「色彩を知らない私は森田研究室に出会った」 第15話 見え始めるもの
「企画を考えて欲しい、まっつん」
ある日の事、総務に急にこう言われた。
「何、急に?」
「OB会でやるやつ。企画でしょ?」
まあそれはそうなんだけど。
「じゃあ、とりあえず4年生に相談してみる」
そういうと私は本の引継ぎを一緒にやってくれた人の元へ向かい、相談することにした。話をするとビンゴゲームとかくじ引き大会的な物を昨年は開催したらしい。でそれをやることが毎年恒例になっているとのこと。
「じゃあそれをやればいいんだ」
すると悩むものが1つ出てくる。ビンゴゲームの紙とビンゴの番号を出すことはそんなに難しくない。大事なのは景品である。当然このビンゴゲームはただのゲームではなく、森田流に染まり切っている。
つまり景品にネタみたいなものを仕込んだ方がいいと教えて貰った。
説明するまでも無いが、ビンゴは出た数字のマス目に穴をあけていき、縦、横、斜めのいずれかの列が揃えばビンゴ。つまり景品がもらえるという物である。そのためこれはある意味「揃っている」ということを自己申告しなければビンゴかそうでないかが分からないということもである。
何を言っているか分からないかもしれないがこれを森田流に置き換えた時、先生に当たる様に参加者全員が空気を読んで当たっていても当たっていないみたいな感じにするのである。
これだけ聞くと、ものすごい上の人達からの圧力がかかっている忖度企画のように見えるかもしれないがそんなことは無く
「ビンゴゲームという名の先生に渡したいものを渡す的なイベントね」ということらしい。
だから景品も豪華な物ではなく例えばスポンジ1個とかそういう「笑い」的な意味を相当含んでいる。渡されたものを使って壇上で一発芸をするとかそんなのも起きるらしい。
つまり、あんまり当たりたくない企画ということである。
私は院生の方に車を出してもらい、有名な大手ディスカウントショップに向かった。そこで麻雀に使うマットだけとか、よく知らない有名人のお面とかを適当に購入。そして先生向けに何を渡そうか考えていると
「去年は何だっけ、電車の何かだったきがする」とのこと。
森田先生は電車が好きである。
ちょうど紳士服コーナーに行くと新幹線のデザインをしたタイピンを発見した。
「おっ、これでいいんじゃないですかね」
良さそうな物を購入し、研究室に帰ってくると早速企画に必要な物を揃えることにした。
1月も後半に差し掛かってくると卒業論文の提出や卒研の発表に向けてのまとめの時期になってくるため4年生は忙しくなってくる。そしてそれを表しているかのように研究室は連日印刷物が多くなるし、寝泊まりする人も増えていく。
そんな中で過ごしていると4年生があるものを印刷していることに気が付く。それはこの時の私にもわかるのだけれど卒業論文とは違うものだった。
「今印刷しているそれは何ですか?」
気になった私は質問した。
「これはね、環境論文だよ。君たちもいずれ書くことになるやつ」
それが環境論文であると聞いた時、それが一体なんなのかこの時は全く分からなかったのだけれど、それを4年生が印刷しているのを見ると何か大切な物のようにだけは感じた。
やがて慌ただしく2月がやってくるとOB会が開催された。学内の会場に森田研究室の1期~9期生が集まって先生に挨拶をしたり、それぞれの同期同士で話をしたりしていた。
私達11期生がそこでやったことは私が全く関わっていない新4年生の紹介movieの上映と企画主催のビンゴゲーム大会。言われていた通りにきちんと森田先生に景品が渡ることになった。
そしてTシャツの販売。
これは今年1年間、森田塾の活動を行う上で必要な資金を稼ぐための物。要するにOBからのカンパでもある。
滞りなくOB会が終了し、初めての大きなイベントを終えると突然次の企画が舞い込んできた。
「味噌作り」である。
突然なんで?と思うかもしれないが私もそう感じた。
このくらいの時期から同期の中からは「どうしてこんなことやらないのいけないのか」という疑問が出始める。そりゃそうだよ。出なきゃおかしいよ。
その疑問を院生かイガさんに言ったらこう返ってきたらしい。
「歴史を知りなさい」とだけ。
これは私も言われた。歴史を知りなさいと。
で、味噌作りが始まるのだけれど結構本格的で大変だった。味噌作りの工程をざっくり言えば豆を煮て麹を混ぜ、それを冷やしてまた潰して麹を混ぜてそれで桶に入れる。一番大変なのが「豆を煮る」という工程でこれをやるために担当者は朝6時から研究室に集まってやり始める。
どうも話を聞くとこの大豆は昨年の4年生が森田塾の農活動で作ったものらしく、出来上がった味噌は文化祭で販売したり、地域の人たちに配るらしい。
一体何のことなのか分からないかもしれないが森田塾は机の上の話だけではなく野菜作り、米作りといった農活動も行っている。
私にとって農は実は身近なもので、祖父母の家が元々農家である。だから作業に関しては小学生くらいからやったことがあるというのもあって、やること自体にはそんなに抵抗感は無かったものの、やる意味は分からなかった。
味噌作りが終わると今度はまた塾に戻る。
実は先日行われたOB会の前に、都合のついたOBの方と「働くことについてのディスカッション」をやっていて、それについて自分がどう思ったのか、何を感じたのかをまたプレゼン資料を作って発表することをやった。
そして更にここに追加され実験の引継ぎが行われていることになる。