主婦の日記(マカロンとペンギン)

9月14日(木)

 

 未尋くんが東京に行ってきたらしい。

 地元には五年に一回くらいしか帰らないのに、東京には友達に会いにちょくちょく行ってるみたい。

 いいなあ、私も行きたい。無理だけど。東京なんて十年以上行ってない。

 あきくんと付き合ってたときはよく東京に行った。兵庫出身の埼玉住みで一度も東京に住んだことないのにすごい東京人っぽいオーラ出してた人。皇居の周り散歩して霞が関でお弁当食べるっていうエリートサラリーマンの休日みたいなデートしたこともあった。

 あの人と結婚してればいまごろ東京に住んでてちょっとしたセレブになってたかもしれない、と十年以上経ってもたまに考える。こういうのはたぶん一生忘れないんだろう。

 昔から恋愛体質で恋愛中心に物事を考えてきたから、考え方も好きな映画も音楽も付き合う人が変わるたびにころころ変わった。レゲエの次はクラシック、フランス映画の次は戦争映画。自分の好みは関係なかった。戦争映画好きはけっこう長かったから武器とか戦車の名前にかなり詳しくなった。もう全部忘れたけど。

 だから東京にもすぐ染まれると思ってた。あきくんと結婚したらきっと私は埼玉の社宅に住んでても東京住みって言ってただろうし、月に一度はホームパーティーして、子供は私立の小学校に入れて毎日塾や習い事に通わせて、ディズニーランドの年間パスポートを買って週末にパレード見に行ったりしていたんだろう。

 都会的な生活にずっと憧れていたし、東京に行けばそういう生活に馴染めると思った。それはとても充実していて楽しそうな気がした。でも行けなかったからいまもここにいる。三十五年以上、ところどころは変わっても全体的にはほとんど変わっていない景色をもう見飽きたと思うことはしょっちゅうある。

 でも東京に行ったら行ったで、きっと疲れ果てて一年もしないで帰りたくなっていただろう。東京に行くかもと友達にこぼしたとき、東京の電車乗れなさそうだよね、と言われたことがある。

その通りだ。何回通ってもあの複雑すぎる路線は頭に入らなかった。それに私は本来引きこもりで本ばかり読んでいて、パーティーなんか全然好きではない。もし東京で忙しい生活をしてたら、本を読む時間はあっても、たぶん小説は書いてなかった。

 あのときは書き手になることなんて考えもしなかったけど、小説を書きはじめて、初めて恋愛以外で人生が変わったと思えた。そういうものに出会えたことが奇跡だ。

 未尋くんにお土産何がいいか聞かれて、てきとうにマカロンと答えたら意外とマカロンが見つからなかったらしく、東京駅を走り回って探したらしい。マカロンてそんなに見つからないものなのか。それとも未尋くんの目に留まらなかっただけなのか。別にチョコでも東京バナナでもなんでもよかったんだけど、私のために探し回ってくれたのが嬉しい。

 マカロン探してるとき、私に似たペンギンのぬいぐるみを見つけたとも言ってた。

ペンギンに似てると言われたのは初めてで、ちょっと笑った。

 

9月15日(金)

 

 朝、かに風味サンドを作った。

石田五郎さんの『天文台日記』という日記本に出てきたメニューだ。ほぐしたカニカマにみじん切りにした玉ねぎとカレー粉とマヨネーズを合わせて、トーストに挟む。けっこうおいしい。リピートしたくなる味だ。

 昼前に図書館に行って小説を二冊借りた。ここの図書館はほとんどセルフだ。予約した本を予約コーナーから自分で探し、借りるときは貸出機に本を置いたら機械が自動で読み取って貸出票を出してくれる。服屋のセルフレジみたいに、気軽に本を借りれるのに感動した。レファレンスコーナーがいくつかあってカウンターに司書さんが一人ずつ座っているが、みんなそれぞれ仕事をしていて忙しそうだった。

 一階のカフェでアイスコーヒーを注文。大きなガラス張りの窓から外が見えるようになっている。広めにとられた席の横に誰も弾かなさそうなピアノがどんと置いてある。飾りだと思っていたら、いきなり五歳くらいの男の子が椅子に座って弾き出した。何の曲かわからないけど楽しそうに弾いていた。そこにいる人たちみんな微笑ましそうに見ていて、私ものほほんとした気分でコーヒーを飲んだ。

 野菜をたくさんもらったからとりに来てと母が言うので、実家に寄ってじゃがいもとかりもりという巨大なうりみたいな野菜をもらった。かりもり。初めて聞く名前だ。響きがかわいい。皮は固いから切って食べたほうがいいと母が言っていた。

 夜、じゃがいもとかりもりと豚肉の炒め物を作った。それからおつまみ程度に、料理動画でチェックしていたかぼちゃもちも。炒め物はいまいち写真映えしないから、かぼちゃもちだけ何度か角度を変えて撮って未尋くんに送った。

