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往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第98信:人気若手俳優二人の家族ドラマ対決 ~映画『若おじさんと7人の子供たち』vs『無感覚の先にあるもの』~(横山裕一)

〜『よりどりインドネシア』第184号(2025年2月23日発行)所収〜

轟(とどろき)英明 様

年が明けたと思ったら早くも3月まであとわずか、2月末からはイスラム教徒にとっての断食月も始まります。真摯に断食を行なっている人たちには申し訳ありませんが、一日の断食明けにもてなされるこの時期ならではの食べ物、飲み物を今年も愉しませていただこうかと思っています。

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さて、前回までに轟さんが取り上げた映画『やがて、霞立ち込めて』(Kabut Berduri/ 2024年作品)はサスペンススリラーでありながら、様々な面から見応えのある作品でした。物語の謎や不気味さといった効果を高める要素に舞台が群島国家インドネシアで数少ない国境周辺という環境を選んだこと、またそこに在住するダヤック民族の風俗習性、さらには当地にまつわる過去の忌まわしい歴史事件などが織り交ぜてあり、インドネシア映画ならではの興味深さも満載でした。

映画『やがて、霞立ち込めて』ポスター(引用:https://filmindonesia.or.id/)

特に、個人的には約1年前に作品舞台である西カリマンタン州のマレーシアとの国境付近のダヤック民族の取材に行った経験もあり、登場する国境の検問所やスンタルム湖畔の蜂の巣、ジャングルなど臨場感をもって観ることができました。そこで民族的な面からの作品の魅力について少し触れたいと思います。

作品内に登場する国境検問所ゲート
スンタルム湖畔の雑木林

ダヤック民族は広大なジャングルが広がるカリマンタン島(ボルネオ島)で、森と共生してきた民族です。自然や祖先を敬う伝統地域信仰で、木材や食料など必要な分だけ神=自然からいただくという姿勢で人間と環境の共生バランスを保ってきたといえます。映画では相次ぐ殺人事件を通して、パーム椰子の不法な森林開発や人身売買といった問題がクローズアップされ、ダヤック民族にとって子供とともに神聖な森が脅かされるという危機に直面している現状が描かれます、

最初の被害者の一人が地元ダヤック民族の活動家だったことからも不法な森林開発の問題が背景にあることが明らかにされます。公権力を持ち、ダヤック民族からの一方的な搾取、利権を得ようとする外部社会から来た他民族と、それに抵抗するダヤック民族という対立構図が物語の底流に流れていることが窺えます。

ネタバレになってしまいますが、最後に森林パトロールをするダヤック民族のブジャンが殺害事件に深く関わっていたことが明らかにされます。そして彼が主人公のサンジャ刑事に放つ言葉「ここで何が起きているかをしっかりと見極めて欲しい」、この言葉こそが現代においてダヤック民族が外部者から搾取され続けていることに対する怒りを表しています。またサンジャ刑事が人身売買の首謀者を捕らえ、手伝ったダヤック民族の若者が首謀者に暴力を加えようとした際、サンジャが「法で裁く」と制止したことに対する若者の言葉「俺たち(ダヤック民族)は俺たちの法で裁く」も同様です。まさに危機に直面した民族の叫びが描かれているといえそうです。

一連の事件では警察も関わって利権を貪っていたことがわかりますが、事件の背景にはさらに大きな存在があることを伺わせて物語は終了します。この大きな存在としては、過去に赤狩りを実行して以来、治安維持という権力側の名目の下、地域の利権を独り占めしてきた国軍の存在が匂わされています。舞台は西カリマンタン州の国境付近一帯ですが、ダヤック民族にとっての国境はあくまでもインドネシアやマレーシアといった現代の国家が新たに設置したものであり、彼らの生活域は古来より国境を跨いだ広範囲に及び、日常的に親戚との交流などで両国を往来することも頻繁で、民族自身としては国境はあまり意味をなさない存在です。しかし、利権を貪る権力者にとって国境地帯は、イコール中央からも目が届きにくい閉鎖的な辺境地であり、利権のため好き勝手に君臨するのに好都合な環境にあります。

この地方民族の叫びをも打ち消す権力者の存在とその力を示した場面は、轟さんも触れられた、独立記念日にスカルノ初代大統領とみられる銅像前に晒されたブジャンの首からも推察できるのではないかと思われます。一連の事件捜査の面から見れば、真相が濃い霧に包まれるが如く謎が深まるシーンである一方で、長年地方に根付いてきた民族が抵抗しても大きな力で押さえ込まれてしまっている現状が改めて強調されているようでもあります。

さらに象徴的なのがラストのエンディング映像で、狭い水槽の中を大きな魚、アロワナが悠々と泳ぐシーンです。アロワナは背中が真紅で腹は白く、インドネシア国旗を喩えていることが想像できます。アロワナは水面から落ちてきた餌を次々と一飲みに食べていきます。まるで権力者が地方民族の利権を一つも逃さず、確実に独り占めしているように見えます。タイトルでもある『Kabut Berduri』(トゲのある霧)の意味する、深い霧に隠されたトゲ(危険)をはらんだ実態とは何なのか、その答えを表しているようでもあります。この作品はサスペンススリラーという手法により、現代国家が地方民族を蹂躙する実態を浮き彫りにした非常に興味深い作品だともいえそうです。

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さて、ここからは本稿のサブタイトル通り、2025年に入ってからの新作映画で興味を持ったことをお伝えしたいと思います。今年に入って、似たような作品が立て続けに劇場公開されました。1本目が1月下旬公開の『若おじさんと7人の子供たち』(1 Kakak 7 Ponakan)と、その二週間後の2月上旬上映の『無感覚の先にあるもの』(Perayaan Rasa Mati)の2本です。

前者の主演はチッコ・クルニアワン(Chicco Kurniawan、30歳)で、後者はイクバル・ラマダン(Ikbaal Ramadhan、25歳)と両者ともインドネシア映画界では若手の人気イケメン俳優です。そして興味深いのは、物語の設定、内容は異なるものの、いずれも家族の主軸を失った主人公が残された家族のため奮闘する、家族愛がテーマの作品であることです。公開時期がほぼリンクしたことも見比べができて面白いところです。

映画『若おじさんと7人の子供たち』の劇場ポスター
映画『無感覚の先にあるもの』の劇場ポスター

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