【RIC体験記:第5回】 トレーナーとの対話で深まる自己認識
第5回「トレーナーとの対話で深まる自己認識」は、与えられたテーマに沿うのではなく、自由に思考して心の中を開放する回。
トレーナーと臨床心理士と自分、3者による会話の時間(1時間)が設けられている。
何を話してもいい時間。
「目を背けているところに真実が在ると気づかせてもらった、そこにグッと向き合っている」
テーマがない分、今、感じていることを、そのまま吐露する感覚。
話したい優先順位も含めて、自由に。
「わたしは人との協業スキルがとても低い、そのせいで求めたものが手に入らない、もっと学習したい、すべきことが明確になった」
いわゆるカウンセリングの場に近いのかな。
欧米でカウンセリングがポピュラーな存在なのは、キリスト教圏ということもあるらしい。
確かに、懺悔している感覚もある。
答えが返ってくることを求めていない。
「否定されない場」で想いを吐き出し、ラクになった心で答えを見つけていく。
この「否定されない場」ってのが、家族や友人相手では難しいのよね。
人の価値観って、幼少期から積み重ねてきた経験の結晶だから、誰一人として同じではないし、簡単に差は埋まらない。
「否定されない場」を成立させるには、結局、自分か相手のどちらかが、言いたいことを我慢することになる。
カウンセリングという場が、もっと身近で日常的なものになればいいなと思う。
わたしは、これまで、人との協業をことごとく避けてきた。
そのため、「こう言ったら傷つける」「こう言ったら助けてくれる」というのがよく分からない。
今からそこを学んでいこうとしているんだけど、一方で、人の気持ちが分からないからこそ、流されない生き方が実現できてきた面もある。
自分の人生をつくってきた「必要な鈍感さ」であると同時に、ブレイクスルーできない「ボトルネック」でもあり・・
そんなことも見えた1時間だった。
テーマが絞られていないおかげで、話しそびれていたことも出し切ることができ、いったん心の中がリセットされた感じがする。
そして、「洞察」という概念を知れたことも大きい。
抱えている課題があったとして、何気なくフッと湧いたことが解決のいとぐちとなることを、心理学では「洞察」と呼ぶらしい。
課題ばかり見つめていても、解決策は浮かばないということね。
ちょっと視野が広がったかも。
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翌日、5回目の集まりがあった。
なんだろうな・・なかなか言葉が浮かんでこない。
以前より前を向けているのは間違いないし、実際、アクションを起こせるようになってきている。
・・のに、心が晴れない。
日常において前を向けていることは実感するし、noteを振り返れば変化の過程も分かる。
でも、みんなに報告しようと思ったとき、乗り越えないといけない課題は相変わらず目の前に在り続け、現実はそこまで変わっていないことに気づく。
それが、心の晴れない要因なんだろう。
それって、現実から目をそらし、安心できるこの場に逃げ込んでしまっているだけじゃないか・・
ポジティブな面ばかり見ようとして、ネガティブな感情をなかったことにしているだけじゃないか・・
そんな不安も湧いてくる。
「よし、前を向いたぞ!」で切り替わるほど、人は単純じゃないということか。
そんな中、他の参加者からいろんな示唆をいただいた。
何かあっても、「ま、いっか」と言ってしまうこと。
行き詰まったら、「問いを変えてみる」こと。
自分にはなかった発想。
なるほど、これが「洞察」か!
「第6回:エンプティーチェアーで弱さと向き合う」へ続く。