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往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第95信:2024年最良の犯罪スリラー『やがて、霞立ち込めて』 ~ダヤク人の亡霊アンボンとは誰か?そして霞は晴れたのか?~(轟 英明)

〜『よりどりインドネシア』第181号(2025年1月9日発行)所収〜

横山裕一様

新年あけましておめでとうございます。2025年もよろしくお願いいたします。

つい数か月前まで気持ちのいいお天気続きだったのがウソのように、日本各地では連日厳しい寒さです。ジャカルタは雨季に入る頃でしょうが、この時期の風物詩となってしまった洪水被害が今年は酷くならないことを祈るばかりです。

ところで、第93信の冒頭でも少し言及した『釣りバカ日誌』シリーズにつき、その後改めて西田敏行を追悼したい気持ちが高まり、1988年の第1作から2009年の最終作、さらには2010年代に復活したテレビ版(西田敏行がスーさん役!)まで、ひと通り鑑賞しました。私は基本的にシリーズものがそれほど好きではなく、特に長寿シリーズになるほど話がワンパターンになるのは避けられないため途中で飽きてしまいことが多く、『男はつらいよ』や『釣りバカ日誌』のようなシリーズものは今まで積極的に観てきませんでした。

そんなわけでどちらかと言えば軽い気持ちで、所謂「ながら見」でポツポツ同シリーズを観始めたところ、これがどうしてどうしてワンパターンなのに面白いのですね。西田敏行の芸達者ぶりと三国連太郎の生真面目さから生まれる化学反応はもちろん、鈴木建設役員の右往左往ぶりやら、その時々の世相を反映した会社経営のトレンドやら、そして日本全国の釣り名所の美しさ等々、実に見どころ沢山の喜劇シリーズであることに今頃気づいた次第です。

どの作品も単独作品としてはいずれも映画史に残るような傑作では全くないのですが、長く続いたシリーズの思わぬ副産物と言うべきか、おそらく制作陣も予期せずに、撮影された時期の貴重な記録や証言になっているのは実に興味深いことです。とりわけ第19作目『釣りバカ日誌17:あとは能登なれハマとなれ!』は2024年に地震と豪雨で二回も被災した石川県の輪島が舞台となっており、祭りや朝市の風景が画面に映った時には思わず声をもらしてしまいました。今年の元旦前後に新聞やテレビは被災地の復興がまだまだ道半ばであることを報じていただけに、どうか被災地の一日も早い復興と被災者の生活が楽になることを心から願わずにはいられません。

ともあれ、『釣りバカ日誌』シリーズをひと通り観たことで、伝統的なプログラムピクチャーの強さと面白さを今更ながらに実感することができたのは実に僥倖です。同時に、私は深く反省しました。なぜなら、なまじ映画ファンを自認しているために、『釣りバカ』のようないわゆる内容的にも手法的にも尖っていない、どちらかと言えば凡作に見えなくもない作品を見る前から遠ざけてしまった可能性は否定できないからです。気取ったスノビズムは偏見を醸成するだけにとどまらず、面白い映画を観る機会を逃す要因としても作用しており、まったくもって映画ファンとしてダメダメな態度です。

『釣りバカ日誌17:あとは能登なれハマとなれ!』ポスター。松竹公式サイトより引用。

実のところ、第57信で『ヨウィス・ベン』シリーズを論じた時にも同じようなことを私は書いています。ありきたりな青春コメディと軽く見くびっていたら、東部ジャワ語をバリバリ使いまくる実に威勢の良い作品で随分感心したものでした。コンテンツの数そのものが過剰な昨今ですから、どんな作品であれなんでも観るというのは実際にはそうそう簡単なことではありません。しかし、一見大したことなさそうな、でもある一定の国内観客層からは根強い支持を受け、同時に海外の観客に観られることをほとんど想定していない、所謂「ローカル映画」を見ずしてその地域のことを真に理解することは決してできないのです。

言うまでもなく、『釣りバカ日誌』も『男はつらいよ』も『ヨウィス・ベン』も堂々たるローカル映画のシリーズものであり、かつ余所者の外国人映画ファンではなく、制作国の映画ファンではない広い層に、あるいは地元民に根強く支持された作品です。

2025年は「ローカル映画ファースト」の心づもりで、これまでよりもより積極的にローカル映画を観ていきたいと思います。

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では、ここから本題です。前回までは結婚もの、そこから派生しての家族ものを連続して論じてきました。さすがに同じジャンルの作品はもうあまりなさそうなのと、新年になったことをきっかけに、今回からガラッと取り上げる作品のジャンルや方向性を変えたいと思います。

そんなわけで、今回取り上げるのは中華系のエドウィン監督が2024年8月に発表した『やがて、霞立ち込めて』(Kabut Berduri)です。劇場公開はされず、Netflix にて8月1日から全世界一斉配信されました。日本語吹き替え版もあります。実のところ、昨年2024年公開のインドネシア映画のうち、私がタイトルを聞いたりあらすじをネットで読んだりした作品はそこそこあるものの、実際に観た作品の本数となるとかなり少ないので、『やがて、霞立ち込めて』が昨年のベストワンと断言するのは躊躇われます。しかし、興行的には相変わらずホラーもの一強と言ってもいい状況の中で、『やがて、霞立ち込めて』の制作陣がこれまでインドネシア映画界で確立されていなかった「犯罪スリラーもの」というジャンルに挑戦した心意気は大いに買いたいですし、内容も語り口も通常のインドネシア映画とはかなり異なります。あらすじはシンプルながら、ひとつひとつのショットや脚本の細部を点検していくと、実はやや難解で様々な解釈が可能な作品でもあります。ただ、昨年公開作品の中では最良の犯罪スリラーであることは間違いなく、新年最初に論じる作品としては全くもって申し分ない重量級の力作と言えましょう。

一方で、『やがて、霞立ち込めて』がカリマンタン(ボルネオ)の奥地、インドネシアとマレーシアの国境付近、所謂「辺境」を舞台としながらも、想定している観客がインドネシア人に留まらない、むしろグローバルな観客に向けての「グローバル映画」でもあるのは、本作のラストまで観れば明白です。先ほど「ローカル映画ファースト」と書いたばかりなのに、早くも前言を翻すのには我ながら苦笑するほかありませんが、「ローカル映画ファースト」は次回以降の宿題ということでどうか勘弁してください。

『やがて、霞立ち込めて』(Kabut Berduri)ポスター。
日本語吹き替え音声、日本語字幕共にあり。imdb.com から引用。

さて、まずは『やがて、霞立ち込めて』のあらすじから語っていきましょう。なお、ミステリー仕立てとして始まる本作を論じるには、ある程度のネタバレは避けられないため、ネタバレ嫌いな方々はここで引き返していただければと思います。

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