 すぐに『めっちゃうまそう!』と返事が返ってきた。それだけで満足。

 かぼちゃもちは甘くて弾力があり、一つ食べただけでもお腹が膨れる。絡ませた醤油ダレも、簡単なのにおいしい。かりもりは太りすぎたうりのような見た目からしてズッキーニみたいなものかと思ったら、火を通すと最初の巨大さが嘘みたいに小さくなった。見た目はじゃがいもに似てるけど、食感はどちらかというとキノコっぽかった。明日は漬物にでもしてみようか。

 

 

9月16日(土)

 

 カレーを作って家を出た。たくさん作ったからと、瑛太のお義母さんのところに持っていったら喜んでくれた。

 5時半に未尋くんと待ち合わせ。夜出かけることなんて半年に一回くらいだから、いつもと違ってなんとなく落着かず、そわそわしてしまう。

 未尋くんのマンションの近くにあるおしゃれな居酒屋に入った。

 入口がアーチ型になっていて、扉に店名が書かれたのれんがかかっている。テーブル席がいくつかと、奥にカウンター席があった。

 カウンターにはガタイのいい大将と、金髪の若い女性店員がいた。常連っぽい雰囲気の男の人がカウンターで日本酒を飲んでいて、後から入ってきた女の人が男の人の隣りに座った。時間差で店に入ってきて、しかも年の差がありそう。不倫カップルかなと、ついクセで観察しまう。

私たちも九歳差だから、もしかしたら同じように見られていたのかもしれない。

 生ビールと、だし巻き卵、馬刺し、魚のユッケを頼んだ。初めて食べる魚のユッケは、ごま油がきいたタレとユッケの組み合わせが絶妙だった。金目鯛の煮付けも追加で注文。こちらも食べたことないくらい柔らかくて、おいしいおいしいと二人で連呼していた。

 大将と金髪のお姉さんが夫婦だと聞いて驚いた。どう見ても二十歳差くらいはありそうだったから。

 福井で大将がやっていたお店にお姉さんがバイトで入ってきて、こっちに来て二人でお店を出すことになり、それで自然と結婚の流れになったとか。素敵な馴れ初めだった。

 たまに何人かで集まって船を出して、捕れたばかりの魚が夜お店に並ぶこともあるという。二人が喋っているわけでもないのに、カウンターで隣りに立っているだけで仲のよさが伝わってくる。年の差なんて関係ないんだろう。理想の夫婦ってこういう二人だなあと思った。

 料理がどれもおいしくて、ビールが止まらなかった。雷が鳴りはじめたからお会計したけど、もっと長くいたかったなあ。

これほど居心地のいい店にはなかなか出会えない。

 帰り際、お姉さんがお土産にと言って深緑色の小さな巾着をくれた。匂い袋だった。中を開けるとふわっとお香の匂いがした。この匂いをかいだらここのこと思い出してね、とお姉さんがにっこり笑う。また来ますと言って店を出た。

 また来たいけど、次に来るのはいつになるだろう。私はめったに夜出かけられないし、未尋くんは平日休みでたまたま土曜日に休みがとれただけだ。

 子供が大きくなったらもっと自由に外に出られるようになるんだろうか。そもそもそれまで未尋くんと続いているんだろうか。

 未尋くんはまだ若いし結婚も考えてない。でもそのうち若くてかわいい子がいたら私に興味がなくなって、あっさり乗り換えてしまうかもしれない。二人で写真も撮れない、手も繋げない、旅行にも行けない。こんな不自由な恋愛より、何の弊害もない同年代の女の子といたほうが楽しいに決まってる。

 私のどこかいいのなんて、十代の女の子みたいなことを聞くつもりはない。でもいつまでも続かないことだけは、はっきりとわかる。

きっといつか、ここからも逃げ出したくなる。私か未尋くんか、どっちが先かはわからないけど。

 明日になったらまた日常に戻る。洗濯して掃除してスーパーで買い物して、料理を作って家族の帰りを待つ。頑張っても褒められることはない。

 瑛太は疲れたときによく

「毎日気楽でいいなあ。俺も遊びたい」

とぼやく。最近は子供たちまでその口調を真似するようになった。

 悪気がないのはわかってる。こんなのはただの害のない軽口だ。だからこそ少し傷つく。毎日褒められたいわけじゃない。ただ、いちばん長く一緒にいる家族にそう思われているのが、たまにどうしようもなく虚しくなる。

 未尋くんと別れて家に帰ると、瑛太と子供たちが三人でゲームをしていた。

 テーブルにマカロンの箱が置いてあってギクリとした。お義母さんがカレーのお礼にと持ってきてくれたそうだ。

 びっくりした。ただの偶然。深い意味なんてないんだろうけど、もしかしたら何かあるのかも、と。

後ろめたさがあるから、そんなことを考えてしまう。未尋くんのお土産のマカロンを食べる前でよかった。

 マカロンは明日食べることにして、箱ごと棚にしまっておいた。

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