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カルマと向き合う

最近の出来事や思ったことを書いていきます。


2025年1月18日に東京でイベントやります

現役物理学者の山崎詩郎氏が、自身も大ファンであるクリストファー・ノーラン監督映画『オッペンハイマー』についての科学解説を行います。原作本の監訳を手掛けた彼にしかできないとても貴重な講演です。

イベントの詳細はこちら↓

日 時:2025年1月18日(土)
講演会:16:00~19:00
懇親会:19:30~21:00
定 員:55名(先着)
場 所: 北とぴあ1601会議室
東京都北区王子1丁目11-1
(京浜東北線・南北線の王子駅)

講演者:山崎詩郎氏の紹介
物理学者、オッペンハイマー原作本の監訳者

山崎詩郎さんは、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻で博士号を取得後、日本物理学会若手奨励賞を受賞、現在は東京工業大学理学院物理学系助教として活躍されている物理学者です。

科学コミュニケーターとしても知られていて、TVや映画の監修や出演を多数されています。特に講談社ブルーバックスで『独楽の科学』を書かれた「コマ博士」として有名です。最近では映画『オッペンハイマー』の原作本の監訳を担当された「SF博士」としても注目されています。

実は山崎さん、SF映画『インターステラー』がめちゃくちゃ好きすぎて、たった1回観るためだけに20万円かけてシドニーまで日帰り旅行に行くほどの映画愛に溢れた方なんです。その後40回以上観て、『インターステラー』の科学的解説講演を100回以上されたそうです。その熱意が認められて、SF映画『TENET』の字幕科学監修や公式パンフレットの執筆、『クリストファー・ノーラン映画術』の監修も務められました。

純粋な科学への探求心と映画への愛に満ち溢れた山崎さんだからこそ、オッペンハイマーの物語を科学的な観点から、かつ人間的な視点でわかりやすく解説していただけると思います。

<山崎詩郎氏より>

「オッペンハイマー」の主題は原爆の開発であるため、 原子、 原子核、 アイソトープ、 核分裂、 連鎖反応、臨界量、爆縮、量子力学、 相対性理論といった難解な科学用語が次々と登場します。 さらに、 映画の中には 「あのシーンは科学的にどういうこと?」と感じるところも多数登場します。 私たちは原案本の監訳者として「オッペンハイマー」 に登場する科学を誰よりもわかりやすく説明する 「オッペンハイマーの科学」 と題する講演会を全国各地で実施します。 日本人にとって原爆の科学を知ることは辛いことかもしれません。 しかし、 相手を正しく知ることで初めて地に足がついた等身大の平和への議論ができます。(クラファンサイトより一部抜粋)


オッペンハイマーという人物

彼は「原爆の父」として知られていますが、実は物理学者として驚くべき業績を残しています。1939年、誰も想像もしていなかった「ブラックホール」の存在を、理論的に予言していたんです。

ブラックホールって、簡単に言うと重力があまりにも強くて、光さえも吸い込んでしまう天体のことなんですが、当時はSFの世界の話だと思われていました。でも、オッペンハイマーは科学的な計算から、その存在を確信していたんです。

彼は「重力崩壊」という現象を理論的に解明しました。星の中心にある中性子の核が、自身の重力に耐えられなくなると、すべての物質が1点に向かって無限に落下していく...そんな現象です。これが、私たちが今「ブラックホール」と呼んでいるものの正体。

この研究は、後にノーベル賞級の業績だと評価されることになります。

また、彼は量子力学の分野でも「ボルン・オッペンハイマー近似」を確立するという重要な貢献をしています。勉強不足でよくわかっていませんが、いまでも物理学の教科書に載っており、量子化学の計算で使われていて、新しい薬の開発や、新素材の研究にも役立っているらしいです。

面白いのは、オッペンハイマーの研究スタイル。彼はいろんな分野で新しい発見をするんですが、そこを掘り下げずに、すぐに次の研究に移っていく。それは、彼の批判的で懐疑的な性格のせいだったのかもしれません。

その特徴のおかげか、彼はいろんな分野の知識を組み合わせて、新しいアイデアを生み出すのが得意だったようです。量子力学、相対性理論、宇宙物理学...いろんな分野の知識を自由に行き来できる稀有な科学者でした。

そんな彼が第二次世界大戦中、ナチスドイツが原爆開発を進めているという情報によってはじまった「マンハッタン計画」という原爆開発プロジェクトのリーダーになります。彼は数千人もの科学者たちを率いて、人類史上初めての核分裂爆弾の開発に成功します。でも皮肉なことに、原爆が完成した時には、すでにナチスドイツは降伏していました...

