[2024/11/09] いんどねしあ風土記(58):首都圏鉄道・ボゴール線沿線の変わりゆく姿~西ジャワ州、ジャカルタ特別州~(横山裕一)
〜『よりどりインドネシア』第177号(2024年11月9日発行)所収〜
インドネシア国鉄の首都圏鉄道(コミューターライン)による日本の中古車両を使用しての都市鉄道の近代化改革から十年余りがたった。これにより利用者が急増するとともに、駅を中心とした街づくり、人々の生活様式などの変化が起きている。街や人々がどのように変わりつつあるのか。首都圏鉄道で一番利用客の多い路線、ボゴール線を辿りながら、人々や沿線の新旧模様を垣間見る。
首都圏鉄道改革後の10年
ジャカルタを中心とした首都圏の通勤電車でもある首都圏鉄道(コミューターライン)で大改革が実施されたのは2013年。それ以前まで主力だった、車両の窓や扉が全開のままで走り、屋根の上にも乗客が乗ったエコノミー列車が全廃され、日本の中古車両を使用した、全車冷房化に切り替えられた。それと同時に駅ホームの屋台撤去などの再整備やチケットの電子化、実施的大幅な運賃の値下げなどが試みられた。
この改革が功を奏して、乗客数も改革前が一日平均55万人だったのが2018年には92.3万人にまで増加し、2024年現在では100万人を超えている。さらに7月1日には114.9万人と一日の乗客数としては最高値を記録している。
首都圏鉄道の近代化整備とともに、2019年の MRT(一部地下鉄の大量高速鉄道)や2023年のLRT(軽量高架鉄道、一部路線は2019年開通)の運行開始が相乗効果を生んで、従来「移動手段は自動車とオートバイのみ」という人々の固定概念を覆したことが首都圏鉄道のさらなる乗客増に効果をもたらしているようだ。首都圏鉄道の改革後も、沿線以外の住民からは改革以前のイメージが強く残っているためか、「スリが多い電車には乗りたくない」という声も多かったが、MRT開通時に頻繁に関連報道が行われた頃からこうした時代遅れの声も聞かれなくなっている。
首都圏鉄道は西ジャワ州ボゴールからジャカルタを南北に縦断してジャカルタ北部の華人街コタ地区を結ぶボゴール線と、東ジャカルタのジャティヌガラ駅を起点にジャカルタの中心部と北部を周回し、東部は日系企業の工場も多い西ジャワ州ブカシやチカランまでを結ぶチカラン・環状線、さらにはジャカルタ中心部から西部のバンテン州を結ぶランカスビトゥン線とタングラン線などがある。
このうち、最も利用客が多いのがボゴール線である。首都ジャカルタ南郊の衛星都市、西ジャワ州ボゴールからデポックを通り、南ジャカルタや中央ジャカルタを経由してジャカルタ北部の華人街でありオランダ時代の旧市街でもあったコタ地区までの54.8キロを結ぶ。この路線を辿るだけで、首都圏鉄道が改革後どのように発展したか、またそれに伴い首都圏の人々がどのように変わっていったかを窺い知ることができる。さらには車窓などから沿線の新旧のジャカルタの姿も浮かび上がってくる。
新旧混在のボゴール駅から
ボゴール線の始発駅、ボゴール駅はジャカルタ首都圏の最南端に位置する。周囲は市庁舎などもあるボゴールの中心地で、歴史的にも有名なボゴール植物園へも徒歩で行けるほど近い。植物園内には大統領宮殿もあり、2023年に天皇皇后両陛下がジョコ・ウィドド前大統領夫妻を表敬訪問したことでも記憶に新しい。
ボゴール駅では首都圏鉄道の改革以前から利用客は多かったが、改革により運行時間に大きな遅れが生じず、目的地への到着時間が読めるようなったことで、ジャカルタでの会社勤めなどの利用客がさらに飛躍的に伸びた。
最も顕著にそれを裏付けるのが駐車場だ。駅西側の広大な敷地に設けられた駐車場は改革直後でさえ、駅周辺から来る電車利用客が乗ってきたオートバイで埋め尽くされていた。しかし増え続ける利用客に対応しきれないため、3年後には2階建ての立体駐車場が建設された。
現在、4000台のオートバイと400台の乗用車が駐車可能だという。巨大な立体駐車場は午前7時過ぎには夥しい数のオートバイで埋め尽くされ、ほぼ満車の状態が毎日続くという。ボゴールからジャカルタ中心部へは電車で1時間以上かかるので、午前5時半には朝の通勤ラッシュが始まるためだ。
利用客増に伴い駅舎も増設された。新しい駅舎は駐車場に直結する場所に建てられ、利便性を高めている。オランダ植民地時代に建てられた旧駅舎もいまだ併用されている。ボゴール駅は1872年に設置され、オランダ植民地政府総督の住居だった現在のボゴール大統領宮殿がある東側に向けて旧駅舎正面がある。欧風建築の旧駅舎に「1881年」の数字が記されているのは、ジャカルタ方面に加えて、バンドゥン経由ジョグジャカルタ方面の長距離線が開通した年を表している。
