見出し画像

[2024/10/23] ラサ・サヤン(57):~リンおばさん~(石川礼子)

〜『よりどりインドネシア』第176号(2024年10月23日発行)所収〜


リンおばさん

先月、次女が住むオランダ・アムステルダムへ旅行しました。秋のオランダは寒くもなく暑くもなく毎日快晴、運河クルーズも出来て最高でした。

その滞在中にオランダとインドネシアに深い縁を持つ“Witeke van Dort”氏、愛称“Tante Lien”(以下、リンおばさん)が、今年7月に亡くなられたことを知りました。

日本人の私たちには馴染みがありませんが、リンおばさんはオランダでは女優、コメディアン、歌手、作家として知られる有名人です。彼女の死は「#RIP Tante Lien」として、オランダのオンライン・メディアで広く報じられました。

インドネシア国内でも「インドネシアを愛したリンおばさん」という内容でKompas紙をはじめとする多くのメディアで、その訃報が報じられています。

(写真)若年期と老年期のリンおばさん
(出所)https://www.viva.co.id/showbiz/gosip/1733734-wieteke-van-dort-seniman-belanda-kelahiran-indonesia-meninggal-dunia

彼女のオランダ語の歌に“Geef mij maar Nasi Goreng”(ナシゴレンをください)という曲があります。以下は、歌詞の一部を訳したものです。

ナシゴレンをください(作詞・作曲:Witeke van Dort)

オランダ領東インドから帰還したとき
オランダがこんなに寒いとは思いませんでした
それ以上に最悪なのはオランダの食べ物でした
ジャガイモ、肉、野菜、砂糖をご飯に載せただけ

ナシゴレンと目玉焼きをください
サンバルと海老のクルプックとおいしいビールを一杯
ナシゴレンと目玉焼きをください
サンバルと海老のクルプックとおいしいビールを一杯

ここにはロントンもサテ・バビ、辛いものは何もない
トラシ、ルンダン、バンデン、ペティス・ターフもない
クエ・ラピス、オンデ・オンデ、ケテラやバッパオもなし
クタンやグラ・ジャワもない

ナシゴレンと目玉焼きをください
サンバルと海老のクルプックとおいしいビールを一杯
ナシゴレンと目玉焼きをください
サンバルと海老のクルプックとおいしいビールを一杯

歌詞に出てくる品々を簡単に説明します。

「サンバル」は唐辛子、にんにく、エシャロット、エビのペーストなどで作られた辛味調味料で、インドネシア料理には欠かせないもの、「クルプック」は海老や魚の揚げ煎餅で、ナシゴレンには必ず付いてきます。「ロントン」は米をバナナの葉で包んで蒸し上げた粽のようなもので、「サテ・バビ」は焼き鳥に似た豚の串焼きです。「トラシ」は小エビを発酵させて作る魚醤で、「ルンダン」は牛肉や鶏肉などを香辛料数種とココナッツミルクで長時間煮込んだものです。「バンデン」はサバヒーという魚をバナナの葉で巻いて炭火で燻製にしたもので、「タフ・ペティス」は中部ジャワ・スマランの名物で、揚げ豆腐をペティスという海老ペーストのソースと共に食します。「クエ・ラピス」は、12層からなるバウムクーヘンに似たケーキで、「オンデ・オンデ」は中国から伝わったごま団子です。「ケテラ」はキャッサバの葉で、「バッパオ」は中国から伝わった餡まんや肉まんです。「クタン」はもち米で、「グラ・ジャワ」はココヤシの花の蜜を煮詰めたものです。

インディーズ

リンおばさんは、1943年に東ジャワ州・スラバヤで生まれました。父親はオランダ人、母親はジャワ人で、所謂「インディーズ」と呼ばれるオランダ領東インド(オランダ植民地時代のインドネシアの総称)時代に生まれたオランダ人とインドネシア人のハーフです。但し、彼女が生まれた1943年、インドネシアはすでに日本の統治下にありました。

父親のヴァン・ドルトは当時、大きな製糖工場を経営していました。第二次世界大戦後も、スラバヤではオランダ人や中国人に対する暴動が絶えず、1945年10月にヴァン・ドルトは、残虐で酷薄として知られたサバルディン少佐の率いる国軍第38大隊に逮捕され、公衆の面前で処刑されます。ジャワ人の母親と娘のWiteke(リンおばさん)は助かり、1957年にオランダ人全員がインドネシアから追放されるまでスラバヤに留まりました。

