ハカセ 「ああ、いいかげんうるさいな。もう止めるか」

ハカセ、持っていたタブレット端末を操作する。警報が鳴り止む

ハカセ 「やれやれ」

助手 「あの、ハカセ。侵入者、まだこの家の中にいるのでは」

ハカセ 「大丈夫だろ。今の警報を聞いて、ほうほうの体(てい)で逃げ出しとるよ」

助手 「何が原因で警報が鳴ったんですかね」

ハカセ 「そんなこと知ってどうする」

助手 「もし窓から誰か侵入したとしたら、ガラス割られてるかもしれません」

ハカセ 「(驚き)ガラスの破片を踏んで怪我するかもしれんな!」

助手 「それはどうでもよくて。窓を直してもう一度警報を仕掛け直さないと」

ハカセ 「慌てなさんな。1分1秒を争うような話ではない。明日、明るくなってから」

助手 「夜の間、危ないじゃないですか。嫌ですよ」

ハカセ 「そうか。怖いか。じゃあすぐに直すとするか」

助手 「お願いします。私、どこが破られたか見てきます(走り出そうとする)」

ハカセ 「待ちたまえ。ちゃんとわかっておる」

助手 「え?」

ハカセ 「どこのセンサーが反応したか、ちゃんとモニターされておる」

ハカセ、タブレット端末を操作し、画面を助手に見せる

助手 「…そうなんですか」

ハカセ 「どこかの窓が開けられたら、センサーが反応してこの端末に場所が表示される。…ふーん、ここか」

助手 「(不安げに)どこなんですか」

ハカセ 「どうやらトイレの窓らしい」

助手 「(ホッとして)そうですか。では、見てきます」

ハカセ 「おいおい、怖いんじゃないのか」

助手 「寝てる間に侵入されるのは嫌ですけど、今なら(中指を立てて)大丈夫です」

ハカセ 「…そうか。頼もしいな」

助手 「では」

ハカセ 「ああ。気をつけてな」

助手、走り去る

ハカセ、助手が去ったのを確認して、室内にあるキャビネットを開ける

中の物を指差確認し、そこから1本の磁気テープを取り出す

ハカセ、しばし磁気テープを感慨深げに眺める

やがて助手が戻ってくる。ハカセ、急いで磁気テープをキャビネットの中に戻し、何事も無かったかのように

ハカセ 「どうだった?」

助手 「はあ、誰もいませんでした。あ、窓が開いていたので、閉めときました」

ハカセ 「ガラスは割られてなかったのか?」

助手 「はい。鍵をかけ忘れたんだと思います」

ハカセ 「そうか。じゃあ、安心してセキュリティ・システムを再開できるな」

ハカセ、タブレット端末を操作

ハカセ 「これでよし、と」

助手 「あの、ハカセ」

ハカセ 「なんじゃ」

助手 「センサーって、どこに仕掛けられてるんですか」

ハカセ 「まあ、人が出入りしそうな所にはだいたい取り付けてあるな。窓のサッシとかドアとか」

助手 「大事なものが入っている所は?机の引き出しとか」

ハカセ 「全部じゃないが、一部付けている所もある。なにしろ重要な研究をやっておるからな」

助手 「さっき、重要な機密事項は扱ってないと」

ハカセ 「機密事項ではないが、失くしたくないものはある。娘の写真とかな」

助手 「娘さん、いらしたんですか」

ハカセ 「ああ、自慢の娘だ。20年前に、病気で死んだがな」

助手 「…それはどうも、…すいません」

ハカセ 「なに、謝ることはない。わしと妻の間にはなかなか子供ができなくてな。不妊治療までして、やっと授かった娘だったんだが、小学校にも上がる前にあの世に逝っちまいやがった。おかげで妻には責められたよ。わしが娘の病気に何の役にも立たない脳の研究なんかにかまけておって、そんなんで父親と言えるのか、なんてな」

