やってやれないことはない7話 『使用目的がなくても貯金はしておくこと』
書生とはどういう職業だろか?
そのめぐり合わせが、この4年後に来るとは。
この4年間、昼間は、趣味の写真が縁で写真関連会社との請負契約で働き、夜は青少年会館の夜間事務を行い、朝8時から夜10時まで働き、依頼に応じて結婚式や各種大会をカメラマンとして撮影していました。
毎月8万円以上の貯金ができていましたので、後の出来事で慌てずに対処できました。高卒男子の初任給が5万円台の時代に大きな貯金でした。
私の一生の基本がこの時に確立されたことは、後の人生に大きく作用しました。『使用目的がなくても貯金はしておくこと』です。
4年後に弟も就職のために自宅から出てゆくことになり、私が一時同居することになり転居しました。
またもや仕事探しのために、新聞の求人広告に目を通すのが日課となりましたが、
ふと、「書生募集」が目に留まります。
書生とは、明治時代のドラマに出てくるイメージしか浮かびません。
文豪か大金持ちか貴族の家の召使い?
今の時代に即した仕事は何なのか。イメージが膨らみません。
書生とは、インターネットで調べると
「勉学を本分とする者。 漢語本来は、勉学をする余裕のある者という意味合いだったが、日本では主として明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される学生を意味した。」とありますが、そのころは国語辞書で引くもピンときませんでした。
要は勉強を本分として、住み込みで働く人という意味になりますね。
面接を受けることになりました。
場所は渋谷の一等地の有名な高級住宅街。高台にある邸宅の路面に面した駐車場には、防犯カメラに黒塗りの分厚い自動開閉扉。その中には赤いベンツと白いジャガーが収まっています。そこから白い大理石の階段を上り、20段上がると玄関が見えます。玄関は総ヒノキ造りで間口は3m、奥行き3mの6畳間より広く、応接間はザっと30畳。チェコ製のガラス工芸品など高価な品ばかりが並んでいます。すべての規模に圧倒されたものです。
何の勉強をしたいのかと尋ねられて、咄嗟に出てきたのは医者でした。
人生最初のなりたい職業選択は、獣医師でした。
中学時代の三者面談で獣医師になっても食べていけないぞ。牧場を持っているのかと馬鹿にされたトラウマで、「獣」が抜け落ちてしまいました。
この選考は落ちたと感じ、帰宅途中には求人雑誌を買い求めていました。
ところが後日、選考合格の知らせです。
困りました。医者が目標ではなかったからで、今更間違えましたとも言えず、悩んだ挙句、これは、運命と捉えピンチはチャンスとばかりに、やるだけやってみることにしました。
早速、予備校入学の手続きをして夜間コースに通いながら勉学に励むのでした。その時24歳。予備校では最年長かもしれません。
書生の仕事は、多岐にわたります。
家人の代わりに行うのが基本ですから、丁寧に几帳面に取扱い。整理整頓はわかりやすくとのこと。
この仕事は自衛隊で散々叩き込まれたことを普通に行えばよかったので苦労を感じないで済みました。
広い庭の木々の手入れはお抱えの庭師が定期的に行います。
日々の生活の中の仕事だけですので、コンスタントに日課が終わります。
この書生生活は、約8か月で終了しますが、人の世の上限を知ったことで人として幅が広がりました。
カーテンは、ボタン一つの電動開閉式カーテン。
庭の散水はすべて自動式。
浴室は6畳もあり、すべてが大谷石で出来た坪庭付きで、立って入れるほど深い浴槽。
寝室の天井には、星の見える電動開閉窓がありました。
ダイニングキッチンは、20畳程あります。シンクにはディスポーザー付きで生ごみはこれですべて処理します。
大谷石で出来た蔵には有名作家の絵画がたくさん。
1折5000円のステーキ弁当を10個毎晩頼んで差し入れする時があること。
初めてのフグ料理懐石堪能。
銀行の特別室で7000万円の現金を出金し、自宅まで一人で運搬。
病院の薬も電話一本で予約が取れます。
邸宅のマッサージ室にマッサージ師がいつでも来ます。
トイレを掃除しているときに見つけたのがウォシュレット。始めてお目にかかるこの便座に操作が分からず、突然水が私に飛んできてびしょ濡れになりました。
何しろ、42年も前ことですから、見たことも聞いたこともないものでした。
私が言われたのは、勉強頑張れば〇〇〇〇大学医学部には入れてやる。ということでした。こんなこともあるのだなぁとこの世界の人々を垣間見たのでした。
このnoteは、私の人生において成功・完結・失敗・後悔などのストーリーです。 若い皆さんのヒントになればと思って書いています。 書いてほしいことがあれば、気軽にご連絡ください。 サポートは結果であると受け止めておりますのでよろしくお願いいたします。