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[2024/12/23] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第94信:「ノッてる女優」ラウラ・バスキの2024年 ~映画『いつまでもともに』、『ハートブレイクモーテル』より~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第180号(2024年12月23日発行)所収~

轟(とどろき)英明 様

2024年もあとわずか。轟さんの前書簡では日本はすでに冬模様とのことなので、年末の現在は更に本格化しているかと思います。お身体にお気をつけください。私は雪国に住んだ経験があるものの寒いのが苦手なうえ、前職がカレンダーとあまり関係のない出勤だったため、インドネシアでの気温30度の暑い一日だけの正月休みを迎えるのが合っているようです。轟さんが前回紹介したラッキー・クスワンディ監督作品はまだ未鑑賞のため、ネットフリックスにある作品を近く観てみたいと思います。

今回はまずインドネシアでの映画にまつわる近況として、ディズニー映画を巡って、ちょっとしたインドネシアらしい論争が起きたことを紹介します。ディズニー・アニメの最新作『モアナと伝説の海2』(Moana 2)では、エンディングソング『ビヨンド』(Beyond)を上映各国でご当地の歌手が歌っています。日本では『ビヨンド~越えてゆこう~』のタイトルで11人のガールズグループ、ME:Iが歌っていますが、インドネシアでは若手の人気女性歌手リョードラ・ギンティン(Lyodra Ginting)がディズニー・インドネシアに選ばれました。インドネシアでの曲名は『遥か彼方』(Jauh Di Sana)です。

ディズニー映画『モアナと伝説の海2』ポスター

ところが、エンディングソングにリョードラ起用が発表されると、ソーシャルメディアで、「作品がオセアニア、太平洋諸島民の結束をテーマにしているに、なぜ歌手に東インドネシア出身の歌手を選ばないのか」という意見が殺到しました。リョードラは北スマトラ州出身のカロ・バタック民族で西インドネシアにあたるため、メラネシアやミクロネシアにより近い東インドネシア出身者、民族の歌手のほうが相応しいのではないかという意見です。

ここで名前が上がったのが、同作品の挿入歌の一部にも参加している女性歌手ノフィア・バフミッド(Novia Bachmid)でした。彼女はアラブ系民族ながら東インドネシアの北スラウェシ州出身で、彼女のほうがエキゾチックで良いという意見でした。一方、リョードラの澄んだ歌声がオリジナル曲に近いといった声もあり侃侃諤諤とソーシャルメディアが賑わったのでした。

リョードラ(21歳)とノフィア(22歳)はいずれも歌唱力ある美人歌手で、ともに地元民放テレビ局のスター発掘番組『第10期インドネシアン・アイドル』でリョードラが優勝、ノフィアがベスト8に選ばれています。今回もリョードラに軍配が挙がった結果ですが、ミュージックビデオを観る限りでは、リョードラのドラマチックな歌唱力は素晴らしく、顔もどことなく主人公のモアナに似ているようでもあります。

参考:『遥か彼方』(リョードラ)(https://www.youtube.com/watch?v=_sJ283eFikI

今回の論争は、大袈裟に言えば、アニメ映画の歌手選定にも民族論議を巻き起こす可能性があることを示したもので、グローバルプロジェクトでは様々な配慮を施す必要性も浮き彫りとされました。民族に敏感な多民族国家インドネシアならではの現象だったともいえますが、観光客や労働者など多くの外国人を受け入れ始めた日本でも不可欠な要素なのかもしれません。

さて今回は前段の流れから、インドネシア映画のエンディング曲にもいい曲が多くあるので、それらを紹介しようかとも思いましたが、一年の最後の書簡でもあることから、一年を振り返った話をしたいと思います。すでに第90信で、インドネシア映画界2024年のキーワードとして、ホラーコメディ作品が目白押しだったことに触れましたが、もう一つ個人的に印象的だったのは女優のラウラ・バスキ(Laura Basuki)の活躍、名演技が一際輝いたように感じたことです。特にここ2~3年は見応えあるサスペンス作品での主演が目立ち、彼女の新たな面が開花しているようにさえ窺えます。今回は昨年から今年にかけてのサスペンス3作品を通して彼女の魅力を紹介したいと思います。


女優 ラウラ・バスキ

ラウラ・バスキ(コーヒーチェーン店の広告看板より)