助手 「厳しい奥さんですね」

ハカセ 「まあ仕方があるまい。娘を亡くしたショックが大きかったんだろ」

助手 「奥さんは今どうされてるんです」

ハカセ 「離婚したよ。娘が死んだ翌年。それ以来、あいつとは会ってないな」

助手 「立ち入ったことを伺ってすいません」

ハカセ 「いや気にするな。…でもなんか妙な感じだな。娘や妻のことを人に話すなんてことは滅多に無かったのに」

助手 「そうなんですか」

ハカセ 「娘が生きていれば丁度君と同じくらいの年代だ。だから話してみたくなったのかもな」

助手 「はあ」

ハカセ 「一週間前、君がいきなり雇ってくれって現れた時、なんだか娘が帰って来たような気がしてね」

助手 「だから、素性のわからない私を雇ってくださったんですか」

ハカセ 「まあそんなところだ。…おかしなもんだな。成長した娘の姿なんて頭の中で想像するしか出来ないのに、なんで君を見て娘みたいだなんて思ったんだろうな」

助手 「…若い女を見ると、みんなにそう言って口説いてるんじゃないんですか」

ハカセ 「(笑って)バレたか」

助手 「もう。ハカセ」

ハカセ 「冗談だよ。今日はもう遅いから、君もそろそろ休みたまえ」

助手 「はい」

助手、机まわりを整理しながら

助手 「ハカセ。明日は燃えないゴミの日なんで、紙とかは捨てないで下さいよ」

ハカセ 「そうか。燃えるゴミはいつだったかな」

助手 「あさってです。その次が資源ゴミ。紙の資料は資源ゴミに回して下さい」

ハカセ 「はいはい。(小声で)うるさい小姑が来ちまったな」

助手 「何か言いました?」

ハカセ 「いや、なにも」

助手 「ハカセ」

ハカセ 「なんじゃ」

助手 「(資料を見ながら)ハカセの研究、どんなことをやってるんですか」

ハカセ 「お。入所一週間目にしてやっと興味を持ったか」

助手 「皮肉はやめて下さい」

ハカセ 「皮肉じゃないぞ。わしの腹は贅肉」

助手 「オヤジギャグもやめて下さい」

ハカセ 「オヤジギャグなんぞ言っとらん」

助手 「(素で)自覚ないのかよ。(切替えて)それはそうと、ハカセのご専門は何なんですか?脳の研究っておっしゃってましたけど」

ハカセ 「その通り。脳科学だ。でも単なる脳科学とは違うぞ」

助手 「どこが違うんです」

ハカセ 「脳科学とは、ヒトや動物の脳について研究するものなんだが、わしの場合はそれに加えて心の物理学を扱っておる」

助手 「心の物理学?」

ハカセ 「ああ。人間の心や意識はどこから来るのか。魂というのは、一体どこにどうやって宿るのか。それを研究するのがわしの生業(なりわい)だ」

助手 「魂は、脳に宿るのでは?」

ハカセ 「一般的にはそう考えられておるが、ではどうして脳に宿るのか?大昔考えられていたように心臓に宿るということはないのか?別に腕や手足に魂が宿ったっていいではないか」

助手 「…複雑な思考をするには、複雑な構造を持つ脳でないと無理ではないかと」

ハカセ 「そうだな。普通に考えればそうだ。では、今や人間の脳並に複雑な構造になってしまったコンピュータには、なぜ魂が宿らない?」

助手 「…機械だから」

ハカセ 「人間の脳だって機械みたいなもんだ。タンパク質や脂質で作られているという点はコンピュータとは違うが、それは単に組成成分が違うというだけのことだ。珪素やゲルマニウムといった半導体で作られたコンピュータが人間の脳と同じ構造を持ってしまえば、そこに魂が宿っても不思議ではなかろう」

助手 「…私にはわかりませんが、機械と脳とでは何か決定的な違いがあるように思います」

ハカセ 「何だろうな、それは」

助手 「わかりません」

ハカセ 「だろうな。それがわかればノーベル賞ものだ」

助手 「ハカセはそれがわかったから博士号を取ったんじゃないんですか」

ハカセ 「え?あ、いや、まあ、そういうわけではないが」

助手 「じゃあ、どんなことで博士号を取られたんです?」

ハカセ 「それは。…まあ、いいではないか、わしのことなんぞ。それより、君はもう休むんじゃなかったか」

助手 「はい。では、そうさせて頂きます」

助手、退場

ハカセ、タブレット端末を操作

ハカセ 「(独り言で)ゴーストの、正体見たり、か…」

ハカセ、色々と調べものをする。やがて睡魔に襲われ、机に伏して寝てしまう

朝になる

助手、登場。ハカセが机で寝ていることに気付き、一瞬驚くが、すぐ笑顔になる

助手 「おはようございます!」

ハカセ 「!(目を覚ます)お?…あ、ああ。…おはよう」

助手 「きちんと寝なかったんですか」

ハカセ 「じゅうぶん寝たよ。年寄りに長い睡眠は毒だ」

助手 「横にならないと疲れがとれませんよ」

ハカセ 「寝たきりになるよりはマシじゃ」

助手 「ハカセは本当に天邪鬼ですね」

ハカセ 「科学者というのは天邪鬼でなきゃやっとれん。常に疑いの目で以って物事を見なければならん。我が家の家系は皆そうじゃった」

助手 「皆さんひねくれ、いや、変わってるんですか」

ハカセ 「わしは父親も、その父親も科学者じゃったし、父親の兄弟も科学者だ。その息子、つまりわしの従兄弟も生前は科学者でな。理研に勤めて、なんとかウィルスとやらを研究しておった」