ここから彼の人生は、大きく変わっていくワケですが、その物語をオッペンハイマーの視点から描いたのが、クリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』。

オッピーは人類全体に大きな影響を与えた人物であり、地球は、いまなおその影響下にあります。


オッペンハイマーの遺した問い

2023年6月の調査によれば、地球上には推定12,520発の核弾頭が存在し、9カ国が保有しています。1987年のピーク時から数は減少したものの、「現役核弾頭」は増加傾向にあり、質的な向上も進められている。ロシア・ウクライナ戦争は、核の脅威が決して過去のものではないことを私たちに突きつけました。

人類はなぜ、核兵器を手放すことができないのか?

オッペンハイマーによってはじめてこの世にもたらされた核兵器は、人類の持つ根源的な恐怖と欲望の象徴となりました。力による支配、優位性への執着、報復への衝動―これらは600万年に及ぶ人類の進化の過程で獲得した自我と本能の表れであり、この原始的な衝動は、現代社会において国家間の複雑な力学となって表出しています。

1945年7月16日、ロスアラモスから南に約300km離れた砂漠の地アラモゴードで、人類初の核実験「トリニティ実験」が行われました。プルトニウムを原料とする最初の爆縮型原爆の実験が成功した時、オッペンハイマーはヒンドゥー教の聖典『バガヴァッドギーター』の一節「われ世界の破壊者たる死とならん」を思い起こしたと、後年振り返っています。この言葉には、国とそこに住む人々の自由を守るという責任感、科学者としての好奇心、その結果もたらされる破壊への、深い苦悩が込められているように思えてなりません。

オッペンハイマーは後に「最も基本的な秘密がある。それは、どんな国も、どんな意味においても、核戦争に勝利することはできないという秘密である」と語りました。これは核兵器の本質的なパラドックス(抑止力として機能する一方で、その使用は必然的に相互破滅をもたらす)を突いています。
日本は世界で唯一の被爆国であり、約21万人もの尊い命が失われるという悲劇を経験しました。しかし、その悲惨さを訴えるだけでは核廃絶への道は開けないことも、私たちは学んできた。

その後オッペンハイマーは、水爆の開発に反対し続けたこと、またさまざまな事情によって、国の勝利に貢献した英雄から一転、国から追及される立場となります。彼は後年、核兵器の脅威に対する解決への道筋として「率直さ」を挙げ、「開かれた社会・知識への制約のない接近・対話」の重要性を説きました。

私たちはいま、偶然とも必然とも思える歴史の分岐点を経て、この現実を生きています。核兵器の存在は、人類の科学技術の進歩と倫理・道徳的判断の狭間に位置する最も困難な課題の一つです。

これから、私たちにできることはなにか?

今回の講演者である山崎詩郎さんは、映画『オッペンハイマー』の科学解説全国ツアーを通じて、「唯一の被爆国」である日本に住むわたしたちの「心」に、原爆と平和について考えるキッカケと、対話のムーヴメントをつくりだそうとしています。

彼のおっしゃるように、「正しく相手を知ること」から始まるのだと私も思います。敵対する相手への理解を深め、対話を重ね、広い視野を持って地球の未来について考える。私たちは、自らの内なる恐怖や憎しみと向き合い、それを乗り越えていく力を持っています。

今回、そんな山崎さんに講演をしていただく機会を得ることができました。
開催場所は僕が高校3年生まで住んでいた思い出の地です。会場となる「北(ほく)とぴあ」入り口には、長崎市平和公園にある像の原型から造られた「平和祈念像」があり、それを見た時は驚いたと同時に大きな意味を感じました。

北とぴあ前
長崎

オッペンハイマーが残したモノは、国家間の政治的な課題であると同時に、私たちひとりひとりの心の中に投げかけられた「問い」でもあります。

平和とは何か、人類の進歩とは何か、私たちはどのような未来に向けて行動するのか―これらの問いについて、深く考え、語り合ったとき、私たちが見ている現実は自然と変わっていくのではないかと思いました。


バガヴァッドギーターとの重なり

先ほども書いた通り、1945年7月16日、人類史上初めての核実験「トリニティ実験」が成功した瞬間、オッペンハイマーはヒンドゥー教の聖典『バガヴァッドギーター』の一節を思い出します。「われ世界の破壊者たる死とならん」という言葉です。

