往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第96信:物語の余韻を楽しむエンディングソング(横山裕一)
〜『よりどりインドネシア』第182号(2025年1月23日発行)所収〜
轟(とどろき)英明 様
遅ればせながら、2025年も宜しくお願い致します。例年、雨季は1~2月の降雨量が最も多いイメージですが、ジャカルタは年明けとともに日中、雨の日がめっきり減っています。異常気象の影響でしょうか。新政権初年度のインドネシア情勢は気候のように異常事態にならないことを祈りたいと思います。
さて、前回轟さんが取り上げた映画『やがて、霞立ち込めて』(Kabut Berduri)ですが、見応えのある本格的な犯罪ドラマですね。ブラッド・ピット主演の『セブン』(Seven/ 1995年作品)をちょっと彷彿とさせる緊迫感に加え、国境周辺という独特な環境やダヤック世界、歴史が謎を深めるのに効果を高めて興味深かったです。次回轟さんが触れるのでコメントは控えますが、ドキュメンタリー作品を除いた2024年公開の作品群では、前回私が取り上げたサスペンススリラー『いつまでもともに』(Sehidup Semati)と双璧を成して他作品を圧倒しているように個人的には思われます。
また前回、轟さんからの問いに対して、『アリ&クイーンズ』(Ali & Ratu Ratu Queens)のラッキー・クスワンディ作品を観たことがないと答えましたが、先日、ネットフリックスのラインナップを見ていたら、『アリ&クイーンズ』そのものを鑑賞済みだったことを思い出しました。なんとも記憶力がへたっていて恥ずかしい限りです。ニューヨークへ母親探しにきた主人公とイブイブたちとの疑似家庭のようなシーンは微笑ましく、好印象の作品でした。主人公に協力してイブイブが母親を探し回る中で、他のインドネシア人主婦らしき人に尋ねるシーンが一瞬ありますが、ニューヨークにもインドネシア人同士の繋がりやコミュニティがあることを伺わせて興味深くもありました。
さて、今回は年の初めということもありちょっと趣向を変えて、映画作品の最後に出演者やスタッフのクレジットをバックに流れるエンディングテーマ曲について話したいと思います。物語の終了後に作品にあった曲を聴いていると「面白い(良い)作品だったな」と余韻を味わえるのが楽しみなのですが、インドネシアでは物語の終了後、クレジットが流れ出すと観客は一斉に席を立ちます。この習慣故か、映画館もクレジットが流れると同時に館内照明を弱めに点灯するため、スクリーンも若干見えづらくなってしまうのが個人的には残念なところです。作品によってはクレジットの途中や最後におまけシーンが登場するのですが、その頃には観客は私一人。クレジットも終了し席を立って振り返ると、清掃担当者と目があって微笑み合うのが常です。
劇場では観客に相手にされず気の毒な存在ではありますが、良い曲が多いのは勿論、作品用に作った曲の歌詞がなかなか考えてあるなと思われるのもあり、興味深い分野でもあります。過去にも第20信で映画作品の音楽監督として深く関わった歌手グレン・フレッドリーの挿入歌やエンディング曲など音楽と映画の融合について、または第80信でも工夫されたエンディング曲を紹介しましたが、今回はそれ以外の映画作品、曲を取り上げたいと思います。
作品の余韻を再び
映画のエンディング曲はラストシーンの余韻を残しながら作品全体を反芻できるかのように作られる場合が多いですが、まず最初に紹介するのは、2024年のインドネシア映画祭で最優秀作品賞とともに最優秀テーマ曲賞を受賞した作品『映画のように恋に落ちて』(Jatuh Cinta Seperti di Film-Film)のエンディング曲、『会話で愛を深める』(Bercinta Lewat Kata)です。歌手ドンヌ・マウラ(Donne Maula)の曲で、アコースティックギターの調べとともに語りかけるように歌い紡がれます。
映画自体はコメディ作品ではあるものの大人の恋愛を題材にしっとりとした作りで、映画のイメージをそのまま再現したかのような曲でこれぞエンディング曲といった感じです。映画の物語内にも登場する「恋愛のステップ」としての、「一つ目は知り合うこと、二つ目は近しくなること」といったフレーズも歌詞の中に盛り込まれ、映画とリンクしています。
このほかユニークなのは、作品タイトルと同じようなフレーズではあるものの、若干ひねった言い回しで歌われているところです。それは曲のサビで、「我々の愛はテレビ(ドラマ)のようなものではない」と逆説的に表現された部分です。「映画のように恋に落ちて」とは反対の現実的な見方ではありますが、会話を通してお互いに理解を深めて愛を育むという点では映画テーマと同じです。歌詞での「テレビ」の表現は直訳すれば「ガラスの幕」(Layar kaca)という言い回しが使われていて、映画内でシナリオライターの主人公が脚本のために恋のプロセスなどを試行錯誤しながら窓ガラスに書き込んでいく印象深いシーンを思い起こさせます。もしかしたら、窓ガラスに書かれた恋のプロセスのロジックなどでなく、直接会話をすることが大切だという意味で、テレビではなく窓「ガラス」を意識した表現にしたのかもしれません。この曲を聴くたびに映画作品自体を再び観たいと思わせる曲です。
映画作品の本編に負けないくらいドラマティックな曲で、作品そのものを印象深いものにしたエンディング曲がアニメ長編映画『スラバヤの戦い - 戦争に栄光なし』(Battle of Surabaya ・There’s No Glory in War /2015年作品)の『君を忘れない』(Mengingatmu)です。