ラウラ・バスキは華人系インドネシア人の父親とベトナム人の母親を持ち、ドイツ・ベルリン生まれの36歳。ジャカルタで大学生の傍らモデルとしてビデオクリップなどに出演して芸能界デビューを果たします。映画は2008年のコメディ作品『サッカーのせいで』(Gara-Gara Bola)で俳優入りし、2作目の『3つの心、2つの世界、1つの愛』(Tiga Hati, Dua Dunia, Satu Cinta)で主役に抜擢されただけでなく、2010年インドネシア映画祭で最優秀主演女優賞を獲得し、早々に頭角を現します。

その後も様々な話題作で好演技を続け、2019年にはバドミントンでインドネシア初の五輪金メダルを獲得した華人系選手の伝記作品『スシ・スサンティ:ラブ・オール』(Susi Susanti: Love All)では、スハルト政権時の華人弾圧政策下での主人公の栄光と苦しみを演じ、2度目のインドネシア映画祭での最優秀主演女優賞を獲得します。そして2022年には、『過去、現在、そしてこれから』(Before, Now & Then)で、主人公の夫の浮気相手役ながら魅力ある演技で、ベルリン国際映画祭のベスト助演部門の銀熊賞を受賞し、国際的にも高い評価を受けました。

この頃からラウラは良い作品に立て続けに巡り合い、好演を続けます。轟さんもかつて取り上げた、『隣の店をチェックしろ2』(Cek Toko Sebelah 2 /2022年作品)や『未来の家』(Rumah Masa Depan /2023年作品)などです。『未来の家』では、姑から一方的に受ける嫌悪にもめげず明るく前向きな主婦役を演じ、作品の好感度を高めてもいます。こうしたなか、特筆すべきは第70信で取り上げさせてもらった作品、『スリープコール』(Sleep Call /2023年作品)以降の、一連の彼女の主演作品です。2024年でいえば、『いつまでもともに』(Sehidup Semati)と『ハートブレイクモーテル』(Heartbreak Motel)の2作品です。いずれも素人目にも演じるのが難しい役柄ですが、これら3作品でいかに彼女が演じきっているかみていきたいと思います。

サスペンススリラーで意外な本領発揮

昨年から今年にかけて、ラウラ・バスキは2本のサスペンスリラーの秀作『スリープコール』と『いつまでもともに』で主演し、個人的には意外にも彼女がサスペンススリラーに合っていることを気付かされました。もちろん彼女の演技力ゆえのことですが、これまで『スシ・スサンティ:ラブオール』や『未来の家』で彼女が演じたような、優しさの中に芯がある女性といったイメージを一変させるものでした。

映画『スリープコール』ポスター(引用:https://www.klikstarvision.com/)
映画『いつまでもともに』ポスター(https://www.gscmovies.com.my/sehidup-semati/)

両作品とも目が離せないほど面白く、さらにホラー映画より怖い作品です。『スリープコール』は第70信で詳述したので簡略しますが、ジャカルタで働くOLが職場での人間関係、借金を抱える経済問題、幼少時のトラウマといったストレスに加えて都会での孤独感に苦しんだ挙句、そのはけ口として出会い系サイトに依存していき、精神的な闇の隙間に落ち込んでいく物語です。ラウラ・バスキは現代社会での日常、特に都市生活で陥りやすい、精神的に疲れていく女性を見事に演じています。物腰柔らかく優しいイメージを持つ女優ラウラ・バスキは、逆にこうした作品では精神的悩みに陥りやすい脆さを兼ね備えた雰囲気を作る(演じる)のに適していたようです。

それは、映画『いつまでもともに』にも同じことが当てはまるようです。同作品は夫による妻への家庭内暴力がテーマです。さらに、作品冒頭のテレビ番組内や教会シーンで何度か教会関係者が主張する言葉「神はアダムを創り、イブはアダムの肋骨から創られた」ことを引用して、男性上位の社会を肯定する風潮が依然根強く存在する現状を指摘し、作品では男性に都合が良い社会、男性による女性に対する身勝手な態度を糾弾した作品でもあります。

