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「色彩を知らない私は森田研究室に出会った」 第17話 3年生気分

 3月中旬。4年生の卒業研究の発表を見て、卒業後の宴会みたいなものが終わって、卒業生を見送った。院生に残ったのは3人になり、これで森田研究室は院生の博士課程3人、修士課程7人、学部生14人の合計24人。森田研史上最大の大所帯になった。
 
研究室の雰囲気は同期の何人かが寝泊まりをしていたり、中で料理をしたり、麻雀をしたり、ゲームをしたり。まるで自分のもう一つの下宿先みたいな感覚で使い始めていた。そんな同期を見て私の居場所も本格的に作らなければならない。と思っていると院生の1人から
 
「これ使わなくなったからまっつんにあげるよ」
 
 と言われて渡されたのは棚の付いた白い机だった。
 
「あ、ありがとうございます」
 
お礼を言って窮屈な研究室を引きずって自分の実験班の部屋に持っていき、カバンから絶対にこれから必要になると思ってようやく購入したノートパソコンを置いた。
 
 私の居た部屋は同じ班の同期がもう1人と別の班の人が1人の合計3人が主に居て、他の部屋に比べるとやや寂しい感じがする場所。でも部屋をでたらすぐそこは喫煙所のようなスペースがあったため人の出入りは結構多かった。
 
 それぞれが自分の居場所を作り始め、これから1年間、卒業までやっていく。そんな感じになっていた。
 
 4年生になって初めての先生のゼミが終わる。時刻は23時くらい。研究室に戻ると部屋に置いてあるホワイトボードにある文章が書かれていた。
 
「4年生は卒業しました。いつまで3年先の気分でいるのですか?もっと歴史を知りなさい」
 
 とのことだった。
 
 書いたのは当然イガさんである。
 イガさんはあれからほぼ毎日研究室を訪れていて、何か院生と話をしたり、タイミングが合えば一緒にご飯に行くこともあるけれど、大抵の場合は中部屋と呼ばれる休憩室的な場所で寝ているだけのそんな人だった。
 
 だからこそこのホワイトボードの言葉は私にとって「何が何だか分からないこと」の始まりでもあった。
 
「3年生気分って言うのは何なんですかね」
 
 私は自分の席の近くに居た院生に質問した。
 
「そのままじゃない?歴史を知らないというか」
 
「歴史ですか」
 
 このくらいの時期から3年生気分だ、とか歴史を知れということを常々言われるようになる。嫌になるくらいに。同期の中には嫌になって塾で何もしなくなるという人も出てくるようになってきた。
 
 具体的に言えば4月初めの塾で企業の色分けというのをやった。これはこの時期に行われる就職活動の1つである合同企業説明会。これに出ている会社の色をその業種別に分けていくという物である。
 
 業種というのは開発、情報、設計、生産、サービス・・・などと言われるようないわゆる○○系と分けられている物で、例えば私は電気電子工学科なので電気系の会社を受けるわけだけれどもその電気系の中でも生産をするのか、それとも情報を管理するのかみたいな感じで別れている。
 
 これは何も電気に限らず他のことでも同じことだと思う。
 
 そしてその分け方、分ける理由、分ける色の選択はセンスでいいよと言われていた。つまり「自由にやりなさいよ」と言われたからそのまま自由にやって発表すると
 
「歴史をもっと知れ」
 
という返答がイガさん、院生から返ってくるわけである。
 要するに私を含めた同期の出したものが「森田研の歴史を知らないで作っている」ということらしいがそれが全く分からない。
 
「歴史を知れって言われてもなぁ」
 
 と私はそう感じていた。
 
 そうやって森田研と自分の関係性に悩み始めた4月中旬にキックオフ合宿がやってきた。
 
 この合宿は社会科見学的な部分もあるため遊び半分、勉強半分。そしてキックオフという名の通りこれから1年間の始まりでもある。4年生はもちろん森田先生と院生参加する。イガさんと一部の院生は研究室に残るらしい。
 
 企画としてはそこまで大変では無かった。大変だったのは合宿に行く前のやり取り。実際、こういうことをやったことが有る人は分かると思うが当日やることと言えば色んな連絡をすることぐらいであとは特にという感じだった。
 
 合宿から帰ってくると問題が解決している。
 
 などということが無く、次から次へ色んなことを言われることになる。
 
「歴史を知りなさい」
 
 あんまりにも歴史と言われるので何とかしなければと考えた。とりあえず記録のようなものを見るのが一番早いだろう。
 
 私の居場所だった部屋には大きな棚が置かれていて、そこには歴代。森田研1期生からの研究論文が置いてある。そしてそのわきに環境論文も置かれていた。
 
 が、ここであることに気が付く。
 
「環境論文は1期生から作ってないのか?」
 
 てっきりそう思い込んでいた。まあ、それは置いておいてとりあえず一番近い10期生がこの間まで印刷していた環境論文を手に取り、読むというよりかは眺めるという感じでパラパラと指ではじいていた。
 すると背後から背の高い帽子をかぶった人が現れる。この部屋はさっきも言った通り、喫煙所までの通路になっているためよく煙草を吸う人が通るわけで。
 
私が環境論文を手に取ってパラパラとしているのを見たイガさんはそこから少しだけ目線を外し、煙草を咥えた。
 
「何か聞かないといけないのか」
 
 という何というかそういうのを感じてとっさに出た言葉が「10期生の論文だけ2冊あるんですね」という見ればわかるだろっていうレベルの事だった。実際、他の記の論文は1冊。でも10期生の論文だけは2冊連なっていたからこれはどうしてなんだという疑問が湧いたわけではある。
 
 するとイガさんは意外にも答えてくれた。
 
「院生に聞いてみなよ」
 
 さっそく私は院生に聞きに行くことにしたのだけれど、院生からの返答は
 
「2冊になっちゃった」とのこと。
 
 内容を少しだけ見るとそこに書いてあるのは塾の事と農のことで、しかもその内容はやっぱりよくわからないことだらけ。
 
「リーダーについて、係について、気質について、クローバーについて・・・うーん」
 
 よくわからん。ただ言えることはそういう何か「組織」についてとか「自分」についてということが書かれていることは何となくわかる。
 
 けれどそれだけだった。
 
話は少しだけ巻き戻るのだけれど、卒業式の前日。私はあるものを手渡された。
 
作業着である。
 
 渡してきたのは卒業する院生の人からだった。この人は何というか気さくで面白く、そういう人。院生は当然のことながら学部とあわせれば約3年間、森田研に所属していたことになる。長時間森田研に所属し、イガさんや先生とも仲良く、そして塾のことも多分面倒を見てきた人。
 
 そんな人が私のとこに来て自分の着ていた作業着を渡してこういった。
 
「11期生の環境論文。ちゃんと1冊にしろよ」
 
とのことだった。
 
 この言葉の真意がわかるようになるのには時間がかかることになるのだけれど、この時は全く分からなかった。これだけではないが、結局歴史を知るとか環境論文とかを意識づけられた始まりはこれなのかもしれない。
 
「何かあるんだろう」
 
 その疑問を持たせただけでもこの作業着の引継ぎは私にとって意味が有ったのかもしれない。

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