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やってやれないことはない8話 『これが私の天職と決まりました』
『森羅万象の出来事は突然に』やってきました。
父が余命5か月の宣告を受けました。
父は、50も半ばを過ぎたころから病気がちとなり、入退院を繰り返しながら一家を支えるために65歳までおぼつかない足取りで働いていました。
その後は、寝たり起きたりの日々となり、今回の診察はそのまま入院となりました。
長男である自分がすべきことは何か。
落胆している母を支え、ことの顛末が明日への生活を踏み出すようにするために…
つらつら考えていると涙があふれてきました。
この時、経済的には頼ることがなくなった自分が、大黒柱としての父に精神的支えとなってもらっていたことが分かりました。
あと5か月間で父にできることを全てしよう。
兄弟と母と私で毎日付き添いを交代で行いました。
突然痛みを訴える父にできることは、傍にいて患部に体温が伝わるように擦ることだけです。痛みは治まり、再び寝息を立て始めます。
父に伝わってよかったと心が安らぎます。
命の炎が消えかけ始めた5月の連休さなかに夜間付き添いをしていました。昼に弟と交代でしたが、その直前、父は私の目の前で息を引き取りました。
やるべきことを淡々と行い続けた日々の二か月間は、何もする気が起きません。
母を独りにしておけず、二人の生活が始まります。
この生活を成り立たせなければならない重圧に押しつぶされそうになりながら、安定した仕事に就かねばと考えていると、医師になるといって書生になったことを思い出し、病院に職を求めることにしました。
幸い、いつもの新聞求人広告で見つかり、初めてのサラリーマン正職員です。
運よく、採用になり、ほっと一安心でした。
これまでの私の職歴は、目の前にあるできる仕事を行ってきましたが、この仕事は全く想像もつきません。
医療事務に宿直業務に救急車対応昼夜受付事務、病院医事課職員の仕事は全くの無知。無謀にも初めての体験です。
医療事務とは何のこと。先輩女性職員に教えてくれるよう頼んだところ、説明が全く理解できません。参考となる教科書を貸してもらい、必死になって読み下し、わからないところは聞いてみる。この繰り返し3か月で何とか医事課業務の一員になれました。
担当の先輩女性職員は、私のしつこい質問にもめげず、いつも丁寧にわかるまで教えてくれたことに感謝です。
夜間当直に救急車が何度も救急患者搬送をしてくる場合があります。
当然、仮眠はなくなり、翌日は休みでも半日勤務でもなく、全日勤務となります。
夜間当直勤務は多い時で週三日ありましたので、自宅には寝に帰るだけの日々と記憶しています。
当直勤務手当が多い時には10万円を超え、賞与もある人並みの生活がこれで保証されたため、仕事にのめりこむことになりました。
救急対応は緊迫感があり、死と隣り合わせの医療の緊張感は、私の腑に落ちた仕事でした。病院勤務『これが私の天職と決まりました』。当年26歳。
これから先の人生は、医療に関わることばかりになるのです。
本当に楽しい充実した日々を過ごした3年間弱。
そして3年目を目前に・・・
ほかの病院を見てみたい。
ほかの診療科の医療事務を極めてみたい。
そして、再び自分が動き出します。
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