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時間感覚

2024年10月18日、金曜日の朝のジャーナリング。

不思議な経験を綴った。時間がゆっくり流れているように感じる瞬間のこと。

高校3年生の夏、サッカーの試合で初めて体験したこの感覚に、いま、まったく異なる状況で再び出会っている。

筋トレと時間の歪み

パーソナルトレーニング中、重いウェイトを持ち上げる時。日常では考えられないほどの集中状態に入る。危険を伴う行為だからこそ、全神経を集中させる必要がある。

そんな時、不思議なことが起こる。トレーニングの前後で同じ曲を聴くと、トレーニング後には曲のテンポがゆっくりに感じられるのだ。

この現象は、筋肉の状態が一定以上の時間、高い緊張状態を保った後に起こるようだ。普段は意識しない筋肉の状態に長時間注意を向け続けることで、時間の感覚が歪むのかもしれない。

ボイトレと意識の境界

ボイストレーニングでも似たような体験をする。トレーナーの指示通りに喉を使い、声を出す。でも、なぜそうするのか、どう良くなっているのかは自分ではわからない。「いまの良い感じです」と言われても、何がどう良くなったのか判断できないのだ。

それでも、言われた通りに繰り返し練習し、それに集中する。この過程は、意識と無意識の境界線上で起こっているように感じる。身体を動かしているのは意識的な行動なのか、それとも無意識的なものなのか。その曖昧さが、時間の感覚を不思議なものに変えていく。

理解と感覚の乖離

筋トレもボイトレも、トレーニングを重ねるうちに、「良いですね」「良くなってきました」という評価をもらう。しかし、何が改善されたのか、その実態は自分にはわからない。根本的な理解はできていないのに、何かが良くなっているという矛盾した状況に直面する。

左脳にいる自分は、この変化の理屈を理解したいと思う。しかし、理解できない。それでも、周囲からのフィードバックは確実に良くなっているし、感覚的にも手応えがある。成果も出ている。このとき私は「不満でありながら満足している」という奇妙な状態に陥っている。

この経験は、私たちの認識の仕組みについて深い洞察を与えてくれる。身体は変化を理解していても、意識がそれを言語化できないという事実。無意識の領域で起こっていることを、意識的に捉えることの難しさを痛感する。

まとめ

時間の感覚が変化する瞬間、それは私たちの意識と無意識が交錯する特別な瞬間なのかもしれない。集中している時に時間の変速が起きるのは、もしかしたら1秒間に流れる現実世界の「コマ数」が変化するのだろうか。

頭で理解しようとした瞬間に、本質を逃してしまうような気がする。意識が介入すると、認識できる「コマ数」が減ってしまう。意識は遅いから。だからこそ、リラックスした状態と集中した状態では、時間感覚が大きく異なるのだろう。

そう、意識は遅いのだ。あるがままを「見ようとする」ことで、意識では捉えきれない世界の一部を見失ってしまう。意識の介入なしにあるがままを「見せられた」とき、意識では捉えられない現実世界の映像や音を感じられるのかもしれない。

この不思議な時間感覚の体験は、私たちの存在の本質に迫る大切な鍵となるのではないだろうか。日々の生活の中で、このような瞬間に出会ったとき、立ち止まって感じてみる。そうすることで、普段は気づかない自分自身や世界との新たなつながりを発見できるかもしれない。

時間はいつも一定に流れているようで、実は私たちの意識や身体の状態によって、その感じ方は大きく変化する。この不思議な現象に目を向けることで、私たちは自分自身と世界をより深く理解する道筋を見出せるのではないだろうか。​​​​​​​​​​​​​​​​

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