映画は1945年、日本敗戦後から再び連合国軍の一員でもあるオランダの再統治を阻止するために独立派住民たちが蜂起したスラバヤの戦いまでが描かれ、独立派の秘蜜文書の運び屋だった少年の目を通した物語です。この少年が淡い恋をした少女が命を落としてしまいますが、エンディング曲ではその後数十年たった今でも彼女のことが思い起こされる、忘れられないとかつての少年の切ない気持ちが歌われています。歌手はアンジェラ・ナザル(Angela Nazar)で、奇しくもオランダ生まれのインドネシア人です。迫力ありながらも抑揚の効いた彼女の歌唱力が戦争とそれに伴う悲しみをうまく引き出しています。
もう一つ、エンディング曲ではありませんが、シーンと非常にマッチした挿入歌を最近の作品から紹介します。2024年9月上映の『スイートホーム・ローン』(Home Sweet Loan)です。両親と姉夫婦2組が同居する一家で、自分の家を買って独立を目指す若い女性の物語です。姉夫婦の夫は2人とも仕事をせず、何かと唯一働く主人公に金をねだる始末。グッと堪えて、自立を夢見て、精力的にジャカルタで物件探しをする主人公です。ある時、姉夫婦が土地購入資金の目処が立たず、ついには父親のなけなしの退職金を借りようとしたため、やむ無く自分の貯金を差し出します。夢が遠のく主人公。そんな心情を描くシーンに流れる曲が、『ジャカルタの喧騒』(Jakarta Ramai)です。
歌詞の大意は「ジャカルタの街は賑やかで活気あるが、なぜか自分の気持ちは沈んでいる。どうしてなのか、どうすべきか自ら見出していかねばならない」といった内容で、日々の目標、張り合いをなくしてしまった主人公のやるせない気持ちを描く映像にピッタリとハマる曲でした。
歌手は女優でシンガーソングライターでもあるマウディ・アユンダ(Maudy Ayunda)です。彼女はイギリスのオックスフォード大学卒業、修士課程をアメリカのスタンフォード大学で修了、ちなみに修士ではハーバード大学も合格しているほどの才女です。20歳そこそこの2005年、映画『レナのために』(Untuk Rena)に主演で映画デビューし、同年のインドネシア映画祭で主演女優賞を受賞、その後も主演作多数。一方、音楽活動も精力的で、2018年のアジア大会ではオフィシャルソングにも参加しています。さらに美貌を備えて爽やかでCM女王でもあり、一方で知る限り嫌味なところもない、まさに天が二物も三物も与えてしまったかのような人物です。
映画『スイートホーム・ローン』の挿入歌『ジャカルタの喧騒』は、約10年前、彼女が20歳そこそこでの作詞作曲です。個人的には以前から気に入っていた曲ですが、劇場でこれほどシーンにマッチする曲でもあったんだと改めて感心させられました。インドネシア映画では劇中に歌詞のある挿入歌が頻繁に使用される傾向にあり、個人的にはセリフなどとぶつかって「インストゥルメントのほうがいいな」と思うことがままあるのですが、このシーンでは歌詞を活かすためのようにセリフのないシーンでの挿入のため、映像と歌によって気持ちよく情景や主人公の感情を高める効果が出ています。
映画の物語後を想像させるエンディング曲
続いては、作品の余韻だけでなく、物語終了後の展開をもあれこれと考えさせてくれるようなユニークな曲で、第64信で取り上げたロードムービー『永遠の三日間』(Tiga Hari untuk Selamanya /2007年作品)のエンディング曲です。
曲名は作品タイトルと同じで、インディーズ・グループ、フロート(Float)が歌っています。映画の物語は従兄弟同士の多感な20歳前後の男女がジャカルタからジョグジャカルタまで車で移動する道中を描いた青春ロードムービーです。たった三日間の旅ではあるものの、様々な体験、気持ちを共有ながら二人に恋愛感情も生まれますが、その後女性主人公の海外留学もあり、二人の淡い恋は永遠に続くかのように思えるほど楽しかった三日間の旅同様終了します。
しかしラストシーンでは数年後、親戚の結婚式パーティ会場で二人はバッタリと再開します。男性主人公はすでに恋人を連れての出席ながら、二人の再会には新たな展開を窺わせる予感を抱かせて作品は終了します。ここでエンデイング曲が流れ始めます。
この曲がユニークで気が利いているのは、作品最後の新たな恋の予感を皮肉るかのような歌詞が綴られていることです。歌詞では「永遠かに思えた三日間はもう過ぎてしまった、(旅では)あれほど気持ちが盛り上がったのに、そこで終わってしまった。無駄だった」と再会による新たな展開への予感をエンディング曲でバッサリと否定しています。「もう過ぎたことだ。三日間の恋が終わってしまったのだから、新たな展開など無駄だよ」と言わんばかりです。これではちょっとつれないなと感じる一方で、それだけに映画本編の大部分を占める旅が「永遠に忘れられない素敵な三日間」だったことを強調し、作品自体の魅力を補佐していて、逆説的ながらエンディング曲としての役割を十分に果たしています。
その一方で、この曲の内容は旅の終了後、二人が離れて再会する前までの期間の主人公の悔恨の念とも受け取れます。この場合は、ずっと後悔し自ら愚痴ってきただけにラストシーンの再会は大きな喜びであり、「永遠に止まってしまった三日間」が新たな日々として二人の関係が再び動き出すことを感じさせます。いずれの捉え方にしろ、物語ののちの展開を想像させる意味で、ユニークな手法の優れたエンディング曲だといえそうです。
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