[2024/05/24] スラウェシ市民通信(8)幼稚園入園狂騒曲(2007年7月翻訳)(ニ・ニョマン・アンナ・マルタンティ/松井和久訳)
~『よりどりインドネシア』第166号(2024年5月24日発行)所収~
あっという間に学校の休みが終わり、新学期(訳注1)が始まった。そして、多くの親たちが子どもたちの学校を探すのにてんてこ舞いだった季節も過ぎた。
(訳注1)インドネシアでは一般に、新学期は7月から始まり、6月に終わる。
これまでほぼ一ヵ月の間、親たちは、子どもたちを頭のいい子にし、しつけもきちんとしてくれる学校をあちこち探し回る忙しい日々を過ごしてきた。家族にとって十分な生活の豊かさを保障したい、と切に願う気持ちから、職場で忙しく働いている親たちは、子どもたちの教育と心身の成長を、学校で教える教師たちに全面的に託そうとするのである。
子どもたちのために、今や流行となっている教授法に沿った最高の教育を授けようと、親たちはポケットの奥深くまで探すこと(訳注2)を厭わない。そうした親たちの学歴は大学卒で、教育の世界の発展ぶりについての情報を実によく知っている。そのため、彼らは息子や娘が生まれたときから最高の教育を与えたいと考え、自分たちの望むような子どもになって欲しいと願う。昔よりもよいと考えられる教育理論や教授法が現われ、それが流行となり、「子どもの教育にとって最良の場所である」と謳う学校間のビジネス競争を煽るのである。
(訳注2)「ポケットの奥にあるお金を探す」という表現から、費用の支払いを惜しまないことの比喩を表わす。
私は、友人に頼まれて、彼女の四歳の子どものための幼稚園探しを手伝うことになった。「いい幼稚園を探してちょうだいね。この子が読み、書き、計算が得意になって、英語ができて、野外活動がいっぱいあって、設備が揃っている幼稚園を探してね」と言われた私が何か言い返す間もなく、彼女はまるで逆らうことができないような命令口調で、「忘れないでよ。十分訓練を受けた優しい教師、最新の教授法、そして確実に国際標準であること!」と要求を続けた。
彼女が会社での仕事が多忙で、家庭で主婦として過ごすべき時間の大半を仕事に取られているのがよく分かっているので、私は、彼女の言うような幼稚園を探すため、マカッサルの街中をあちこち歩き回った。
実は、そうした様々な優位性を持つ幼稚園の情報を得るのは簡単なことだった。地元の新聞には、1ヵ月ぐらい前からほとんど毎日のように、マカッサル市にある幼稚園での卒園行事や授業プログラムなど、あらゆる情報が写真つきで社会欄に載っている。それ以外にも、新聞広告、路上の垂れ幕、パンフレットなど、あるいはショッピングセンターで開かれる教育展示会などでも、情報を得ることができるのだ。
でも、私は直接出向いて、各幼稚園の経営者と話をすることにした。地元向けの幼稚園から友人が望むような国際標準の幼稚園まで、いろいろな幼稚園に出向いた。
安いはずがない!
費用は安いはずがない。これが幼稚園の情報をいくつか集め回った私の最初の感想だ。ちょっと想像して欲しい。子どもを教育する理想の場所、と謳う国際水準のある幼稚園は、パナクカン地区のとある商業コンプレックスにあるのだが、入園料が200万ルピア(約2万7,000円)、教材費も同じく200万ルピア、年少クラスの制服代が10万ルピア、年長クラスのそれが30万ルピアもかかるのだ。
これには毎月の月謝がまだ含まれていない。月謝の額もクラスによって異なる。年少クラスは教師の使用言語によって額が異なる。英語で教える場合は45万ルピア、マンダリン(中国語)で教える場合は英語よりちょっと安くて40万ルピアである。そしてもちろん、インドネシア語で教える場合はさらに安くて35万ルピアになる。年長クラスはどうだろうか。このクラスではこれら3つの言語を混ぜて教えるので、月謝は50万ルピアになる。だから、友人が子どもをこの幼稚園の年長クラスに入れるとすると、毎月の月謝を含め、10ヵ月間で総額930万ルピア(約12万4,000円)を支払うことになる。
次に、やはり国際標準を謳う別の幼稚園を訪ねた。幼稚園の名前には採用した教授法の名前がつけられている。ペッタラニ通り付近の有名な住宅地にあるこの幼稚園も、費用の点ではあまり変わらない。入園料は全クラスとも250万ルピアで、年少、年中、年長第一、年長第二のクラスがある。異なるのは月謝の額である。年少クラスで30万ルピア、年中クラスで40万ルピア、年長第一クラスで50万ルピア、年長第二クラスで60万ルピアである。これらの費用には、幼稚園バッグが一つと制服3着がセットで含まれている。
