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[2024/01/07] ロンボクだより(106):義母の変化 ー反省を糧に ー(岡本みどり)

~『よりどりインドネシア』第157号(2024年1月7日発行)所収~

(編集者注)本稿は、2023年12月8日発行の『よりどりインドネシア』第155号に所収の「ロンボクだより(104)」の続きです。2018年に起きたロンボク地震の記憶をつづります。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。新年早々の能登半島地震で胸が痛んでおります。一日でも早く被災地に安心がもどってきますようにお祈り申し上げます。

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義母はよくしゃべる朗らかな人ですが、普段から心配性なところがありました。「もし◯◯になったらどうしよう?」と考えては口にして、家族(とくに義父)の「大丈夫だよ」という言葉に安心を得ていました。

地震直後の義母は、私からみるといつもと変わりなかったように思います。ところが丘の上の避難地から叔父叔母の敷地内に移ったあたりから、やや様子がおかしくなってきました。

いつもの嘆き節とともに、一緒に避難している親戚に強い口調で命令したり、誰も言っていないことをでっち上げて誰かを非難したりするようになりました。

赤十字の医療巡回(『ロンボクだより(85)』参照)で不安感の訴えを延々とやっていたのを見ていましたし、地震前からも不安を感じやすい傾向にあったため、強い不安からこのような行動になっているのだろうと想像しました。

しかし、いくら不安感からくるものだったとしても、それが一緒に避難している方々への態度や行動に表れてくるとこちらも申し訳なく感じるものです。

極めつけに、義母は、私に「(避難場所を提供してくれている)叔父と叔母が『みどり一家は早く出ていけばいいのに』と言っていたよ」と耳打ちをしました。

叔父と叔母がそんなことを言うわけがないと思いましたが、義母の話が本当かもしれないし、何より私と夫は義母をめぐるトラブルへの対応に少し疲れていました。

結果的に、義母のこの耳打ちが決定打となって、私たち家族は叔父と叔母の敷地を離れ、我が家へと戻りました。

被災後コーヒーを焙煎する義母 不安から気が逸れるように依頼していた

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自宅の庭でテント暮らしをするようになってから、義母の暴君ぶりは悪化し、夫としょっちゅう喧嘩をしました。そうかと思うと、3人の息子たちのことを心配して泣き始めることもありました。

義母の心は計り知れないほどのダメージを受けているのだろうなぁ。

観光業の夫は、地震以来ほぼ仕事がないことへのフラストレーションと義母の対応とに疲れ果て、円形脱毛症になっていました。私も義母の問題もありましたが、娘もトラウマを負ったために、体が何体もほしい状態でした。

11月のある日、壊れた塀を指さして義母は夫に「早く直せ」と指示しました。地震前なら「早く直してほしいなぁ」と言うか、働き者の義母は自らせっせと直しはじめたはずです。

我慢の限界に達した夫が義母を怒鳴りつけた挙げ句、手元にあったスコップを地面に投げつけました。

義母が不安や恐怖からあの言い方になっているのはわかるけれど、私も夫も頭と胸がキャパオーバーです。

「もうこれ、一緒に住むの、無理でしょ。共倒れするよ」

夫に相談すると、夫はすぐに義兄宅を訪れました。

「ちょっと手に負えないんだけど、助けてくれないか・・・」

義兄は渋い表情をしつつも、事情を察したのか理解を示してくれ、3日毎に義兄宅と我が家とで交代で義母の面倒をみることになりました。

我が家で義母を預かっている間にもし何かあっても、3日間のリカバリー期間があるおかげで、心の余裕が回復できました。不安や心配事に怯える義母をなんとかなだめて年越しできましたし、相変わらず喧嘩が勃発しても頭を冷やせました。

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