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読者だけで運営する文学賞、とは
はじめましての方は、はじめまして。
お久しぶりの方は、ご無沙汰をしております。
文学賞の運営をしている「まつ」と申します。
今回はあらためて、この文学賞について紹介しよう、と思って記事を書きます。
読者による文学賞とは何か、ということですが。
その名前のとおり、「読者だけで運営・選考する文学賞」です。
……だと、あまりにもあっけないので
「なぜ、読者だけの文学賞を生まれたのか」という話と絡めて、文学賞の考えについて紹介していきたいと思います。
わたしたちは「ひねくれ者」なのか?
そもそものきっかけは読書好きの友人と話をした「どうやって本を探すか」という話題のときに出た「ベストセラーに、あまり心惹かれない」というところから始まります。
これは特定の作品の批判ではなくて、なんとなーくの話なのですが、「○○万部発行!」みたいな帯に正直、心が動かない。
![](https://assets.st-note.com/img/1697541709602-f5MdFfoTaw.png?width=1200)
それよりも、X(Twitter)などで見かける
「凄い本に出会っちゃった!!」とか
「読み終わったあと、つい本を抱きしめてしまいました」とか
会ったこともない、たった一人の感想にこそ心を動かされることが多い。
そこでお互い「この人の推薦は当たり多いよ!」みたいな情報交換に話は移行しました。
でも、少し疑問が残りました。
これは自分たちが逆張りしてたり、通(つう)を気取っているだけなのだろうか。
それとも実際、他の読書好きの人も持っている感覚なのだろうか。
この疑問が、ある意味では文学賞の「種」でした。
書店は潰れていく、でも本は増えていく
で、その時はそれだけで終わったのですが、やっぱり気になるので色々と出版業界についての本を読んでみました。
すると、色々と知らなかったことがたくさん出てくる。もちろん、それらは筆者の主張なのでそのまますべてを鵜呑みにする訳ではないのですが、それでも事実としての数字と自分の感覚と合致することがひとつありました。
それが出版業界の規模は小さくなり、書店の数も減っていく、けれでも出版される本は増える、という現象です。
なぜ、そうなのか、というのは専門家の方に譲るとして、実感としてあったのは
書店の数が減っていることと、
書店の在庫検索をしても「在庫なし」が頻発していたことです。
限られた本の展示場所に、大量の本が流入することでガンガンと在庫がまわっていく。
「あ、面白そう。探してみよう」と思ったときには、もう本は書店にない、というのは自分としても実感として持っていた事実でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1697542021560-kQVSjOP851.jpg)
ヘイト本が並べられた本屋
最初は、まぁ、ネットで買うしかないか。。。とかくらいの不便さだったのですが、あるとき思いっきり疑問に思う事象に遭遇します。
文学賞設立の年には色々と問題になっていましたが、「ヘイト本」が本屋に並びだしたのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1697542167015-Xb5fQ1aMRD.png?width=1200)
限られた期間・限られた場所でしか出会えない本が押しのけられて、政治的な本がずらっと並んでいる。もちろん、そこに需要がある以上は当然のことだと思います。本屋だって商売です。
でも、なんとなーくモヤモヤとした気分で「これって読書好きのひとたちが望んだ本屋の姿なのかな」なんて気分になりました。
すれ違った視線
でも、そこで「なるほど!」という話に出会います。
というのは「普段あまり本を読まない人にも売れる本の方が売上的に強い」ということ。
(※ 斎藤美奈子さんという方の『趣味は読書。』という本です)
まぁ、考えてみれば当たり前すぎる話ではありますが。。。
だから有名人の推薦や、映画やドラマの原作、有名文学賞の受賞など、普段読書している人以外の層にもリーチできるかが重要ということ。
そうなってくると、認知におよぼす広告費の大小や「わかりやすさ」といったものの影響力が本の売上を左右する。
で、ここでようやく最初の話が自分のなかでストンと落ちました。
読書好きの友人も自分も「あまり『本の外』の情報を重要視していない」という納得です。
それよりも実際に読んだ人の話の方が、遥かに大切な情報になっている。
これは少しだけ寂しい話です。というのも、本の帯は普段読書をしない人たちを見つめて、友人も自分もある意味ではそっぽを向いている。
視線が交差してない訳です。
広報と視線が交差してないだけなら良い。でも書店に並ぶ本そのものが少しずつズレていってしまっているのではないか。ヘイト本が問題となるなかで、そんなことを想いました。
読者の声を集めよう
そうして寂しさを覚えると同時に、少し思いついたことがありました。
じゃあ「読者側から作品を発見し広めることができれば、それはとても良いことじゃないか」ということです。
「本の外」の情報によってではなく、実際に読んだ「本の内側」を知っている読者の推薦から、素敵な作品が広がっていく。
これは出版社も、読者も、普段は本を読まない人もみんなが得をするんじゃないか。
でも、そうした意図のものは既にありました。そう、文学賞です。
ただ色々な問題も指摘されていました。それが「文学賞の運営者と作品の利益関係」です。
ここに関しては色々な意見があるので、これまたそれぞれの主張に専門的な話は譲ります。
でも読者には、利益関係なんてものはない。
ただ面白い作品があって、これ良かったよ、と布教する。
そんな純粋な「読者による、読者のための、読者の」文学賞があっても良いんじゃないか。そんな想いが生まれました。
そうして文学賞が生まれた
そこから、どうやって文学賞が形になっていたかは、他のnoteで書いているので省略します。
でも大事なのは、文学賞が上記の想いを経て生まれていることです。
だからこそ文学賞では
「本の内側」で判断するために、推薦された作品はすべて読む
読者の声が見えるように透明化する
このふたつを非常に重視しています。
ぜひ、受賞作品だけでなく、文学賞の選考自体にも注目してください。
たくさんの読者の声がそこにあります。
HPには選考委員だけでなく、最初に推薦してくれた読者の声も掲載されています。
これからについて
現在も活動は続けて、今は第五回に向けての準備中です。
もし、こうした取り組みが面白い!自分も参加してみたい!なんて興味があったら、ぜひご連絡ください。
賛同いただけるならシェアなどもご協力いただけると嬉しいです。
集まった読者の声が、よりたくさんのひとに届いてくれればと願っています。