ジャカルタ寸景(12):家族で守り続ける故郷伝統の味、ソトパダン(横山裕一)
〜『よりどりインドネシア』第176号(2024年10月23日発行)所収〜
パサールバルの一角で
ジャカルタ中心部にある東南アジア最大級のイスラム教寺院、イスティクラルモスクの近くに、歴史ある商店街パサールバルがある。商店街の入り口に建つ大門が現在のアイコンでもある。繊維製品や衣料品、スポーツ用品など様々なものが揃う場所として現在も賑わいをみせている。大門があるメインストリートには1950年代創業のジャカルタで二番目に古いとされる自家製アイスクリームを扱ったレストランもあり、古き良き時代の味を楽しむこともできる。
1820年に建設されたこの商店街は、それより約百年前から続くパサールスネンやタナアバンでの大規模な伝統市場に対するものとして、「パサールバル=新しい市場」(Passer Baroe)と名付けられた。当時の宗主国、オランダ人たちの買い物先としても賑わい、インドネシア独立後も首都ジャカルタの商業地域の中心として栄えた。1970年代にガジャマダプラザなど近代的なショッピングモールができて以降は商業中心地の座は移行したものの、商店街の活気は変わらず現在に至っている。現在は取り払われたが、商店街にアーケードが設けられた時期もある。
パサールバルは開設当初から中国人による商店が多数を占めたが、それとともにインド人商店も多かった。2000年代に入っても、ジャカルタには約2,000世帯のインド系インドネシア人がいるが、その多くがこの地域に居住しているといわれている。このためパサールバルはリトルインディアとも呼ばれていて、「ボンベイ」という屋号の衣料品店やインド料理店、チャイの店などもある。パサールバル西端の通りの入り口には「ようこそリトルインディアへ」と記されたゲートも設けられている。
このリトルインディアのゲートがある通りの一角に、西スマトラ州の名物料理、ソトパダン(パダンスープ)の有名店がある。パダン料理店といえば、店に入ると卓に10~20種類の料理の小皿が並べられ、好みの料理を選んで食べるのが通常だが、ここではいわゆるパダン料理と呼ばれる肉や魚、野菜などをカレースープで煮込んだり、唐辛子で和えたりする料理は一切なく、ソトパダンだけが長年もてなされてきた。それだけにこの店のソトパダンにかけた味へのこだわりが伺える。
味わい深いソトパダン
このソトパダンレストランの店名は、「ソトパダン・マンクト」(Soto Padang H. St. Mangkuto)。創業者の名前が冠されている。店を始めた西スマトラ州ブキティンギ時代から数えると、創業86年の歴史を持つ。
ソトパダンは小ぶりな茶碗に入れてもてなされる。牛肉や刻んだ野菜、それにしらたきなど具沢山で、すっきりとした透明感のあるスープ。しかし、スープは見た目に反して、香辛料の香りとともに牛肉の味が混ざってコクがあり味わい深い。特筆すべきは牛肉で、表面がサクッとした歯応えで驚く。そして、噛めば噛むほど牛肉が吸ったスープと肉自体の味が口の中に広がり、ご飯が進む。
「牛肉は1時間半煮込んだ後、45分間油で揚げています」
創業者の次女で現在の店のオーナーであるネリィさん(70歳)が説明する。肉を揚げて表面をクリスピー状にすることで、サクっとした歯応えが出ると同時に肉自体がスープを吸い込み、肉を噛みながらもスープが口の中で絡まるような効果を生み出している。また肉を事前にじっくりと煮込むことでアクなどが取れ、スープのスッキリ感を出している。スッキリとはいいながら、スープが味わい深い秘密をネリィさんは次のように明かしてくれた。
「多種類の香辛料を決められたレシピの量で加えているためです」
店内は午後帯だったが、高校の同窓会のメンバー十数人で賑わっていた。場所は国鉄・首都圏鉄道のジュアンダ駅から近く、さらに官公庁街からも遠くない。昼食時や夕食時は多くの客で混雑する。同店のソトパダンの味の評判はすでに周知のもので、1995年には大統領府で開かれた、インドネシア独立50周年記念行事でも同店が呼ばれ、ソトパダンを大統領らにもてなしてもいる。
長年にわたって人気を続ける秘訣について、ネリィさんはこう話す。
「父が作ったレシピを守り続け、味と質を変えてこなかったことです」
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