ラトゥランギ通りにある別の幼稚園は、近代的でなおかつ宗教色の強い教育システムで経営しているが、入園料は385万ルピアで、これにはすべてのクラスの施設利用、遊具、教育器具、制服の費用が含まれている。月謝は、年少クラスではインドネシア語で教える場合は20万ルピア、英語で教える場合は35万ルピアである。年長クラスはインドネシア語と英語のバイリンガルで教え、月謝は35万ルピアである。
別の友人から、プガヨマン通りに新しくできた幼稚園があって、そこでは宗教色の濃いコンセプトの教育で売り出している、という情報を聞いた。友人からは、「子どもがより宗教に熱心になり、お祈りもきちんとやるようにしてくれる幼稚園を探してくれ」とは言われていないけれども、まあ話を聞くのはいいだろうと思って、行ってみた。そして、予想した通り、質のいい教育を受けるためにはそれなりの費用が必要なのであった。前述の幼稚園よりはやや安いけれども、この幼稚園のパンフレットによれば、年少クラスは入園料が250万ルピア、制服セットが15万ルピア、寄付金が10万ルピア、月謝が20万ルピアであった。年長クラスは、入園料200万ルピア、制服セット25万ルピア、寄付金10万ルピア、月謝が25万ルピアだった。
売り文句と充実した設備
本当はほかにも、大モスク通り、ラティモジョン山通り、サダン川通り、アザエラ地区、タンジュンブンガ地区、パッティムラ通りなど、あちこちに国際標準の幼稚園がある、という情報は聞いていた。そしてそれらの幼稚園はほとんど同様のコンセプトを提示していた。「将来が有望な子どもをつくります」「先生は子どもに集中します」「知能指数(IQ)、情動指数(EQ)、長寿指数(SQ)を高め、頭をよくするカリキュラム」「子どもの創造力を伸ばします」など、売り文句はいろいろある。
国際標準の幼稚園では、登録開始の最初の頃に子どもを登録した親は、50パーセントまでの費用ディスカウントと分割払いが可能である。提供される設備やサービスは、静かでエアコン完備の教室、図書館、水泳クラス、絵画クラス、屋外活動や遠足、健康診断、外国から送られてきたガイドブック、マルチメディアパソコン、砂場、安全で栄養のある食事、ミス(Miss)とかアンクル(Uncle)とか英語で園児から呼ばれる国内外の有名大学を卒業した質の高い教師陣、などまだまだいろいろある。
もちろん、収入が十分な親にとっては、高い費用など問題にならないだろう。それどころか、たとえばカルティニの日(訳注3)の行事、地球の日(訳注4)の行事、郵便局訪問、田んぼで遊ぶ、などの追加費用も、子どもたちが参加してたくさんの経験を得ると思えば、支払うのも問題ではない。考えてみれば、ショッピング・モールがキノコのようにあちこちに生えてくるような現代において、子どもたちが砂遊びをしたり、田んぼを見たりするには、まず支払いが先なのかもしれない。私が子どもの頃は、田んぼがまだたくさんあって、木々が遊び場になって、しかもいつも無料だったが、それはとても素晴らしいことだったんだ、とつくづく思うのである。
(訳注3)カルティニ(R.A. Kartini)(1879~1904)は民族主義運動および女性地位向上運動の先駆者で、社会変革の担い手として女性を育成するために私塾を開いた。国家独立英雄と定められた彼女の誕生日である4月21日を「カルティニの日」と定め、彼女の功績を称える祝賀行事が全国で実施される。
(訳注4)地球の日。アースデイとも呼ばれる。1970年4月22日にアメリカの学生デニス・ヘイズが呼びかけて開始。以来、4月22日が環境問題への関心を示す行動を起こす日となった。インドネシアでは環境系NGOなどが中心となってイベントを開催している。
友人は「国際標準の幼稚園だけ探してくれればいい」と言っていたが、別の友人に言わせればどうってことはない普通の幼稚園の情報も探してみた。これらの幼稚園にはきれいな建物はないし、バイリンガルのクラスなどないし、広い遊技場もないし、教師も、幼稚園教師になるための特別教育を受けた年配の教師たちがほとんどであった。三つの幼稚園を見たが、前述の国際標準の幼稚園に比べれば、費用はずっと安かった。教育大学付属小学校の裏手にある幼稚園では、Aクラスの入園料が135万ルピア、Bクラスが125万ルピアで、入園料には制服3着を含み、月謝はそれぞれ7万5,000ルピアであった。
タマラテ通りとプリンティス・クムルデカアン通りの2つの幼稚園は、入園料が100~150万ルピア、月謝が7万5,000~10万ルピアであった。
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