首都圏鉄道の利用者増に伴い、旧駅舎前も近年再整備されている。かつて駅前の通りは細いながら駅脇にある市場へのトラックが通ったり、植物園へ行く観光客用のベチャが改札前で待っていたりしたが、現在は車両通行止めで歩行者専用になった。駅前の路上で長年軽食や飲み物を販売する女性は「販売しやすくなって嬉しい」と歓迎している。近代都市交通としての機能重視の新駅舎とは対照的に、旧駅舎前は道路と共に駅前公園の再整備も行われていて、歴史を感じさせる憩いの空間が作り上げられている。
朝の通勤ラッシュは午前7時過ぎまで続き、人々は続々とプラットホームに並んだ日本の中古車両に乗車していく。ボゴール駅を出発すると、首都圏とはいえ古い一軒家が立ち並ぶ長閑な風景が流れる。一方で朝夕ともに混雑時の車内は東京での満員電車の様子と変わらない。ボゴール周辺で暮らす利用客らは首都で働く近代都市生活の洗礼を受けているかのようだ。そんななか、改革以前から長年利用しているとみられる高齢の女性による車内でのこんな会話も聞かれた。
「電車の混み具合は、昔のエコノミー列車の頃と変わらないよね」
混雑時の様子はかつてと変わらない部分もあるが、車内の人々の様子は確実に変化している。冷房完備で清潔な車内へと移行したのに伴い、心なしか乗客の身なりも数年の間に小綺麗な人が増え、車内でも整然と乗車している。環境の変化に伴って、人々も変わっていくようだ。かつての扉や窓が全開のエコノミー列車のように、床に座り込む人、飲み食いする人、物売りやストリートミュージシャン、横行するスリなどなんでもありだった時代と比べると隔世の感がある。
かつての車内の様子を思い起こさせるのが、現在の車内に表示された禁止事項だ。飲食、喫煙、座り込み、ゴミ捨て、物売りなどの禁止がイラストで呼び掛けられている。匂いがきついためかドリアンの持ち込み禁止はインドネシアならではの表示だろう。
車内環境を快適にするため、かつての様々な乗客習慣を禁止した一方で、首都圏鉄道は粋な計らいもしている。イスラム教徒向けに断食月の夕方、一日の断食明けの時間だけ飲食を促していることだ。帰宅ラッシュで満員の車内で、時間が来ると夕方の礼拝を呼びかけるアザンとともに車内放送が流れる。
「一日の断食お疲れ様です。皆さん、飲食をどうぞ」
アナウンスと同時に、乗客は皆ゴソゴソとカバンからペットボトルを取り出して水を口に含む。なかには用意しておいたパンなどを口にする者もいる。不思議と満員でひしめき合う車内の雰囲気が幾分和らぐようだった。イスラム教徒が多数を占めるインドネシアならではの新たな車内文化のひと時だ。
通勤電車は西ジャワ州デポック南端のチタヤム駅に到着する。この駅からはボゴール線唯一の支線、ナンボ線がある。支線はデポックの南端近くを通って、チビノン、終点のナンボと2つの駅がある。ジャカルタの衛星都市でもあるデポックは新興住宅が次々と建設されるなど人口が急激に伸びている地域で、首都圏鉄道の支線沿線でも利用者が増えている。このため首都圏鉄道は2024年10月下旬、18年間使われていなかった支線のポンドックラジェグ駅を再整備して再開させた。最初の一週間で8,300人余りが利用したという。
チタヤム駅からデポック市内へと進むにつれ、アパートやショッピングモールの高層ビルが目立ってくる。続くポンドックチナ駅やインドネシア大学駅周辺には複数の大学があるだけに、学生ら若者の乗降が目立つ。インドネシア大学駅周辺には学生用を見込んだ高層マンションも立ち並び始めた。まだ一部ではあるが、安下宿が当たり前だった学生生活にも変化が訪れていることが窺える。沿線は大学周辺だけに車窓からは緑が多く目に入る。
首都交通網の基幹駅・チャワン駅とマンガライ駅の変容
首都圏鉄道が首都南部、南ジャカルタに入り、パンチャシラ大学を過ぎてレンテンアグン駅へ進むと沿線周辺は新旧混在した住宅密集地が広がる。そして、ボゴール線が首都圏の南北を結ぶ重要な交通機関として機能し始めたことを示す一つとして、駅前開発が行われたのがタンジュンバラット駅だ。
2022年、駅東隣に日系大手スーパー、イオンがインドネシアでの4号店としてオープンした。地上6階の広大なショッピングモールとともに高層アパートも2棟隣接して建設された。鉄道駅を拠点とした近代的な総合開発だ。タンジュンバラット駅からは歩道橋で渡ってモール前まで徒歩で行ける。近くに高速道路があるため自動車で訪れる客が大半だが、買い物袋を膨らませて電車に乗る客も日中多く見受けられる。大型モールを伴った駅前総合開発はこのタンジュンバラット駅がジャカルタの先駆けで、MRTやLRTなどの沿線でも計画が進められている。
