【旅行記】京都随一の「縁切り」スポットで祈ってみた
■ 導入
結局のところ、人の縁は神頼みなのだ。何か人間には与り知らぬものが差配しているのだとしか、思えないときがある。
…うん、言いたいことはわかる。決して自転車を漕いでいる最中にトラックに撥ねられて頭を強く打ったわけではない。落ち着いて聞いて欲しい。
寺社仏閣には「縁結び」のご利益を謳うところが多い(トップ画像は京都の縁結びパワースポット相生社)。恋愛や結婚だけでなく、合格や就職などもよい学校や会社と出会うための広義の「縁結び」だとみなして差し支えないだろう。
人の営みが基本的に他者とのかかわりを礎として行われるものだとすれば、世の中には無数の縁結びが存在するのだ。
そういえば、今や日本を代表するアニメーションクリエイター、新海誠氏の大ヒット作「君の名は。」でも、主人公、三葉の祖母がこんなことを言っていた。
「糸を繋げることもむすび」「人を繋げることもむすび」「時間が流れることもむすび。全部神様の力や」
—宮水一葉
cv:市原悦子も相まって圧倒的な説得力のあるセリフである。
■ 切りたい縁もある
さて結びたい縁もあれば、切りたい縁もあるのが人の常。人生経験を積んでも、いや積めば積むほどに切りたい縁も増えるもの。
例えば、なかなか別れてくれない自称サーファーの彼氏。
宗教の勧誘しかしない遠縁の親戚。
人格が破綻した上司。
金の無心目的でラインしてくる中学校の時の友達。
人格が破綻した上司。
昭和の子育て感を押し付けてくる姑。
人格が破綻した上司。
人格が破綻した上司。
そう、人格が破綻した上司とか!
…
……
………感情が先走って申し訳ありません。今回は徹底的にソリが合わず一緒にいるだけで苦痛な上司との縁を切るために、京都の縁切りスポットに行った話をします。もちろんフィクションです。
■ そうだ、京都、行こう
縁を切りたいと願っても、仕事上の関係では自分の力だけでどうにかすることは難しい。そこで神様の力を借りようというのが今回の趣旨なわけだが、縁切りの願をかける場所と言われてパッと思いつく場所は少ない。
最も有名なのは京都の「安井金刀比羅宮」だろう。悪縁を切り、良縁を結ぶと言い伝えられる。その縁起を見てみよう。
主祭神の崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。
また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。
良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。更にお二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただけますのでご安心を。
(出所)安井金刀比羅宮公式ウェブサイト
素晴らしい。
早速行ってみよう(こういうときだけフットワークが軽い)。
京都駅から電車やバスで20分くらい、東山の麓に位置する。鳥居にでかでかと「悪縁を切り、良縁を結ぶ」と書かれていて、信頼できる。
しかし境内に入ってみるとよくもまあ、こんなに縁切りたい人がいるものだと、自分のことはすっかり棚に上げて感心するくらいの人の列。あまりの人の多さにふと考えた。
…もしかして、縁切り力が落ちるのでは?
仮に一つのスポットが縁切りしてくれる力(縁切り力)が一定だとすると、参拝客が増えれば増えるほどその力は分散するはずだ。とすると、100人並べば縁切り力は100分の1になってしまう。
そしてなお悪いことに1日に訪れる人の数はとても100人ではきかないだろう。500人、1000人?私に分け与えられる縁切り力は全体の0.1%ぐらいになってしまうのか。
それでは困る。確実に縁を切りたいのだ。
というわけで、いかにも京都ならではの因縁があり、かつ人が少なそうな縁切りスポットともいうべき、「鉄輪(かなわ)の井戸」に行ってきた。
■ 鉄輪の井戸:縁起
鉄輪の井戸?を聞いたことがないという人でも、「丑の刻参り」なら聞いたことがある人は多いだろう。
丑の刻参り・・・丑の刻(午前1~3時ごろ)に神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形を釘で打ち込む呪術。嫉妬心にさいなむ女性が、白衣に扮し、灯したロウソクを突き立てた鉄輪(鍋やヤカンをかける五徳という金具)を頭にかぶった姿でおこなうものである。
連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬが、行為を他人に見られると効力が失せると信じられた。
要するに藁人形に五寸釘。山崎ハコが歌ってるやつ。地獄先生ぬ~べ~にも出てきた。
