『美は傷』再び(太田りべか)
〜『よりどりインドネシア』第181号(2025年1月9日発行)所収〜
あけましておめでとうございます。
『よりどりインドネシア』をはじめ、さまざまなところでしつこく紹介してきたエカ・クルニアワン(Eka Kurniawan)の小説 “Cantik Itu Luka” の日本語版『美は傷』が、昨年末に春秋社の<アジア文芸ライブラリー>の一冊として出版された。
『よりどりインドネシア』第122号掲載の「Cantik Itu Luka の20年」では、同書の数々の外国語版のうちのいくつかの書影を紹介したが、それらのなかでも群を抜いて美しく、この物語の世界観を見事に表現したカバー、思わず手に取ってみたくなる造本の一冊となった。装画は菅野まり子さん、装幀は佐野裕哉さん。“東アジアの伝統的な吉祥模様である「宝相華」を意匠化した”という<アジア文芸ライブラリー>のロゴも美しい。
この小説との出会いと、共同出版という半自費出版での翻訳出版、それが版元の倒産によって絶版となった経緯については、上述の記事にも書いたので繰り返さない。その後、十数年にわたって復刊してくれる出版社を見つけることができなかったのだが、2021年の国際交流基金アジアセンター(当時)のオンラインイベント「アジア文芸プロジェクト “YOMU”」でお世話になり、この作品のことをずっと気にかけていてくださったYさんが、春秋社が<アジア文芸ライブラリー>を立ち上げたことを知って紹介してくださったのである。文芸を通じてアジアの風を起こすべく奔走しておられるYさん、そしてこの作品を同シリーズの一冊として拾い上げてくださった春秋社のAさんに、心から感謝を申し述べたい。
なお、このたびの刊行にあたっては、以前の半自費出版の文庫版からかなり大幅に改訳した。
フィクションの背後にあるもの
暴力的なもの、性的なもの、怪奇的なもの、さまざまなものが詰め込まれた混然としたこの小説の物語世界を、出し物や見せ物であふれる「カーニバルやお祭りみたいなものとして想像すればいいと思う」と著者のエカ・クルニアワン氏は語っている。暴力や悲惨なできごとに満ちていても、そこには奇妙な明るさのようなものがある。それはたとえば、ブレヒトの戯曲『母アンナの子連れ従軍記』(旧訳のタイトルは『肝っ玉おっ母とその子どもたち』)に漂うある種の明るさを思わせる。
ブレヒトの上記戯曲で、主人公の “度胸アンナ”(もしくは “肝っ玉”)は、三人の子どもを次々と亡くすという悲劇に見舞われながらも、三十年戦争で荒廃し果てたドイツやポーランドの大地を行軍する軍隊を商売用の幌車を引いて追いかけながら、したたかに生き抜いていく。その姿は、自身と娘たち、孫たちを巻き込む悲惨さと混乱のなかで淡々と生きていく『美は傷』の主人公デウィ・アユにどこか重なるものがある。
また『美は傷』の帯にも書かれているように、この小説は「マジックリアリズム文学」といっていいだろう。そして著者自身、はっきりとガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を意識している。『百年の孤独』の舞台が “蜃気楼の村マコンド”であるのに対して、『美は傷』の舞台は “霧の町ハリムンダ”だ(halimunは「霧」の意)。そして『美は傷』は、デウィ・アユとその孫たちの世代までの約百年間の物語でもある。『百年の孤独』ではウルスラが、『美は傷』ではデウィ・アユの長女アラマンダが、それぞれ事情は違えど、新婚の夫との性行為を避けるために錠つきの防具を着ける。ウルスラの曾孫で恐いような美貌の持ち主でありながら「一家の持てあまし者でもある白痴」とも思われている小町娘のレメディオスと、デウィ・アユの孫でやはり少し頭の足りない美女ルンガニス。小町娘のレメディオスはカーニバルの女王に選ばれ、美女ルンガニスは町のミス・ビーチに選ばれる。そして小町娘のレメディオスと、デウィ・アユの祖母マ・イヤンの「昇天」のモチーフ。ふたつの物語の共通点、あるいは『美は傷』の『百年の孤独』に対するオマージュともいえるモチーフをあちこちに見つけることができる。