オランダが西パプアをオランダ領土にしようとしたことに端を発し、1957年12月5日に「黒いサンタクロース」という名称で知られる「オランダ人追放事件」が起きました。これにより、オランダ人の財産はインドネシア政府によって差し押さえられ、現地のオランダ企業は国営化され、その後数ヵ月で5万人ものオランダ人がインドネシアを追われ、祖国に帰らざるを得ませんでした。

オランダ人とインドネシア人夫婦の家族写真(リンおばさんとは無関係)
(出所)https://en.wikipedia.org/wiki/Indo_people
1958年5月にインドネシアからの帰還者を乗せた「カステル・フェリーチェ」船がオランダ・ロッテルダムのロイドカーデ港に到着。(出所)https://en.wikipedia.org/wiki/Indo_peopl

リンおばさんがインドネシアから追放されたのは14歳のときです。温暖なインドネシアで生まれ育った彼女には、初めて降り立ったオランダの寒さが身に沁みたことでしょう。そして、舌に馴染んだインドネシア料理が恋しくなり、前述の「ナシゴレンをください」の歌が生まれたのではないでしょうか。

私がアムステルダムを訪れた際、次女に「折角だから、本場のオランダ料理を食べたい」と伝えたところ、即座に「オランダ料理は不味いよ」と返されました。結局、私の意を汲んで趣のあるオランダ料理店に連れて行ってくれたのですが、店の客の殆どが旅行者のようでした。私はビーフシチューを頼んだのですが、付け合せには人参(グラッセではなく煮ただけのもの)とインゲン、それにマッシュポテトが大盛りに載っていました。ビーフシチューの味はまあまあでしたが、昔はビーフシチューのような洒落たものは無かったのかもしれません。

アムステルダムのオランダ料理店で食べた伝統料理

The Late Late Lien Show

リンおばさんと母親はオランダの南西に位置するデン・ハーグの街に住処を構えます。演劇への憧れを持つ娘時代のリンおばさんは、有名アーティストのアシスタントとしてキャリアを積み、1968年に子供向け番組のホストを務めることになります。そして1979年には、彼女の類い希なる演技力、作家、そして作詞作曲の才能が結集されたようなショー番組 “The Late Late Lien Show” がオランダ国営放送でオンエアされ、人気を博すようになります。同番組は、リンおばさんのようなインディーズの人たちが多く出演し、インドネシアの文化をユニークな形で紹介する唯一の番組となりました。

興味のある方はYoutubeで8エピソードをまとめて見られるアカウントがありますので、ご紹介しておきます:

https://www.youtube.com/watch?v=wa96ZcY2gW8&list=PL5rS0uoLkgxUwj44YHDJQIhG8KH5Yok2v

番組の中の会話は基本的にオランダ語ですが、インドネシア語の単語がちょこちょこと出てくるので、言葉が分からなくてもなんとなく楽しめます。各エピソードでは、リンおばさんが自宅に友達を招いて「Koempoelan」(集まり)を催し、インドネシア料理を楽しみながら、オランダ領東インド時代の「Tempo Doeloe」(古き良き時代)の生活を懐かしむという内容です。

スペシャル・ゲストは通常、著名なインディーズの人たちや、トトク人(植民地時代のオランダ領東インドに移住した純血のオランダ人)のアーティストたちで、番組内で歌や舞踊を披露します。リンおばさんは髪をまとめ、クバヤとカイン(バティック布)を巻いた衣装で登場、ゲストの女性たちもクバヤ、男性はバティックシャツや民族衣装を着用しています。ヨーロッパ人がインドネシアの民族衣装を着て、オランダ語を話すショーというのは、見ていて多少違和感がありますが、高齢のインディーズの方々がインドネシアの思い出話をしている様子は微笑ましく感じます。

“The Late Late Lien Show”のインドネシア風のテロップ
(出所)https://tvenradiodb.nl/index.php/5813/the-late-late-lien-show.html
同番組のワンシーン
(出所)https://investor.id/lifestyle/199385/tarsius-satwa-langka-belitung

ここから先は

1,991字 / 2画像
この記事のみ ¥ 150
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?