全国的な知名度のある丑の刻参りだが、原型となったのは京都・宇治の橋姫伝説、そしてこの呪法を行う定番のスポットが同様に京都の貴船神社と、まさに京都生まれ京都育ちと呼ぶにふさわしい、伝統ある呪いだ。
それがなぜ井戸につながるの?という話だが、これについてはこの井戸を管理している町会のパンフレットに詳しく記述されている。
平安の昔、京都下京に住んでいる女性が、自分を捨てた夫を恨んで貴船神社で丑の刻参りを始めた。悪夢に苦しむようになった夫は、有名な陰陽師の安倍晴明に相談したところ、清明は鬼に変じた女の霊を式神によって調伏し、ついに息絶えたのが「鉄輪井」(かなわのい)だと伝えられている
(鍛冶屋町敬神会パンフレットより抜粋、一部改変)。
鉄輪の井戸に置いてあったパンフレット
…
……
………パッと見の感想、女性が憐れすぎるな。旦那に捨てられて、晴明に追われて井戸のとこで力尽きるとか、踏んだり蹴ったりにも程がある。
だいたい晴明も残業代払わない経営者に味方する悪徳弁護士みたいなことして恥ずかしくないのか。ついででいいから旦那のほう一発ぐらい引っぱたいといてほしい。
なぜか鉄輪の女に感情移入してしまったが、この伝承の伝わる井戸、女性を慰霊する塚、稲荷神社が合わさって現在の「鉄輪の井戸」のスポットが作られている。この井戸の水を相手に飲ますと、相手との縁が切れるといわれ、昔は水を持ち帰る人があとを絶たなかったそうだ。
そういう意味では由緒正しい「縁切り」スポットだが、特に有名というわけでも、キャッチーな見た目でもない。ひっそりとした通りの奥にひっそりと存在する、マイナーなスポットだ。
■ 余談(読み飛ばし推奨)
私がこのマイナーな「鉄輪の井戸」を知ったのは、京都出身、英国在住で京都のディープなエッセイや小説を発表されている入江敦彦氏の「テ・鉄輪」という一連の短編作品群だった。
「鉄輪の井戸」の跡地にカフェ「テ・鉄輪」("テ"はフランス語で茶の意)を開き、鉄輪の女の力を受け継いでしまった不思議な美女「キリ」と、狂言回しの男性「センセ」が繰り広げる怪奇譚。
絢爛な日本語表現から繰り出される直球にグロテスクな世界観が、おぞましくも美しい。呪いのモチーフが覆っている極上のホラー。シリーズの作品群はシリーズタイトルと同名の短編集にまとめられているので、ぜひ読んでいただきたい(宣伝)
■ 鉄輪の井戸で祈ってみた
鉄輪の井戸があるのは京都市下京区鍛冶屋町、目立った観光地もない閑静な住宅街だ。鴨川からは歩いて15分くらい、京都の台所、錦市場と鴨川の中間地点といったところ。
京都はいつ訪れても観光客でいっぱいだが、さすがにこの辺りは人通りも少ない。携帯のマップを頼りに静かな道を通っていく。
目的地も近いはずだ。このあたりに井戸が…
井戸が…
井戸が…
ない。
慌てて戻ると、道沿いに「鉄輪跡」と書かれた石碑が。字がかすれて気づきにくい
しかしきょろきょろ見渡しても、井戸はどこにも見当たらない。もしかして今はこれしか残っていないのか、と絶望していると、横から「入らはります?」との声がした。
見ると自転車を押したおじさんが、戸口を開けて敷地に入るところだった。見上げるとそこには表札とともに「鉄輪の井戸」の文字が。
入口。右上にうっすら鉄輪の井戸と書いてある
私は促されるままに敷地内に入り、人一人がやっと通れる細い道を抜けると、そこに井戸と神社が出現した。
井戸跡
命婦稲荷社。こっちは縁結びの神様
しかし残念なことに井戸の水は枯れてしまっており(前述の「テ・鉄輪」シリーズでは枯れた井戸が復活したことで、主人公の女性が喫茶店を開くことになるのだが…)、隣の手水鉢にはこんこんと水が湧いているが、こちらは井戸とは無関係で持ち帰り・飲用不可だ(飲む人は沢山いるんだろうけど)。
せめてもと、なけなしの500円玉を賽銭箱に放り込んで祈りを捧げて京都を後にした。どうかご利益あれと週明けに出社したら、
同僚がチームをクビになっていた。
結論。やはり、井戸水を飲ませないと効かない。
それでも普通人んちの敷地に入って観光地に辿り着くことなどない。人と神様と化け物が令和の世でも平気な顔で共存する、京都の「魔都」らしさを感じて個人的には満足した。
後日談だが、この訪問から3か月たって社内の体制が変わったことで、ほとんど上司と会う機会が無くなった。もしかしたら遅まきながら効果が出たのか?と解釈している。結局のところ信じるか信じないかは…という話なので、くれぐれも自己責任で試してみてほしい。
※鉄輪の井戸自体私有地っぽいところにあります。周辺には人家も多いため、周辺住民のご迷惑にならないようお参りください。
※重ねて断っておくが、この物語はフィクションだ。そういうことにしておいてくれ。
ここまで読んでくださりありがとうございました!