「色彩を知らない私は森田研究室に出会った」 第27話 共育
「・・・ということをやってる感じかなぁ」
研究室の見学に来た3年生に自分のやっている研究を説明する回数がだんだんと増えてくるようになった。世間話もするし、他の研究室はどうなのでしょうか。という質問も来るようになる。とはいえ他の研究室の事なんか全然わからないもんだから答える事なんかできないわけで。
もちろん、教科書の作成は継続しているのだけれどこれがまた中々。
教科書関連の本は3冊作ることになった。教科書・テキスト・指導書である。前の2つは何となく理解できると思うがこの指導書は言わばやる側の教科書。学校の先生が持っている教科書に近い形。だから何のためにこれをやっているのかを明確化した物を書かなければならない。
そうすると言わずもがな今まであんまり知らなかった他の「軸」についてもやらなければならず、気質と同様にまた本をまとめるということが始まった。
本をまとめて、それでまた見て貰って・・・の繰り返し。
そうやって繰り返していくうちに形が徐々に見え始める。見え始めたところに今度は院生から意見が飛んでくる「わかりにくい」「もっと見やすくした方がいい」「自分たちの事だけ考えて作るな」とか。
挙句の果て言われたことが
「まっつんは将来、文章を書く仕事には就かない方がいいよ、下手だから」
とまで。
ここまで言われる筋合いはない。だって実際にやっているのはこっちなんだから。と思うし。けれど何かこちらが言うと「先輩の言うことは絶対!」と返されてしまって、もうこっちは何も言い返せなくなってしまうわけで。
この辺りから私と院生が度々ぶつかることが増えていった。というのも院生には院生が思っていることがあってそれが「研究室で作ることはみんなで作る」ということだったと思う。対して私としては「出来る人たちで作るしかない」というのが意見。
要するに院生は「全員でやって欲しい」のに「まっつんと数人でやってもしょうがないでしょ」というのがあったわけで。なんとなくわからなくもないが、それに振り回される側としては結構大変で。
そんな雰囲気の中、数日間私は北九州へ行くことになった。
なんで急に。と思うかもしれないが会社の内定者懇談会みたいなのが開かれるらしく、それに出席するためである。実は私と同じ会社を同期と院生が受けていて、同じように内定をもらっていたのでその人たちと一緒に行くことに。
そしてこれは偶然なのかもしれないが、私に作業着を渡してくれた人もまた北九州で働いている。そうなれば会わないわけにはいかないだろう。私は会社の人事の人に「会いたい人が居るので帰りの飛行機のチケットを1日だけ遅らせてもらえませんか?」とお願いをすることに。
今考えてもこれって結構凄い事言っていたなと思う。
学生の都合で会いたい人が居るからとかそんなの通るはずがないでしょ。と思うのが普通なのだけれどその人事の人は「いいですよ。宿は自分たちで取りますか?」とまで聞いてくれた。
もちろん対応してくれたのはあの最初に手招きしてくれた人事の人。あとで会社に入った時、「あの時はありがとうございました」とお礼を言うと「何のこと?」といわれてしまったけれど絶対に覚えていてわざとそう言ったのだろう。
そんなこんなで私を含めた3人はスーツで空港に向かうとそのまま北九州へ行き、当時の会社の本社に行くことになった。
内定者懇談会というのは何というか顔合わせである。どんな人が居るのかとか、どういう人が来るのかとかそんなの。それで事前に送られていた自分で記入して作るタイプの名刺を持ってきてお互いに交換し合うみたいなのもやった。
それが終わった後、他の人たちはそれぞれ帰宅することになるのだけれど、私たちは卒業した院生が住んでいるアパートへと向かった。この時の記憶はあまり覚えていないもののその人の家で研究室について色々話をしたのだと思う。
こういう時は懐かしい思い出話に浸る。なんて言うのが割とありがちだけれどこの時まだ教科書、環境論文、卒業論文とやることが見えてしまっていたためそんな気持ちにはなれない。挙句の果て「北九州に行った様子をプレゼンでまとめてゼミで出しなよ」と言われてしまうわけで。
やることが増えてしまった内定者懇談会だった。それが終わって帰ってくると森田研究室で教科書作りに戻った。
そしてイガさんに言われたことは
「新しいことなんか入れないとね」
だった。
前の年、つまり私たちがやった内容をそのまま持ってきて12期生にやらせることは誰にだって出来る話で。森田研究室としては新しいこともしなければいけないだろうという話になってきた。
「新しい事ですか」
新しい事と言われても何も思いつかない。だからとりあえず気質を考えてその要素を入れた課題というか授業をいくつか提案するものの「全く考えてないよね」と言われて突き返されてしまう。
だんだん下宿先に帰らない日々になっていき、気が付くと研究室の自分の場所に寝るスペースを確保して眠るようになっていった。帰るときは洗濯とかシャワーとかそういう時だけ。それで深夜とかにゲームとかをして遊んでいたら「ゲームしている暇なんか無いですよ」とホワイトボードに書かれてしまう始末になる。
何となくわかると思うが、この時からだんだんと追い詰められてきて逃げ場が無くなって来てという雰囲気になってきた。もちろんそれと並行して実験や卒論もあるし、プラスして3年生や部活のこともある。
そんな状況の中、また次のイベントが待ち構えていた。