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やってやれないことはない27話 『とうとう獣医学部入学 当年47歳の大学生』

生協から住居斡旋の小雑誌が送られてきました。
益々実感がわいてきました。
転居することの意味は、何もかもが新しく、未知数な事です。

住宅供給公社基準2LDK1階角部屋4階建てベランダ駐車場付き、玄関前に広い公園あり、ベランダ側に神社ありに決めました。                      退職日まできっちり仕事するため、現地に行く時間がありません。
現地を一切内覧せずに、大学生協担当者のおすすめと打ち合わせだけです。
歩いて大学まで通学できるので魅力的です。
家賃は今の半分。

北海道江別市は、受験の時が最初の一歩です。今回が2度目。
どのような四季があるのか想像できないことも、気持ちを不安にさせません。
大学の獣医学部で勉強できることだけで士気が上がっています。
これほどの未来に明かりがさしたことは初めてです。                     勉強することに対して、一点の曇りもなくこんなに意欲的になれたのは、アメリカ留学以来です。

一つ思ってもみないことがありました。
なんだと思いますか?

以前使っていたエアコンも引っ越してきたのに、設置する場所がないです。
どうやら、北海道仕様の住宅は、熱効率をよくするために天井高が低くなっているため、エアコンを取り付けるための場所も穴もありません。

エアコンは、リサイクルセンターへ寄付となりました。

寒さ対策の大きな暖房器具はFF方式で設置済み。                   しかも、灯油は各戸に配管してあり、自動給油システムです。このシステムは、地下の大きな灯油タンクから屋上のタンクにポンプで上げて、自然落下で各戸のFFストーブに配管で送られているようです。私の人生で、初めての体験です。                         

夏の暑い日はどうしたらいいのか疑問でしたので、引っ越し業者に聞いてみたところ、「眠れない夜はない」とのこと。
そんなに涼しいのかと、今までにない夏の夜を期待してしまいました。

引っ越しも落ち着いてきたところで、学内オリエンテーション日となりました。

初めての登校ですが、上級生が新入学生を小グループで構内を案内する趣旨です。

上級生から、「学生さんとご一緒ですか」見る目が違います。
私はすまなそうに「私が学生です」と一言。
上級生はオロオロしながら「はぁ?!」
とりあえず、一日が終わりました。

医系大学は、浪人生がある程度いることはわかっているはずですが、まさか高校卒業の新入生より29歳も歳上のおじさんが入学してくるとは思っていなかったのでしょうね。

この歳の差がこの後にジワリジワリと忍び寄ってくるのでした。

実際、ここにいる新入学生の実力を思い知るのに、それほどの時間はかかりませんでした。

いよいよ授業も始まり、階段教室も初めての場所。実習室も6人ひと組のグループで活動。
                                      体育は、最初に呼び出しがあって先生に会いに行くと「この授業は20歳前後を基準とした運動量だから、無理して怪我しないようにしてください」とのこと。
ありがたいやら悲しいやらで、複雑な心持ちでした。

生物学の実習で、『コドン』『塩基配列』『DNAはアデニン・グアニン・シトシン・チミン』『RNAはアデニン・グアニン・シトシン・ウラシル』。 何ことだかさっぱりわかりません。

「出されたプリントに書かれたアルファベットを3つに分けてペアとなる塩基配列を記入しなさい」

私の高校時代は、遺伝と言えば染色体まで。
DNAやRNAなどの遺伝情報云々は門外漢。

困ったところで隣席の女学生に聞いてみたところ、鰾膠も無く「そんなこともわからないで入学してきたのですか」と言われて沈没しました。

帰り道すがら、これからの6年間の不安がどっと押し寄せてきました。

何もわからずに入学してきたことに恐怖さえ感じたのを覚えています。

しばらくは、驚きと不安、同級生との学力格差をどのように克服すべきか悩む毎日でした。

同級生には、医学部入学を蹴ってきた者、他大学を卒業して学士入学してきた者、英語ペラペラの帰国子女、大学院で修士を受けてから来た者等など強者ぞろいです。それなりに話していることの内容にもレベルの高さが感じられます。

なぜ獣医師になろうと思っているのだろうかと彼らに話していると、どうも今がペットブームになっているため、小動物獣医師になりたい若人が多いということが分かりました。

人医療と経営再建にどっぷりつかっていた5年間に、動物医療業界の話を聞くことも耳を傾けることもありませんでした。

自分が今、とんでもない立場で浮きそうになっていることを、つくづく感じたこの頃でした。

私が出した結論は、若い人たちと同じ土俵で切磋琢磨するのではなく、絶対評価で自分の実力をつけることにしました。

日常のすべての時間は、この時のためと割り切り、出来るだけ多くの時間を復習8割と予習2割として使い、時間の許す限り覚えることにしました。      特に単純暗記ではなく、なぜそうなるのかを徹底して求めることにしました。
これは、今の自分に適した勉強法であったことが、後にはっきりしてきます。                                                   思い起こせばコツコツと積み上げて目標に到達するセオリーは、今まで行ってきた方法で達成できた自分流です。

早速、本屋で高校の授業内容に準拠した説明の詳しい参考書を買い求めました。
時代の違いを埋めることは、時代の変化に追いつくことしかありませんから、まずはここからわからない部分の総復習です。

大学での講義を徹底して理解することから始めます。
そのための戦略的学習法の確立が急務です。

1回聞いて理解できないことも3回聞けば理解できる。
ならば、録音機の準備です。カセットウォークマンでの録音は、広い階段教室でマイクを使われた音をきれいに拾えません。
ならば、MDウォークマンを購入してみたところ、流石、デジタルです。 はっきり聞き取れるので武器はこれです。

大学の講義は、小さい文字の白黒印刷物配布にパワーポイント投影での説明が殆どです。時々、印刷物にないページが投影されます。講義内容を印刷物の余白に書き込むのにも白黒では、どれを指しているのか不明となることしばしば起こります。
ならば、デジカメで撮影してしまえばと購入したところ、大正解です。  デジタルなのではっきり読み取れます。

あとは、これをプリントするカラープリンターを購入して講義対応三大ツールとしました。

試験勉強は、どんなに遅くても2か月前からはじめ、講義録音と講義撮影プリントを同期させて復習します。少なくとも2回行えば、7割頭に記憶され、3回行えば8割以上答えられました。

大学に隣接する広大な原生林は、森林浴にも適した動物たちの宝庫です。  夏休みは、時々原生林の散歩をし、半分以上の時間を図書館通いと復習の時間にあてました。この時間がとてつもなく充実した時間となり、本当のリラックスタイムとなっていました。
自分の知りたいことを目いっぱい集中して調べられる幸せは、他に替え難い至福の時となりました。

私が、1年目に決めていたことは、自分から退学はしない。退学させられるまでやってみるということです。
言わば、不退転と決め、命の続く限り頑張ることにしたのでした。
そこにあるのは、悲壮感ではなく、自分の限界を超える高揚感です。

1年目の冬休みが終わった後に、社会人入試の同級生がすでに退学していました。
誰にも何も言わず、敗北感だけを引きづって去っていったとのことです。

2年目に進級できなかった学生と退学した学生もいました。現実は、厳しい結果を容赦なく突きつけ、斟酌なく平等な結果主義の世界でした。

2年生の夏休みは一か月間、酪農実習です。
ここで起きたこと、知ったことは公衆衛生の視点の始まりでした……。

このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。