助手 「(棒読みで)へーすごいですね。(普通に)でも、現役の科学者は今はハカセだけなんですね」

ハカセ 「いや、…もう一人おる」

助手 「え、誰です?」

ハカセ 「誰でもええじゃろ」

助手 「教えて下さいよ」

ハカセ 「知ったところで何の得にもならん」

助手 「いーじゃないですか。教えて下さいよ。(色っぽく)私、ハカセのこともっと知りたい」

ハカセ 「誤解を招く表現はやめんか」

助手 「ねえ、教えてよ。ねーえ。(ハカセを指でつつきながら)つんつん」

ハカセ 「馬鹿にしとんのか」

助手 「失礼しました。で、もう一人の科学者っていうのは」

ハカセ 「兄貴だ。わしの」

助手 「お兄さんがいらっしゃるんですか」

ハカセ 「ああ。だがな。あんな奴は科学者とは認めん。あんな自分勝手でわがままな奴は、科学を扱ってはならん」

助手 「そうなんですか」

ハカセ 「科学者には倫理観が必要だ。科学の進歩は必ずしも良いことばかりもたらすとは限らん。大量破壊兵器しかり、遺伝子組み換え農作物しかり」

助手 「お兄さんは何を研究されてるんです」

ハカセ 「あいつは!兄貴は、悪魔の研究をしておる。神への冒涜、人類の存在自体を脅かす研究だ。許してはいかん。絶対に」

助手 「何です、それは」

警報が鳴る

助手 「また?こんな朝っぱらから」

ハカセ 「賊にとっては昼も夜も関係ないんだろうな。(端末を操作し)一番奥の部屋の窓か」

助手 「では(中指を立てて)私が」

ハカセ 「待て。何回もそんな手つきするな。どうせまた窓の閉め忘れじゃろ。ついでがあるから、わしが行くよ」

ハカセ、退場

助手、ハカセが居なくなったのを見計らい、こっそりキャビからネットから磁気テープを取り出す。助手、テープを持って逃げようとする

ハカセ 「(突然現れ)そんな古い規格のテープ、読み取れる機械があるのかね」

助手、はっとして立ち止まる

ハカセ、ゆっくりと端末に近づき、警報を止める

ハカセ 「カモフラージュのためわざと警報が鳴るようなマネしたのか。ゆうべそこのキャビネを開けた時警報が鳴ったんで、今日はわざと鳴らしたというわけか」

助手 「ハカセ。これは」

ハカセ 「気にしなくていい。盗まれて失くなるわけでもないからな。大切なデータは、データセンターの中にある」

ハカセ、助手に近づき、手を差し出す

助手、おずおずと磁気テープをハカセに渡す

ハカセ 「そうは言っても、手元にデータを置いておきたいと思うこともある。特にこいつはそうだ。そこで記録メディアに保管することになるわけだが、どうしてわざわざ時代遅れの磁気テープなんか使うと思う?」

助手 「…」

ハカセ 「これなら滅多に読み取ることの出来る機械は無いからな。盗んだとしても宝の持ち腐れだ」

助手 「ハカセ。あの」

ハカセ 「だが君はこのテープをピンポイントで盗んだ。他にもテープはあるのに。ラベルに書かれたこの名前を見て、君はこのテープを選んだ。よりによってこのテープを。何故だ」

