pure cold water

○喉の乾きを潤す一杯の水が如く


〈問題〉ダダダダーン!!!

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〈問題〉

(     )後、
うんめえええええ!からの、
ふぅー、と一息ついた。


ア)寝起きで水を一杯飲んだ
イ)カレーを食べて一服した
ウ)その他、自由解答


)を選んだあなたは、とても素直な方です!あなたのそのままの真心を今後も抱き締めながら歩んでいつてください!ゆるーーーく応援してゐます!

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)を選んだあなたは、自然とともに生きることができる自由闊達な方です!ご自身が自然もしくは宇宙の一部であると認識できたとき更なる力が発揮されるでせう!どうか前提をお間違へないやうに!

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 そして今日も文章の散歩中である。
 行く先はある。しかし、迷子ではある。
 只………迷子になることは多い。
 実際外を歩いてゐるときなどもよく迷子に「なりたがつて」ゐる。
 そんなときに思ひ掛けず出会ふもの、、、。

 これは東池袋から江戸川橋方面へ下つてゐる途中の護国寺あたりの裏路地にて詠んだ歌である。(2014年)

  道ばたに名もなき花の整ふも
     だれ人知れず愛づるおもひを

 縁側で日向ぼつこしてゐる猫ちやんにも出会へました。(同年)

  雪解けの日向ぼつこの猫見つめ
     冬の日差しの穏やかなるを

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 「散歩中」の「迷文」はまだ続く。
 そして、新宿駅の出口並みにむずい文章でお馴染みの批評家小林秀雄(1902~1983)の『モオツァルト』の一節へと繋がる。

 もう二十年も昔の事を、どういう風に思い出したらよいかわからないのであるが、僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。僕がその時、何を考えていたか忘れた。いずれ人生だとか文学だとか絶望だとか孤独だとか、そういう自分でもよく意味のわからぬやくざな言葉で頭を一杯にして、犬の様にうろついていたのだろう。兎も解、それは、自分で想像してみたとはどうしても思えなかった。街の雑の中を歩く、静まり返った僕の頭の中で、誰かがはっきりと演奏した様に鳴った。僕は、脳味噌に手術を受けた様に驚き、感動で懐えた。百貨店に馳け込み、レコオドを聞いたが、もはや感動は還って来なかった。(中略)ほんとうに悲しい音楽とは、こういうものであろうと僕は思った。その悲しさは、透明な冷い水の様に、僕の乾いた暇をうるおし、僕を鼓舞する、そんな事を思った。

(小林秀雄『モオツァルト・無常という事』,
昭和三十六年,新潮文庫,12~14頁)

 小林氏のいふそのいはゆるト短調シンフォニーとは以下で、バースタインとカラヤン両指揮者の演奏を載せますが、どちらがお好みでせうか。お時間許すときに是非。
わたしは第三楽章のオーボエのソロ(脳内にお花畑が広がる…🥺)及び第四楽章の静かなバイオリンソロが好みでした。そしてどちらかといふと…この曲ではバーンスタインかなあ。


○純粋な冷たい水を追ひ求め

 さて、「pure cold water」である。

 『内村鑑三』や信時潔氏を主題に掲げた日本文化論でも有名な文芸批評家であり元都留文科大学副学長をされた新保祐司(1953~)先生の文章をここで拝借する。
これから引用するご著書は、『フィンランディア』が名高い作曲家シベリウスが持ち合はせてゐた「清潔さ」「清けさ」「自然への帰依」「国をおもふ激情な叫び」についてを、本居宣長をはじめとした先人たちの日本精神との結合点、類似点を探つた本である。
その上で、「求める一杯の水」の説明を以下のやうに始める。

 セシル・グレイは、イギリスの評論家(一八九五~一九五一年)で、シベリウス研究の世界的権威であるが(中略)その著作の中の、第六番の交響曲を論じた章で、グレイは、シベリウスの「他の多くの現代作曲家たちは、あらゆる色合いと銘柄のカクテルを作るのに忙しかったのに対して、私は聴衆に、純粋な冷たい水(pure cold water)を提供した。」という言葉を引用した上で、(中略)この交響曲は、シベリウスの音の泉からかつて流れ出た最も純粋で最も冷たい水(the purest and coldest water)である、と書いている。
 実にすばらしく的確な批評である。シベリウスの焦燥の根源にあるものを衝いている。私が、シベリウスを愛好した所以である清潔さとは、この「純粋な冷たい水」ということであった。
このような水に、私は渇いていたのである。「凡そわが弟子たる名の故に、この小き者の一人に冷かなる水一杯にても与ふる者は、誠に汝らに告ぐ、必ずその報を失はざるべし」(マタイ伝第一〇章四二節)。私は、この「小き者の一人」であり、シベリウスの音楽は、「冷かなる水一杯」であったのである。

(新保祐司『シベリウスと宣長』,
平成二十六年,港の人,11頁)

 この文章はさらに先の小林氏の「ほんとうに悲しい音楽とは〜」へ接続され、続ひて新保先生が渇望してゐるものへと筆を進める。

 (小林氏の言ふ)
 この「透明な冷たい水」は、「pure cold water」に通じるものであろう。音楽が、人生の危機において、あるいは精神の渇きの状況において、どのように聴かれるものなのかを示している。
 翻って思うに、戦後六十余年とは、「あらゆる色合いと銘柄のカクテル」が量産された時代であった。そこに一番欠けていたのは、「純粋な冷たい水」に他ならなかった。私が渇望していたものは、「純粋な冷たい水」であったが、周囲には、「あらゆる色合いと銘柄のカクテル」と「熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温(ぬるき)」(ヨハネ黙示録第三章一六節)「水」ばかりがあふれていたのであった。
 (中略)
 これから、シベリウスについて書いていくということは、たんにフィンランドの作曲家シベリウスの人と音楽を地評する仕事にとどまるものではない。私がこれを書くのは、否応なしに戦後の日本に育ち、否応なしに今日の日本に生きざるを得ず、そこにあふれている「カクテル」とぬるき「水」に吐気を催している「小き者」の小き群れの人々に、「冷かなる水一杯」をもたらさんがために他ならない。

(同,12~13頁)

 この「pure cold water」=「純粋な冷たい水」のお話は、私にとつてまさに寝起きの一杯の如く体中に染み渡つてゆくのがわかつた。そして今もわたしの大事な指針のひとつである。
ただ、新保先生の仰るやうな「人々にもたらさんがための水」、ここまでは、未だ「結露」してゐない。しかしながらその精神を胸の奥へ抱き寄せ、山に降つた雨が川へ流れ出るが如く…
そんな日々が、いづれ来るでせうか。
どちらにしても少量の水を携帯しながら今後も歩みをつづけ、自然な喉の渇きを潤し、そしてまた、わたしは歌ふであらう。


最後に、
二〇一五年に生まれ故郷にて詠んだ歌です。

  故郷や都の空気をふり払ひ
     手にとる水の まこと冷たし


さらに黒田官兵衛が築城した大分県にある中津城での一首。

  中津にて水のごとしと身をまかせ
     あゆみつづける湯花もとめて

たまたまプロジェクションマッピングの撮影中で
煌々と照らされてゐた中津城
(令和四年二月筆者撮影)

歌集制作中です!
先んじて「あとがき」を公開してをります!˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚


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