ラウラ・バスキは恒常的に夫から暴力を受ける若い妻、レナタ役を演じます。夫のエドウィンは常に高圧的にレナタに接して「命令」として行動を制限し、レナタが意に背くと容赦無く暴力を振るいます。しかし、レナタは幼少期から「夫婦は離婚してはならない」という母親からの教えや、結婚式での「死別するまで、いつまでもともに」という(作品タイトルと同じ)宣誓を忠実に守り、なんとか夫婦生活が改善できないかと模索します。「子供さえできれば」と考えたレナタですが、不妊症であることが判明します。そんな折、入室を禁じられた夫の部屋に見知らぬ人の気配がし、夫が浮気していることが発覚します。暴力で抑圧された上に、子供ができない自分自信への自信喪失と失望、さらに夫の浮気という裏切りと孤独感に苛まれるレナタ。

そんなある日、レナタはアパート隣人の娼婦アスマラと親しくなり、悩みを打ち明け始めます。保守的な考えを守ろうとするレナタにアスマラは自分の気持ちに正直に行動すべきだとアドバイスをします。その頃からレナタは様々な事件に巻き込まれていきます・・・。

この作品が優れているのは、制作会社や監督は異なりますが『スリープコール』同様、ラウラ・バスキ演じる主人公目線で物語が展開し、そこに制作者がトリックを仕掛けて物語を多面的に広げ、ドラマチックに展開させている点です。どこまでが主人公の目の前で起きた現実的な事象なのか、あるいは主人公の願望する世界が展開しているのか?真実は何なのか?鑑賞者もスクリーンに映し出される事象の真実を見極めようと思いを巡らせることを要されます。それが余計に物語の続きへと作品に没頭させられていきます。

そう考えると、隣人のアスマラの存在も実際の人物なのか、あるいは保守的な考えに縛られたレナタに対して自らの願望に正直なもう一人のレナタなのではないか?と思えてきます。アスマラを演じたのは、アスマラ・アビガイル。ホラー作品『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan)シリーズでごくわずかな登場にもかかわらず印象深い悪魔役を演じた女優です。このためか『いつまでもともに』で妖艶な娼婦を演じる彼女は、自らを抑圧するレナタに「自分の願望のままに振る舞え」とまるで悪魔の囁きをしているかのようにも見えてきます、アスマラの存在は、本心剥き出しのもう一人のレナタを映し出しているともいえます。こうした巧みな構成、作りのなか、ラウラ・バスキは保守的ながら大きな矛盾を抱え苦悶する女性を、自然体で感情豊かに演じています。

『いつまでもともに』について付け加えると、幽霊などは一切登場しないものの、ホラー映画以上に怖い作品に仕上がっています。人間の思考、行動の残虐性が描かれていることもありますが、随所にホラー映画の手法が取り入れられていることも効果をあげている一因です。まさに主人公の心理的な混乱、葛藤にインドネシア映画でのお家芸が効果的に生かされています。

映画『ハートブレイクモーテル』ポスター

また、2024年作品の『ハートブレイクモーテル』も夫の妻への暴力がテーマです。ラウラ・バスキは人気女優アファ役で、レザ・ラハルディン演じるやはり人気俳優マリックと世間注目のなか結婚しますが、アファは夫の暴力に苦しみます。幼少期の父親の家庭内暴力のトラウマもあり、時にパニックも起こします。そんなアファは奇抜な行動で心を落ち着かせていました。それは密かにホテルの客室清掃員マヤとして働くことでした。華やかで注目される芸能界と地味で誰にも気にされない裏方作業。この両極端な世界の間で彼女は精神的なバランスをとっているようです。

そんな折、マヤに扮したアファは宿泊客のラガ(俳優チッコ・ジェリコ)と知り合います。初めは身分がバレないようラガを避けるアファですが、世間体と自分のことしか考えず、暴力を振るう夫のマリックの一方で、穏やかで相手の気持ちを考えるラガに惹かれていきます。華やかな世界に生きる自分と、地味ながら穏やかな気持ちを維持できる世界のどちらが本当の自分なのか。自らのあるべき姿と愛を模索し始める物語です。

以上、3作品に共通するのは、ラウラ・バスキが演じる主人公はいずれも精神的に追い詰められる役、その一方で二面性を持つ役柄であることです。こうした複雑な役を彼女は巧みに演じ分け、いい意味で鑑賞者を騙すことで驚きの終盤への展開に効果をあげる役割を果たしています。

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