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[2023/06/07] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽第64信:旅の先に見える風景、ロードムービーの楽しみとは(横山裕一)

〜『よりどりインドネシア』第143号(2023年6月7日発行)所収〜

轟(とどろき)英明 様

過去最大規模の国民大移動でもあったレバラン(断食開け大祭)帰省を経て、ジャカルタはコロナ禍が遠い過去のように思わせるほどの賑わいです。その一方で、断食月以降、インドネシア映画の新作公開本数が例年に比べて少ないのは若干残念なところです。

前回、轟さんが触れたインドネシア映画における異種族異宗教の対立を結婚や恋愛を通して描いたコメディ作品についてですが、近年の作品においても私の知る限りでは無いようです。コメディ以外では『イスラム教を教えて』(Ajari Aku Islam /2019年)があります。これは華人の多い北スマトラ州メダンが舞台で、ムスリム女性と彼女に恋をした仏教徒の華人男性が両家族反対のなか親交を深める物語ですが、不幸にも男性の死をもって物語が終了するため、作品テーマの最終的な方向性までは示されず終わっています。

おそらく、本作品のように異種族異宗教の対立に関しては問題提起にとどまるのがインドネシア映画の現状なのだと思われます。轟さんが指摘したように、同問題を扱うようになったのが1998年のスハルト長期独裁政権崩壊に伴う民主化以降であり、マレーシアと比較しても歴史的にまだ期間が浅いためです。華人に関しても、様々な制限が解かれてから、また華人が標的にされた大暴動から25年という期間は決してまだ長い年月ではなく、この問題を映画で笑いに転化するまでには社会環境が整っていないという現実があるとみられます。

逆に圧倒的多数の非華人に対して、刺激を与えて華人差別を再燃させないためにも華人自らが表現に制限をかけているように見受けられます。その意味で、前回轟さんが引用した映画『隣の店をチェックしろ2』での主人公の父親の「大暴動を起こしたプリブミは許せない」という発言は、劇場で観ていて強く印象に残ったことを記憶しています。華人制作者の声として映画でのエポックメイキング的なシーンだったともいえそうです。ただ、このシーンを含め本作品後半はコメディ色が薄れていったのも事実で、まだこうした問題を笑い飛ばせるようになるには時期尚早なのがインドネシア映画の実態のようですね。

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さて今回は表題の通り、ロードムービーについて話したいと思います。というのも、最近Netflixインドネシア版でリリ・リザ監督の『永遠の3日間』(3 hari untuk selamanya /2007年)が配信され久しぶりに鑑賞できたためです。リリ・リザ監督作品には民族や地方色豊かな人間ドラマが描かれ魅力的な作品も多いのですが、娯楽作品として個人的に一番好きなものが同作品です。

ロードムービーはインドネシア映画でも数多くあります。轟さんがかつて詳しく紹介した、親子の確執と理解、イスラム教信仰のあり方を描いた『新月を探して』(Mencari Hilal /2015年)をはじめ、突如家を出た姉を探しに弟の少年がマルクの島を渡り歩く、兄弟愛だけでなく女性の生き方を問う『サラワク』(Salawaku /2016年)、90代の老婆が数十年前の独立戦争時に行方不明になった夫を探す旅を通して、独立戦争はなんだったのか、また影響を受けた女性の人生を描く『墓参り』(Ziarah /2017年)など、単なるロードムービーに留まらず、テーマ色の強い優れた作品も多く見受けられます。

ロードムービーの魅力はいうまでもなく、映画を通して土地土地の風習文化など旅の疑似体験ができ、テーマに伴った人間ドラマを通して新たな風景が見えてくるところにあります。作品内の登場人物に感情移入することで、旅先の風景が通常とは異なった印象深いものに変化していきます。『新月を探して』ではラストの静謐な新月シーン、『サラワク』では姉を探すという少年の信念を勇気づけるような濃紺の海や島の草原、『墓参り』では老婆が過去を求めて訪ね歩くうちに、ジャワの田舎風景が昔に逆行していくような錯覚も受けます。

旅とは行き先が決まっているものと、あてのないものとがありますが、いずれにしろ旅を通して登場人物が抱える問題に答えやヒントを見つけることができた時、目に映る風景、あるいは状況を観客にいかに見せることができるかでロードムービーの印象度は大きく変わるといえます。

上記はいずれも、どちらかというとシリアスな内容のロードムービーですが、今回は、旅の楽しさも盛り込んで描いた映画『アルナとその好物』(Aruna & Lidahnya /2018年)と『永遠の3日間』の2本を見比べながら、ロードムービーの楽しみ、味わい深さについて考えてみたいと思います。偶然ですが、この2本には主役の一人に俳優ニコラス・サプトゥラが出演していて、人気映画『チンタに何があったのか?』(ビューティフルデイズ:Apa Ada dengan Cinta? /2002年)でニコラスが演じた学生の恋人チンタ役を演じたディアン・サストロワルドヨが『アルナとその好物』に、チンタの親友役を演じたアディニア・ウィラスティが『永遠の3日間』で共演しています。

