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「色彩を知らない私は森田研究室に出会った」 第14話 代名詞、作業着とあだ名

森田研究室に所属することが決まってからいつの間にか時間が経ってもう12月に入ってしまった。相変わらず先生のゼミと意味が分からない森田塾は続いているのだけれど、私はあまり積極的に参加をしている方ではなかった。
 
 一応、あの後も本の引継ぎ資料作りには何度か研究室を訪れ、そしてそれを森田塾で発表した。同期が作ったものももちろん見たし、感想を求められたときはそれなりのことを答えた。
 
 ただ、なんというかなんだろうか。どこか本気になっていないのを感じる。
 
 理由の正体は多分、やっていることに意味がないからだと思うから。でもそう思うだろうと思う。大抵の人は意味のある事を好むのだから。だから森田塾に参加している4年生もいつものメンツと言えばその通りで、森田研に所属している全員が全員、森田塾に参加しているわけではない。
 
 必ずイガさんだけは毎週やってくるのだけれど。
 
 初めてプレゼン資料を作ったことが終わるとそこから塾で出された課題に対して基本的に全て作って発表という形に変化していった。
 
 例えば大学に入るまでの自分史をまとめたものをその資料に起こし直して発表したり、細かいことまでは覚えていないのだけれど、ことあるごとにそれを求められることになった。
 
 マインドマップと呼ばれる物も作った。これは一つの事から連想して次へどんどんと繋げていくいわば「連想ゲーム」のようなもので、例えば中心に「松下一成」と私の名前を書いたとするとその隣には「森田研究室」その隣には「企画係」・・・といった感じでどんどん繋げて書いていく。
 
 それもまたプレゼン資料に起こし発表することになる。
 
 当時の私はこの時点で自分のPCを持っていなかったため、研究室にある共有のパソコンの前で何かを作るしかなく、騒がしい研究室の雰囲気の中で作るのを何回か繰り返した。
 
 そのざわつきに耳を澄ませているとどうやら2月に行うOB会の話も進んでいて、今はOBの方々に送る案内を制作しているらしい。そして更に新4年生には何かしらの事をやって欲しいとのことらしく、新4年生の紹介movieを作るみたいな話も出てきた。
 
 そしてこの時期、手に入れたものが2つある。
 
 1つ目は森田研究室の「作業着」である。
 
 これは背中に「森田研究室」と刺繍で刻まれている物で、研究室に所属している全員持っていて全員が着ている。もちろん先生もイガさんも。そしてこれに憧れてというかそれを着たくて森田研を選んだという同期もいるくらい。実際、私も1年生の時から見たことが有るし知ってもいる。
 
 それを11期生も揃える時期にやってきた。
 
 サイズ感を確かめるために4年生から借りたり、字体をどうするかなどの相談をし、発注は総務が出すことになった。
 
 もう1つは「あだ名」である。
 
 あだ名というか森田研究室は例え森田先生であったとしても「○○君」とか「○○ちゃん」という呼び方を4年生も院生も3年生に対して徹底していた。私も気が付くと「松下君」から「まっつん」へ呼び名が変化した。
 
なんやかんやでいつの間にか年末年始。大抵の人は帰省をして家族や懐かしい友人と過ごす時間になると思うのだけれど、私の場合は部活等もあったため日数も少なく、三が日が過ぎて直ぐにまた帰ってきた。
 
 1月になると研究室は一気に忙しい雰囲気を出し始めることになる。まず、4年生は研究論文の本格的な作成に取り掛かり、それに際した実験も多くなる。そして同時並行して「実験の引継ぎ」も本格化していった。
 
 私もペアになったもう1人と自分が今後行う実験内容について引継ぎを行う日々になった。そしてもちろんの事それの経過を先生にゼミで発表するため、当然資料作りをしなければならないのだけれど、それが週2本。そして森田塾の課題もあったため、最低でも週3本くらいの資料作成に追われることになる。
課題もよくわからないのが増えてきた。
 
1月の森田塾で行った中に有ったのが「テスト」だった。
 
 座っている目の前に2種類のテスト用紙が置かれる。内容は「森田研」についてと「小学校5年生の理科」だった。
 
 森田研のテストの内容は例えば「森田先生の誕生日はいつでしょう?」とか「イガさんの出身地はどこでしょう」とかいうもの。当然のことながら答えることが出来ずに全員が1点。貰った1点は「自分の名前が書けたから」とのことだった。
 
 そして次に理科のテスト。内容は小学5年生のもので内容時代は正直余裕だった。しかし採点の結果、答えが合っていたとしても答え方が間違っていたらしくこれも点数は低め。例えば答えが「食物連鎖」だったとすると「食物れんさ」と書かなければいけなかったらしい。
 
 この2つのテストは院生がキチンと説明してくれたのを覚えている。
 
「君たちは森田研という物を全然知らないっていうことと、小学5年生の気持ちになって答えるってことがわかってなかったってことだね」
 
 言われてみれば確かにそうではある。特に言い返すことも出来ずに受け入れることに。
 
 そしてこのくらいの時期にもう一回、本のまとめという課題が出されることになるのだけれど、その課題の中に森田研究室にとって重要な柱となるものが具体的に含まれていた。
 
それが「人間の気質」だった。
 
 私がまとめた内容ではなく、同期がそれを発表しているのを何となく眺めていたのものあってかこの時点では「そもそも人には4つ気質が有って・・・」ということくらいしか分かっておらず「ふーん、そういうのがあるんだぁ」という感想しか出てこなかった。

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