タンジュンバラット駅を出るとまもなく、右手に尖塔の美しい巨大なHKBPパサールミング教会が見える。そして、パサールミング駅の左手には駅名の通り、ジャカルタでも有数の大規模な伝統市場パサールミングがある。続くドゥレンカリバタ駅では19階建てのアパートが17棟集合した巨大なアパート群が目に入る。2008年共用開始で首都圏鉄道の改革前ではあるが、当時の謳い文句の一つは鉄道駅まで徒歩で行けることだった。
ドゥレンカリバタ駅すぐ近くの線路脇では2016年、百メートル近くにわたって立ち並んでいたバラックの小さな商店街が強制撤去された。線路周辺は国鉄の所有地で、運航の安全性を高めるためだった。その後大量な瓦礫も撤去され、代わりに木が植えられた。首都圏鉄道周辺にはいまだ線路脇の国鉄の土地を不法に占拠して家屋を建てて長年住む人が多くいるのも現状だ。
ジャカルタ都心部から空港や各方面を結ぶ高速道路の高架下のトンネルを抜けた先にチャワン駅がある。この駅は近年、新たなジャカルタ交通網の基幹駅に変わろうとしている。2023年に開通した新交通、LRT(軽量高架鉄道)の乗り継ぎ駅という新たな役目を得たためだ。これに伴って州営バス、トランスジャカルタも停留所を移動させて、相互乗り継ぎを実現させた。首都圏鉄道チャワン駅からは専用の連絡通路が高速道路上に新設され、利便性を高めている。LRT沿線には同時期に開通したジャカルタ~バンドゥン間を結ぶインドネシア初の新幹線・高速鉄道の始発最寄駅もあり、首都圏鉄道沿線住民も電車を乗り継いで高速鉄道の始発駅にアクセスできるようになった。
首都圏鉄道改革後十年で一番姿を変えたのが、チャワン駅から2駅目にあたる、マンガライ駅だ。ボゴール線をはじめ環状線や東部のブカシ、チカラン方面を結ぶ基幹駅で、2017年からはスカルノハッタ国際空港への直通列車の始発駅でもある。しかし基幹駅ではありながら、改革後も整備されたプラットホームはわずかしかなかったため、プラットホームの無い線路上に停車した電車には、踏み台が設置されて利用者が乗り降りしていた。このため電車を乗り継ぐ際は誰もが駅の線路上を無秩序に横切って、目的の次の電車に乗り継いでいた。さらに目的の電車の手前に別の電車が停車している場合は、その電車内を通路代わりに横切ることを余儀なくされていた。
このためマンガライ駅の全面的な改修工事が実施された。改修工事は従来の線路上に高架駅を設ける大規模なもので、2021年以降はボゴール線が新たな高架部分のプラットホームを使用し、その他の路線と空港電車が従来の地上にあるプラットホームを使用している。高架部分では長距離列車用のプラットホームも現在増設工事中だ。早くて2025年年末完成予定だという。さらに、北ジャカルタからLRTが延伸工事中で、近い将来、マンガライ駅と直結する予定だ。
中2階の各乗り場番線へと移動する連絡スペースは広く、一部には各ホームへ上り下りするためのエスカレーターも設置された。かつてのように電車を乗り継ぐ乗客により駅の線路上が埋め尽くされる光景もなくなり、ラッシュ時の連絡スペースの混雑ぶりは新宿駅や東京駅のような様子だ。
駅環境の整備や運行時間がダイヤ通りになることで、ジャカルタの利用客にとっても安全性や利便性が増したが、これに伴い通勤や帰宅ラッシュ時に興味深い現象も見受けられるようになった。各ホームへ乗り継ぎのため移動する人々の多くが早足で歩くようになり、中には乗り継ぎに遅れまいと走る者、階段を駆け登る者さえ出始めた。これまでジャカルタでは見たこともない、まるで日本の都市部の駅構内を見ているような光景だった。朝、会社に遅れまいと急ぐ、夕方、疲れた体を休めるためにも早く帰りたいという気持ちはよく理解できる。しかし従来、余程のことがない限り早足で歩くことを見かけなかっただけに、ジャカルタの人々も近代社会の時間に追われる都会生活に染まりつつあることを実感させた。若干の寂しさはあるものの、このように変化していくことでインドネシアの発展につながっていくのかもしれない。
新しくできた高架駅のプラットホームからは、ジャカルタ中心部の高層ビル街が一望できる。特に帰宅ラッシュ時の夕方は夕焼けを背景にビル群がシルエットに映り、新たな写真スポットに早変わりするとともに、仕事疲れ、満員電車疲れの人々をひと時ながら癒してもいるようだ。
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