[2024/07/07] 世界最古か?南スラウェシの洞窟壁画をめぐって(松井和久)
~『よりどりインドネシア』第169号(2024年7月7日発行)所収~
南スラウェシ州の州都マカッサルから北上し、車で1時間ぐらい走ると、向かって右側、つまり東側に、ニョキニョキとした奇妙な形の岩山がたくさん見えてきます。これはカルスト地形の光景で、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって溶かされ侵食されてできた地形です。その面積は437.5平方キロメートルに及び、中国・広東省のそれに次ぐ世界大第2位の広さとなっています。とくに、南スラウェシのカルスト地帯は、尖峰の塔のような形状をしたタワーカルストが特徴的です。
このため、カルスト地形には洞窟が多く、セメント工業が発展しやすい特徴があります。実際、洞窟の数は、確認されたものだけでマロス県に126ヵ所、パンケップ県に78ヵ所あり、おそらくは500ヵ所以上あると推計されます。一方、この地域では、国営のセメン・トナサ(Semen Tonasa)と民間のセメン・ボソワ(Semen Bosowa)という大手セメント会社が工場を稼働させています。
2004年以降、このカルスト地形一帯は、バンティムルン=ブルサラウン国立公園(Taman Nasional Bantimurung-Bulusaraung: TN Babul)として指定されています。そのなかには、上流に様々な蝶が群れることで知られるバンティムルン滝公園や、歩道が整備されたレアン洞窟(Leang Leang)、多数の手形の付いた壁画があるスンパンビタ古代公園(Taman Purbakala Sumpang Bita)などがあり、マカッサルから手軽に訪れることのできる日帰り観光地として有名です。筆者も昔、家族や友人とともに何度も訪れた場所です。
2024年7月3日、英国のBBCニュースが「南スラウェシで世界最古の洞窟壁画が見つかった」と報じました。これは初めてのことではなく、これまでにも、南スラウェシのカルスト地形から古い洞窟壁画が発見されたとのニュースは何度もありました。洞窟壁画の存在は、古代から南スラウェシで人々が生活してきたことを示しています。
今回は、南スラウェシの洞窟壁画とその周辺情報を取り上げてみます。まず、今回、BBCで世界最古かと報じられた洞窟壁画について説明した後、これまでの洞窟壁画の発見をめぐる経緯、カルスト地形をめぐる南スラウェシ側のこれまでの動き、そして最近のユネスコによるゲオパーク制定などについて、触れてみたいと思います。
南スラウェシ最古の洞窟壁画
これまでの計測で、南スラウェシにおいて最古とされたのは、パンケップ県のテドンゲ洞窟(Leang Tedongnge)で見つかった壁画で、約4万5,500年前と見られていました。ちなみに、世界最古とされる洞窟壁画はスペインのラパシエガ洞窟、マルトラビエソ洞窟、アルタレス洞窟の壁画とされ、約6万4,000年前と推計されています。しかし、動物を描いた物語性のある壁画としては、テドンゲ洞窟の壁画が世界最古と見なされていたのです。
そのテドンゲ洞窟のよりも古い洞窟壁画が南スラウェシで見つかった、と2024年7月3日付のBBCニュースが伝えました。そこでは、マロス県のカランプアン洞窟(Leang Karampuang)で、口を開けた野生の豚と戯れる3人の人間と思しきものが描かれていました。オーストラリアのグリフィス大学とインドネシア国家調査イノベーション庁(BRIN)の共同チームの測定によると、約5万1,200年前と発表されましたが、これが正しければ、動物を描いた物語性のある壁画としての世界最古記録を更新したことになります。
これは科学誌『ネイチャー』に2024年7月4日付で発表された論文ですが、今回の結果には年代測定法の違いが影響していることが示唆されています。『ネイチャー』によると、今回使用されたのは、通常の標準的な年代測定法であるウラン系列法ではなく、レーザーアブレーション・ウラン系列画像化法(LA-U系列法)という新たな方法でした。
ウラン系列法は、壁画上に自然に形成される炭酸カルシウム層を採取し、その中に含まれるウランの放射性崩壊で生じたトリウムを測定するものであり、壁画の最低年代を明らかにするために用いられてきましたが、「炭酸カルシウム層の成長履歴が複雑なために、この手法では、炭酸カルシウム層に覆われた壁画の本当の年代が少なく見積もられる」傾向がありました。
これに対して、レーザーアブレーション・ウラン系列画像化法(LA-U系列法)は、「質量分析計と結合したレーザーを用いて、炭酸カルシウム試料を詳細に分析し、より正確に年代を算出することができる」ということです。
新しい年代測定法を用いて、過去に計測した第4ブル・シポン洞窟(Leang Bulu’ Sipong 4)の狩猟シーンの壁画を再計測したところ、約4万3,900年前とされていたのが約4万8,000年前と約4,000年古いと計測されました。前述の約5万1,200年前とされたマロス県のカランプアン洞窟もこの新しい年代測定法で計測されました。
カランプアン洞窟や第4ブル・シポン洞窟に見られる特徴は、上述した「動物を描いた物語性のある壁画」というものです。そこには、人間(のように描かれたもの)と動物とが交わる様子がうかがえ、この壁画を描いた人物が動物とコミュニケーションをとろうとした物語性が読み取れます。従来は、壁画に物語性は見られないとの解釈が一般的で、スペインなどヨーロッパの洞窟壁画に先んじて南スラウェシの洞窟壁画に物語性が見られた、という点が大きな発見とされます。おそらく明確な言葉も持たなかったであろう5万年以上前の人々が、野生の豚などの動物とコミュニケーションをとろうとしていた可能性があるのです。
ある調査報告によると、こうした貴重な洞窟壁画は、近年のセメント工場の増設やエルニーニョなどの気候変動の影響を受けて、驚くべき速さで風化が進んでいることが示され、今後の持続的な保存が大きな課題となってきています。
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