おりしも2024年6月、『百年の孤独』日本語版がはじめて文庫化された。なんでも長年、この本を「文庫化したら世界が滅びる」と噂されてきたそうである。文庫本発売後半月で七刷、売上は累計26万部に達する爆発的売れ行きだったという。そして同年12月11日からはNetflixシリーズで、はじめて映像化された『百年の孤独』の配信が始まった。映像化にあたって製作総指揮を務めたのは、ガルシア=マルケスの息子のロドリゴ・ガルシアとゴンサロ・ガルシア・バルチャ。この配信開始に合わせて、インドネシアでも『百年の孤独』インドネシア語版がよく売れているようだ。
40年の近く前にはじめて『百年の孤独』を読んだとき、コロンビアのことはなにひとつ知らなかったけれど、たちまちこの物語の世界の虜になった。『美は傷』も、インドネシアのことをなにも知らない人も惹きつける力を持った物語だと思う。
これまで機会があるたびに『美は傷』について紹介してきたが、そのなかでは主にこの物語のそういったフィクションとしての魅力を強調してきた。一方、その背後に横たわる事実、実際にあったできごとについても忘れてはならない。それは日本と無縁の遠い世界のできごとなどではまるでない。
主人公のデウィ・アユは、蘭領東インドの架空の町ハリムンダのオランダ人一家に育ち、日本軍の侵攻によって捕虜収容所に入れられて、そのなかから選ばれた他のオランダ人の若い娘たちとともに、日本軍将校たちを相手とする慰安婦となることを強いられる。現実の世界でも、独立前のインドネシアの各地で、地元民女性だけでなくオランダ人女性の強制連行と日本軍人への性的奉仕の強要が実際に行われていた。
日本にとっては、目を瞑って見て見ぬふりをしてしまいたい事実だろう。正直なところ、日本語版『美は傷』を復刊してくれる出版社がなかなか見つからなかったとき、従軍慰安婦になることを強要された女性が主人公であることもひとつの理由なのではないかと疑ったりもした。けれどもそこにあるのは、決して目を逸らしてはいけない事実だ。
デウィ・アユは、日本とオランダが去ってインドネシア共和国が成立してからも、ハリムンダで娼婦として生きることになった。町一番の売れっ子となり、高額だったにもかかわらず、娼館に足を運んだことのある男たちのほとんど皆が一度はデウィ・アユと寝た。それでもデウィ・アユは、自ら望んで娼婦になったと言ったことは一度もなく、いつも「歴史のせいで娼婦になった」と語っていた。「歴史が人を預言者にしたり皇帝にしたりするみたいにね」と。
その他にも、東ジャワのブリタルでPETA(郷土防衛義勇軍)の小団長だったスプリヤディが主導した日本軍に対する反乱蜂起、1965年の政変とそれに続く共産党およびその支持者とみなされた人々に対する虐殺など、さまざまな歴史上のできごとがこの物語の背景となっている。
歴史的事実だけではない。たとえばこの物語のなかに、畑を荒らす猪を撃ち殺したところ、その死骸が人間になったというエピソードがある。この化猪の話は、インドネシアでは現代も生きている民間伝承のひとつだ。
実際にあったできごとを踏まえたものであれ、そうでないものであれ、外国の文学を読むことは、その国について想像することにつながる。その国について想像することは、その国について知ることにつながる。想像のないところにいくらデータや断片的な情報を積み上げても、知ることにはならないだろう。そして他の国について知ることは、日本を知ることでもある。日本がこれまでなにをしてきたか。なにをしてこなかったか。それを外からの視点で垣間見ることには、大きな意味があるはずだ。
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