助手 「…」

ハカセ 「このデータが、私の娘だと知って、盗んだんだろう?」

助手 「ハカセ。…すいません」

ハカセ、ため息をつき、疲れたように椅子に座る

ハカセ 「誰から聞いた?」

助手 「…」

ハカセ 「このことを知っている人間はそうはおるまい。誰から聞いた?まあ、おおかた予想はつくが」

助手 「ハカセのお兄さんです」

ハカセ 「やっぱりか。あのくされ外道が。いつもいつもわしの邪魔をしくさって。もう我慢ならん」

ハカセ、外へ出ようとする

助手 「ハカセ。どちらへ」

ハカセ 「クソ兄貴の所だ。今日はもういいかげんぶん殴ってやる」

助手 「待って下さい!お兄さんは、入院されてます」

ハカセ 「入院?どうしてだ」

助手 「あの、…ちょっと、まずい状態で」

ハカセ 「重病なのか?」

助手 「…末期の、ガンだそうで」

ハカセ 「(吐き捨てるように)ハッ!…自業自得だ」

助手 「ハカセ。お兄さんは自分が余命いくばくもないことを知り、最期にあなたにお詫びをするつもりで、私をここに寄越したんです」

ハカセ 「それでわしの娘のデータを盗むとは、どういう了見だ」

助手 「お兄さんは、脳データを生体脳に書き込む技術を確立したんです」

ハカセ 「生体脳に?…馬鹿な」

助手 「信じられないかもしれませんが、あなたのお兄さんはあなたの研究内容を参考に、外部保管された脳データを生きている人間の脳に書き込む技術を開発したんです。それによってあなたの研究が充分に実証的であるということを証明したんです」

ハカセ 「何故そんなことを」

助手 「あなたの研究が日の目を見ず埋もれてしまうことを、避けたかったんだと思います」

ハカセ 「…何をいまさら。わしのためにそんなことをするなんて。そんなことを考えるような奴じゃない」

助手 「ハカセ。お兄さんは」

ハカセ 「あいつは自分勝手で人のことなんぞこれっぽっちも考えられない人間なんだ。だから親父が死んだ時だって、平気で一人で海外留学し続けやがって、日本に帰りゃがらねえ。だいたい、何年も介護が必要だった親父を放っておいて、自分は好きなだけ研究に没頭して。おかげでこっちは散々な目だ。大学だって中途退学でやめなきゃいけなくなったんだ」

助手 「え、ハカセ。大学出てらっしゃらないんですか。博士課程は」

ハカセ 「そんなもん出とらん」

助手 「じゃあ」

ハカセ 「ハカセと呼ばしておるが、博士号は取っとらん」

助手 「…そうだったんですか」

ハカセ 「軽蔑したか」

助手 「いえ。…でも、ハカセは素晴らしい技術をお持ちです。人間の脳のデータを外部保管するなんて、じゅうぶん博士号に相当する実績です」

ハカセ 「昔から脳内の電気信号を外部の半導体に保管できることは、ラットや猿の実験で証明されておる。だが人間の場合、思考が複雑なために脳内電気信号は膨大な量になり、しかも時々刻々変化する。人間の脳データを外部保管することは、コンピュータの処理能力が向上し莫大な量のデータを扱うことが出来るようになって初めて可能になったのだ」

助手 「いわゆる、ビッグデータの技術ですか」

ハカセ 「そう。脳内電気信号はまさにビッグデータだ。だがその信号を記録したとして、再生する手段が無い。コンピュータに読み取らせても、それは単なる電気信号。コンピュータがモノを考えたり、言葉を発し始めたりするわけではない」

助手 「それを可能にしたのが、あなたのお兄さんです」

ハカセ 「…何を言っとるのかサッパリわからんが、奴の専門は確か生物工学で、脳とか情報技術には関係無いはずだぞ。奴は、その」

助手 「はい。クローン技術が専門です」

ハカセ 「そう。そして奴はクローン人間を作ろうとしておる。それは許されんことだ」

助手 「倫理的な問題や宗教上の理由で認められないことはわかってますが、出来てしまったものは仕方がありません」

ハカセ 「出来た?クローン人間が?」

助手 「はい」

ハカセ 「馬鹿な。法律で禁止されているのに」

助手 「出来る出来ないは法律と関係ありません」

ハカセ 「それにしてもクローン人間だなんて。本当にいるのならお目にかかりたいぐらいだ」

助手 「いますよ。ここに」

ハカセ、助手の顔をまじまじと見る

ハカセ 「君が、か」

助手 「…はい。私はあなたのお兄さんの手で作られた、クローン人間です」

ハカセ 「…見たところ、二十代ぐらいのようだが、20年以上も前に君を作ったということか」

助手 「はい。父は、…あ、あなたのお兄さんですが。父は私をある女の子の体から採取した細胞の核を、私の母の卵子に移植して子宮内に戻したのです。母は私を産み、本当の娘のように育ててくれました」

