コトバは、難しい。そして、興味深い。
「みる」というと、一般的には…
漢字であらわすと、いろいろな「みる」がある。
見るの他に…視る・看る・診る・観る・覧る。
英語でも…
see・watch・look・view.
でも、日本語は難しい。
「みる」の音は同じでも、漢字で表したときにイメージするその意味に違いが出るからだ。
「みる」と伝えても、その意味は、伝えた側と受け取る側では微妙に異なっているのではないか。
やっぱりこだわりたい…
「そんなことにこだわらなくても…」
という声が聞こえてきそうだが、授業を行っていれば、できる限り「共有」できる要素を増やした方が、理解は進むのだろうとは思う。
だから、こだわりたい。
でも、だからこそ、とても難しい。
以前、このような記事を書いた。
そして、感銘を受けた齋藤先生の記事。
「わかる」を「わからせる」にはしたくない。
でも、「共有」を求めると、「わからせる」ことになってしまうこともあるのだろうか。
難しい。
毎日noteも60日が過ぎていった。
どうやら、思考がまた振り出しに戻って行っているようだ。
しかし、これは自分の中に滞留する本質的な課題意識なのだろう。
「線」にこだわってみたり、「関係性」にこだわってみたり。
その自分のこだわりは、自己の持つ本質的な何かに大きく関わっているのだろう。
どこまで続けたらそれが何か見えてくるのだろうか。
それとも、見えないのだろうか。
自分の中のある種の”線”を超える時が楽しみだ。
なんだか興味深い。
今日も新しい気づきをありがとうございました。
この記事が参加している募集
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!