『アルナとその好物』は鳥インフルエンザの感染実態を調査するために出張するアルナ(ディアン・サストロワルドヨ)が各地の名物料理巡りも兼ねて友人である料理人のボノ(ニコラス・サプトゥラ)とスラバヤへ向かいます。ここでボノが誘った料理批評家のナデスダ(ハンナ・アル・ラシッド)、さらには感染情報を発信した団体に所属するファリシュ(オカ・アンタラ)も加わります。ファリシュはアルナの元同僚であるものの、不倫が元で退職していますが、かつてアルナが密かに想いを寄せていた人物でもあります。

映画『アルナとその好物』ポスター(引用:http://filmindonesia.or.id)

4人はスラバヤからマドゥラ島、さらには西カリマンタン州のポンティアナック、シンカワンを巡り、鳥インフルエンザの実態調査を進める傍ら、ご当地名物の料理の数々を味わっていきます。もう一本の軸は微妙な男女4人の人間関係で、アルナのファリシュへの恋心、またナデスダもファリシュに好意を持ちはじめ、ナデスダが好きなボノは気をもみます。やがて鳥インフルエンザの感染情報はファリシュの所属団体の上司が汚職のために偽装したものであることがわかり、物語は急展開していきます。

豪華キャストに加え、スラバヤの牛肉スープ「ラウォン」をはじめにマドゥラ島特産のマテ貝を使ったスープ料理、シンカワンの中華料理と多彩な名物料理も登場して旅気分も味わえる一方で、鳥インフルエンザの実態の謎に挑み、さらには登場人物の恋愛の行方を追うという盛り沢山の内容は観ていて楽しくはあるものの、個人的には物足りなさが残るのが正直なところです。

まず食巡りについていうと、どの料理も調理工程から4人が食べて「う〜ん」と味に感心するまで丁寧な描写はされていますが、いずれもその繰り返しだけで、物語のキーとなるものやフィーチャーされるものは一切なく、印象に残るものがないのは残念なところです。唯一、主人公のアルナが探し求めたポンティアナックでの有名なナシゴレン(焼き飯)についても、電話一本で実は彼女の母親が現地の人にレシピを教えたということがわかり、タイトル「アルナとその好物」の面からみた食旅での意義も薄れてしまっています。

また物語の前提として、仕事の出張に友人を伴って趣味の旅を兼ねるのはいかがなものか、という設定の違和感が拭いきれないのも事実です。この指摘は物語内でもファリシュのセリフであえて出てきます。また、鳥インフルエンザというウィルスの調査にもかかわらず、病院や鶏市場、養鶏場などを見て回る状況確認だけで「鳥インフルエンザはない」と結論付けていることも、素人ながらそれでいいのかと反応してしまいます。仕事の調査も食巡りもいずれも表面的な旅としてしか描かれていないのが物足りなさの原因です。これは、旅の先々で出会った人々や出来事などがドラマの行方に影響を与えた印象が薄いこともあわせて、ロードムービーの魅力減に繋がっているようです。

知人の中には本作品が非常に面白かったという人もいて、あくまで私の中のロードムービーとしての見解ということは明記しておきますが、実力派監督のエドウィン作品だっただけに期待が大きすぎたためかもしれません。

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さて、次にリリ・リザ監督の『永遠の3日間』です。この作品はいとこである男女の若者がジャカルタからジョグジャカルタへと車で移動するロードムービーです。大学生のユスフ(ニコラス・サプトゥラ)は叔母から長女の結婚式をジョグジャカルタで行うのに伴い、家に代々受け継がれる大切な茶器セットを車で運んでいくよう「お遣い」を依頼されます。叔母家族がジョグジャカルタへ飛行機で移動する日、次女のアンバル(アディニア・ウィラスティ)は寝坊したためユスフの車に同乗することから2人の車旅が始まります。ユスフは大学1年生、アンバルはおそらく大学卒業間近の4年生の設定のようです。

映画『永遠の3日間』ポスター(引用:https://milesfilms.net/)

2人は高速道路を降り間違えて西ジャワ州のバンドゥンへ行き、その後ジャワ北海岸まで戻ってインドラマユ、中ジャワ州トゥガルなどを経てジョグジャカルタを目指します。

この作品が魅力的なのは、思春期を過ぎて大人への過渡期でもある大学生の不安定な心情が丹念に描写されていて、旅を通じて変化が窺われるところです。特に女性のアンバルは普段あけすけでやんちゃな性格の一方で、大学卒業後何をしたいか分からず悩んでいます。特に姉の結婚を目の前にして、自らはどう生きていくべきかと将来への不安と焦燥をより強く感じ始めたようです。

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