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東京近郊に暮らすインドネシア人(4):マデさん(西野恵子)
〜『よりどりインドネシア』第182号(2025年1月23日発行)所収〜
みなさま、こんにちは。西野恵子です。インドネシア語翻訳をしたり、東京インドネシア学校で日本語教師をしたりしています。日々の活動を通じて出会うたくさんのインドネシア人の方の声を少しずつでも文字に残していきたいという思いから、東京近郊に暮らすインドネシア人の方々へのインタビュー記事をお届けしています。
前回までの記事も、ぜひこちらからお楽しみください。
東京近郊に暮らすインドネシア人(1):10年来の友人ミヤさんが今だから笑って話せること(『よりどりインドネシア』第171号)
東京近郊に暮らすインドネシア人(2):日本で数千人にインドネシア語を教えたアイ先生の45年(『よりどりインドネシア』第174号)
第4回目のゲストは、マデさん(33歳)。バリ島出身のマデさんは、船上で出会った日本人のパートナー・あすかさんとご結婚され、2017年から埼玉県に暮らしています。筆者との関係は「ご近所さん」。車で10分ほどの距離です。船で世界を周った話、地域に馴染むきっかけとなったあるスポーツについてなど、ざっくばらんにお話を伺いました。
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筆者とマデさんの出会いについて
私が初めてマデさんご一家と出会ったのは、甥っ子(妹の子)が通う保育園の夏祭りだった。
かねてより妹から「保育園の保護者にインドネシア人がいる」という話を聞いていて、「え?!こんなに近くにインドネシア人が住んでるの?」と驚いたのを覚えている。さらに、ご夫婦ともに「船乗り」だったらしいという妹の話に、とても興味をそそられた。ちなみに、そのときは「船乗り」の意味するところをあまりイメージできていなかったのだが、後に「クルーズ船で働いていた」という意味だったことが判明する。
だから、夏祭りでついに初対面を果たせたときには喜びもひとしおだった。あれから7年ほどが経過しているが、その間、あすかさんと会うことはあっても、マデさんと会う機会はあまりなかった。あすかさんとは、子ども同士が同学年だし、インドネシア人の夫を持つ同年代という共通点もあって、頻繁には会えないけれど会えば話が弾む。私にとっては、心を許して何でも話せる大切な人だ。
そんな折、『よりどりインドネシア』でインタビュー記事を書かせていただけることとなり、ぜひマデさんにもお話も聞いてみたいと打診してみたところ、快く引き受けてくださった。
マデさんの出身地の就職事情
マデさんは、バリ島西部のヌガラ生まれ。二人兄弟の2番目だ(バリでは第二子にマデという名をつける)。
ヌガラは『神様はバリにいる』という映画のモデルになった日本人が住んでいる場所です。海岸の近くで育ちました。とてもいいところですよ。
ヌガラの若者の就職先として多いのは、研修生として日本へ渡るか、観光クルーズ船の二つです。兄も3年間日本で研修生として過ごし、一度バリへ帰国しましたが、その後すぐに船での仕事を始めたため、なかなか会えませんでした。
バリの経済状況は厳しい。観光地のホテルでアルバイトをすることもできるけど、安定はしないので、子どもが海外へ行くのをサポートする親も多いです。
研修生として日本へ行くのは昔から定番コースだったけれど、親戚の話だと、最近はポーランドやオーストラリアを選ぶ人が増えているようです。理由はわからないけど、円安も影響しているかもしれません。あとは手続きのしやすさ。日本へ出発するには、準備段階が長い。ポーランドはポーランド語ができなくても、英語が少しできればOKだし、手続きが早いと聞きました。船で働いた経験があれば英語はできるはずなので、そういう人にとってはハードルも低いのかもしれません。
そんなマデさんは、お兄さんとは逆に、クルーズ船で働いてから、(研修生という立場ではないにしろ)日本へ来るという道をたどった。
農家の両親を早く助けたかったので、高校卒業後はすぐに働くつもりでした。兄が帰国するのを待って、仕事を探し始めました。
2009年から2017年まで、船で働きました。船で働くにはまずエージェントに登録します。仲介料は、エージェントによって違うけど、20万円くらいが相場だと思います。そこで英語の勉強をしたり、トレーニングをしたりして、求人があったら面接に臨みます。3回の面接を突破した後、契約書にサインをして、パスポートやSEAMAN BOOKなど必要書類がすべて揃ったら、7~8ヵ月におよぶ航海に出る、という流れです。旅が終わると一度バリへ戻って、2~3ヵ月休んで、また出発します。契約するたびにエージェントへの支払いが発生しますが、給料は良いです。
クルーズ船でマデさんが見た世界
マデさんは、日本船のほか、アメリカ船に乗ることもあったそうだ。数ヵ月にもおよぶ船上での生活はどのようなものだったのだろうか。
船上のスタッフの約60%はインドネシア人です。インドネシア人は仕事が早くて真面目だというイメージを持たれています。30%はフィリピン人。フィリピン政府からのサポートがあり、船に乗るまでのプロセスはインドネシアよりも簡単だそうです。残りの10%はヨーロッパ、南アメリカ、日本など様々です。
船上の生活は楽しいか・・・、うーん、正直、退屈することもあります。勤務時間は朝7時から夜7時までで、もちろん休憩をはさみます。時間には厳しいです。スタッフは4人部屋か2人部屋で寝泊まりするので、何度も同じ船に乗ったジャワ人のベストフレンドもいます。
マデさんとあすかさんは、船で働くクルー同士として出会ったが、なかには船上で出会ったお客さんと結婚するというケースもあるそうだ。マデさんの周りだけでも、広島、大阪、横浜で結婚した仲間がいるという。
ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジア・・・。世界各地を周り、行ったことがないのは、アラスカとオーストラリアだけだというマデさんの話は本当に興味深い。目をきらきらさせながら語ってくれる話を聞きながら、世界一周旅行をしているような気分になった。
サントリーニ島はすごかった!船が着岸して、そこから崖の上に登って景色を見れるのですが、圧倒的でした。あとは、ニューヨークかな。何か特別なものがあるというわけではないけれど、雰囲気が魅力的。日本食レストランに行ったのもいい思い出です。
ボラボラ島という小さな島も気に入りました。バリ島育ちということもあって元々ビーチが好きなんですが、ボラボラ島では右を見ても左も見ても、「ここはバリ島か?」と錯覚するくらい似ていました。アジアだったら、シンガポールかな。かっこいい!
あと、印象に残っている場所といえば、ノルウェー。一日のうち太陽が一時間しか沈まない白夜の時期でした。ちょうどラマダンだったので、同室だったベストフレンドのムスリムは断食をしていました。「太陽が出ている間は飲食できない、ということは、残りの23時間、飲まず食わずになってしまう・・・、これは大変だ」ということで、さすがに「それでは体力が持たないし、君の体が心配だから、どうかインドネシア時間に合わせて断食をしてくれ」とアドバイスをしたことをよく覚えています。
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下船~日本で定住
そんなマデさんが船を降りる決断をしたのは、娘さんの存在が大きかったそうだ。
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