【旅行記】アユタヤの哲人
■ はじめに
初対面の人に話せる、余所ゆきの趣味として旅行を挙げるようになって、どれだけ経つだろう。
ロックバンド、"くるり"に「ハイウェイ」という曲がある。映画「ジョゼと虎と魚たち」という映画の主題歌になった曲で、くるりの曲では2番目に好きな曲だ(1番は「京都の大学生」)。
この曲は、
「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって」
と始まるのに、
「僕には旅に出る理由なんて何ひとつない」
と〆てしまう。
どっちなんだよと思うが、翻って考えると、なぜ自分が旅に出るのか、その理由をクリアに説明するのは難しい。
体験か、贅沢か、それは他の余暇とどう違うのか、旅だけが特別だという直観を裏付けるものは何なのか。もちろん人それぞれ答えはあるだろうし、そもそも深く考える問題ではないのかもしれない。
あくまで私の場合、旅に出る理由の一つには、5年前のこんな出来事が大きくかかわっているように思う。
■ 象徴としてのバンコク?
2015年のことである。会社の夏休みを利用して、タイのバンコクに行った。
泊まったドミトリーには中国、フランス、アメリカなど世界各国からの貧乏旅行者が集っていた。
常日ごろ一人旅を心がけている(決して一緒に旅行してくれる友達がいないからではない)私は、当地の旅行者たちとたちまち意気投合した。
韓国人と深夜に酒盛りをして宿のオーナーに怒られたり、ドイツ人・アルゼンチン人の遠距離カップルと週末に立つ市場に出かけたりした。
アルゼンチンから来た彼女は、夜トゥクトゥクに乗った際に「(映画の)ハングオーバーみたい!」とはしゃいでいたのをよく覚えている※。
※正確にはバンコクが舞台になったのは「ハングオーバー2」である
カオサン・ロードがバックパッカーの聖地としての地位を揺るぎないものにしてからどれだけ経ったのかわからないが、欧米の人々にとっての、旅の非日常を象徴する何かは、いまだバンコクにあるのかもしれない。
いや、よく考えてみると、バンコクの非日常という象徴性は近年むしろ増しているのではないか。
ここ数年でバンコクには高島屋もでき、空中を縦横無尽に歩行者用道路と鉄道(スカイウェイ)が走る。
かと思えば個別に料金交渉が必要なトゥクトゥクが道路を埋め尽くし(今ではGrab:東南アジア版のUberで料金が決まるのかもしれないけど)、河には雑然とした市が立つ。エキゾチックな寺院には日夜詣でる人が後を絶たない。
伝統と近代が絶妙に住み分けるでもなく入り混じる世界に、暇を持て余した旅行者は惹かれるのかもしれないな。
スカイウェイ
週末にだけ立つチャトゥチャック・マーケット
爆発テロが起こったエラワン・プーン廟
■ アユタヤの哲人
結論から言うと、なぜそうなったのか、はっきりとした経緯は覚えていない。なんとなく、としか言いようがない。
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バンコクのバスステーションからすし詰めの乗合バスで1時間半ほど北上すると、アユタヤ県の旧市街に行きつく。
アユタヤといえば世界遺産にも登録されている一連の遺跡群(「古都アユタヤ」)が有名で、バスには同様に遺跡をめざすであろう旅人たちがいた。
ところがバスを降りると、そこには道路と原っぱしかなかった。そして我々に群がる現地のドライバーたち。
単純に状況を整理すると、自分が乗ったバスは遺跡群まで直行しないこと、
バスの停留所から遺跡群にはタクシーやトゥクトゥクが必要になることは簡単に理解できた。
停留所でしばしシンキングタイムに入った旅人は私含めて3人。
そのうち些か不健康に見える程こんがりと日焼けした男は観念したように一人タクシーに乗り込み、私ともう一人、顎にたんまりとひげを蓄えた、古代ギリシャの哲人風の男が残された。
留まっていても埒が明かないので、2人でトゥクトゥクをシェアしてとりあえず遺跡まで向かおうという話になった。
最初の目論見だと、遺跡の残る公園の入り口に着いたらあとは分かれて勝手に行動、となるはずだったのだが、いつの間にか、トゥクトゥクを終日チャーターして回ってもらおうという話になった。そうなった経緯は今では覚えていない。
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道中トゥクトゥクの座席で、あるいは遺跡をぶらつきながらいろいろな話をした。
哲人はドイツ出身で、今はマレーシアの電力会社で働いているという。ちょうど私も当時東南アジアの新エネルギーの調査をしていたので、地熱発電とかの話をした。そんな盛り上がり方があるか。
外見こそソクラテスみたいな面だったが、そんなに年が離れていなかったと思う。アジア人が若く見られるだけかもしれない。
さて、アユタヤの遺跡は比較的保存状態がよく、綺麗に修復されている。保存の観点では直すのがベターなのだろうが、時間の経過による不可避の変化をリセットしてよいのだろうか。
そんな疑問をぶつけても、哲人は極めて思慮深く言葉を選びながら答えてくれた。この議論がどんな着地を見せたかは、もう覚えていないけれど。
昼はそこらへんに点在するレストランに入ることはせず、屋台で串焼きのようなものを買って食べた。二人とも「深夜特急」ばりの貧乏バックパッカーではないどころか、ちゃんと働いている身なので金に困っていたわけはないのだが、なんでだっけ。
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帰りの道、今度は遺跡からバンコクに直行する乗り合いバスの窓から、空にかかる虹が見えた。
バンコクのバスステーションに着くと、私は件の遠距離カップルと夕飯に行く約束があったので、そこで別れることになった。
哲人は私に握手を求め、「君は最高の旅の仲間だった」と言ってくれた。
私は何を言ったか忘れたが、何かしらいいことを言おうとしただろうことは想像に難くない。
不思議なことに、最後まで二人は互いの名前も聞かなかったし、SNSのアカウントも知らない。自撮りする習慣もなかったから、今では顔もはっきりとは覚えていない。
■ おわりに
別にプライバシーを秘匿する主義でもないし、一期一会を気取ったわけでもなかったが、結局彼と再び会う機会は失われてしまった。
それでも、旅をする限り、もしかしたらまた会うかもしれない。この「かもしれない」こと、ゼロでないことが実は重要だったりするのだ。
普通なら会うはずのなかった人たちとほんのひと時を共有する。こういう経験ができるのなら、私は何度でも旅に出るだろう。
まあ、
相手が美人だったら、なおのことよかったが。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
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文中歌詞「ハイウェイ」(作詞:岸田繁)