ハカセ 「義姉(ねえ)さんがそんなことを。夫が夫なら、妻も妻だな」

助手 「父が目指していたのは究極の再生医療です。人間のクローンを作ることが出来れば、その体を使って永遠の生命が手に入ると」

ハカセ 「何を言っとる。クローンといえども人間は人間だ。クローンの元になった人間と、そこから作られたクローン人間とは別の人格だぞ」

助手 「確かにそうですが、元の人間から人格を取り出してクローンに移植すれば、それは元の人間と同じになるでしょう?」

ハカセ 「なに?…それを」

助手 「父はやろうとしてるんです。あなたが外部保管した、あなたの娘さんの脳データを使って」

ハカセ、愕然とし、磁気テープを見る

助手 「娘さんが亡くなられる直前、あなたは未来に一縷の望みを託して、娘さんの脳データを外部に保管した。脳データをいつか再生することが出来て、その人の人格が復元できることを願って。その願いは叶いました。私の父は、あなたの娘さんのデータを私の脳に書き込んで、あなたの娘さんを生き返らせようとしてるんです」

ハカセ 「待て。待て。…ということは、君は自分の体、脳を提供しようというのか。わしの娘に」

助手 「はい」

ハカセ 「君の人格はどうなる」

助手 「消えると、聞いています」

ハカセ 「消える?上書きされるのか」

助手 「はい。ひとつの体に、二つの人格を持つわけにいきません」

ハカセ 「いや待て。それでいいのか?君の人格、いわば魂が消えるんだぞ。それは君が死ぬということと同じじゃないか」

助手 「私はクローンですから。もともと存在しない、存在してはいけない人間です」

ハカセ 「そんなことを言うな!馬鹿げてる」

助手 「私の体は、そのために作られたようなものです。クローンは、オリジナルのコピー。私のオリジナルは」

ハカセ、ハッと何かに気付く

ハカセ 「まさか」

助手 「(微笑して)はい。あなたの娘さんです」

照明が変わり、助手は退場

ハカセ、手に見舞いの品を持ち、誰かと話をしている

ハカセ 「…そうですか。…もう、意識も無いと。…いやあ、お気になさらないで下さい。兄弟の縁は切ったも同然でしたから。…義姉(ねえ)さんも、長い間の看病でお疲れになったでしょう。病気のことを知らなかったとはいえ、今まで何もせずに申し訳ありませんでした(頭を下げる)。…ああ、そのことでしたら。…娘さんは、お返しします。…いやあ、人格の上書きなんかさせません。娘さんは、娘さん自身の人生を生きるべきです。他人の体のドナーになるなんて、許されることではありません。私から、強く言っておきます」

ハカセ、頭を下げる

ハカセ、踵を返し去ろうとして、ふと足を止める

ハカセ 「…もう少し早ければ、兄の脳データを保管できたんですがね」

助手が登場。手に磁気テープを持っている

助手 「ハカセ」

ハカセ 「何も言わずに、家に帰りなさい」

助手 「でも」

ハカセ 「いいから。もうたくさんだ。こんな思いをするのは」

助手 「私の体はあなたの娘です。そしてこのデータを使えば私は本当にあなたの子供に」

ハカセ 「よせと言っとるだろ!…もう、娘は死んだ」

助手 「…お父さん」

ハカセ 「よせ」

助手 「お父さん。私、お父さんに会いたかった」

ハカセ 「お前は娘じゃない」

助手 「人間の魂は、脳に宿るとは証明されてないんでしょう?私の体があなたの娘のコピーなら、心の一部もきっとコピーされているはず」

ハカセ 「絵空事だ!もうこれは科学じゃない。オカルトだ」

助手 「お父さん!…遺伝子の観点から言えば、私は間違いなくあなたの娘です」

ハカセ、助手の顔をまじまじと見る

ハカセ 「…反論できんな。極めて論理的だ。…君は、優秀な助手だよ」

助手 「どうも。…まだ一週間ですけど」

ハカセ 「その優秀な頭脳を失いたくない。人格の上書きなんて、損失が大き過ぎる。私の娘のデータは5歳の時のものなんだぞ。子供に戻るつもりか」

助手 「…」

ハカセ 「もういい。帰って、お父さんを最期まで看取ってやりなさい。きちんと見送ったら、またここに来るといい」

助手 「…」

ハカセ 「早く行け!」

助手、逡巡した後、一礼して走り去る

ハカセ、助手を見送り、しばらく動かない

ハカセ、ゆっくりとキャビネットの所に行き、磁気テープを何本も取り出し、ゴミ袋に入れ始める

ハカセ 「(独り言で)燃えるゴミ、明日だったかな」

ハカセ、次々とテープをゴミ袋に入れる

【了】  
(2014年7月21日 初稿)
(2019年1月30日 改)

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