この言葉は『バガヴァッドギーター』の重要な場面で登場します。物語の舞台は、親族同士の戦場。アルジュナという戦士が、戦いを前にして深い葛藤に陥ります。相手は、自分が敬愛する先生や、一緒に育った従兄弟たち。こんな戦いに意味があるのだろうか?大切な人たちと戦わなければならないのか?と。

そんなアルジュナに、戦争の参謀だったクリシュナは「戦え、行動せよ。欲望を捨て、自我を捨て、自分を信頼して行為せよ。そうすれば自ずから正しい道に導かれる」と説きます。

アルジュナが「なぜ戦わねばならないのですか?」と問うと、クリシュナは複数の腕を持つ恐ろしい姿に変身し「われ世界の破壊者たる死とならん」と答える。そしてアルジュナに「戦うというカルマ」にかけろ、と。カルマとは「行為」「役割」。人間の存在の表現に他ならない、というんです。

そしてアルジュナはクリシュナの言葉によって迷いがなくなり、戦いに、カルマに、没入してゆきます。

オッペンハイマーは、『バガヴァッドギーター』をサンスクリット語で読んでいたそうです。彼は核分裂の連鎖反応が引き起こす大きな破壊力を知っていました。そして、それを実現させてしまった自分の役割も。

「われ世界の破壊者たる死とならん」という言葉には、人知を超えた力を解き放ってしまった科学者としての畏怖の念と、避けられない役割を引き受けた者の覚悟が込められているようにも思えます。

彼が自ら担った役割は、後年、自身を深く苦しめることになります。原爆完成の時点では「ナチスドイツを止めるため」という大義名分がありましたが、実際には、すでに降伏していたドイツではなく日本に、そしてソ連への威嚇として使われることになった。

彼は後に「科学者たちは罪を知った」と語っています。そして同時に、「科学の発展を止めることはできない」とも言います。ここにも、避けられない役割、カルマを引き受けた人の苦悩が見えます。

科学の発展は、人類に大きな力をもたらします。でもその力は、使い方によって希望にも破壊にもなり得る。

私たちは、オッペンハイマーの経験から何を学び、どう行動したらいいのでしょうか。


進撃の巨人との重なり

※ネタバレあり

『進撃の巨人』という作品をご存知でしょうか?全世界で累計発行部数1.4億部を突破した大ヒット作品です。

舞台は、巨人に襲われないよう高い壁で囲まれた世界。人類は壁の中で平和に暮らしていました。でもある日、超大型巨人が現れ壁を破壊。主人公のエレン・イェーガーは母親を巨人に食べられ、「巨人を駆逐する」という誓いを立てます。

しかし物語が進むにつれ、真実が明らかになっていく。壁の中の人々は「エルディア人」と呼ばれる民族で、かつて「始祖の巨人」の力で世界を支配していたが、いまでは「マーレ」という国が巨人の力でエルディア人を迫害している。エルディアの王は巨人大戦のとき「パラディ島」に三重の壁をつくり、民族とともに束の間の平穏な暮らしをつくりだした。民族全員は、王の力によって過去の記憶を操作され、歴史は改ざんされ、何も知らずに壁の中で暮らしはじめた…主人公のエレンたちが生きているのはその100年後の世界です。

エレンは、「進撃の巨人」のもっている特殊な力によって、未来を見通すことができるようになります。そこで彼は、自分がこれから何を「為す」のかを知る。それは、「壁の外の世界にいるほぼすべての人々を踏み潰す」という、生来の優しさを備えるエレンには過酷すぎる道でした。

「なんでそんなことになったの?」と知りたくなった人はぜひ、観てください。暴力的な描写もけっこうありますが、絶対に観た方が良いと思う作品のひとつです。

ここで『バガヴァッドギーター』との共通点が見えてきます。

アルジュナが親族との戦いに苦悩したように、エレンも壁外人類を蹂躙することに苦悩します。でも彼らには「選択の余地がない」。それが与えられた役割、カルマだから。

クリシュナが「われ世界の破壊者たる死とならん」と言ったように、エレンも世界の破壊者とならざるを得なかった。オッペンハイマーが原爆開発という道を突き進んだように、エレンも人類の8割を踏みつぶす道へと没入していく。

3人に共通しているのは、自分の行為が及ぼす破壊的な影響を知りながら、それでもその役割を引き受けざるを得なかったということ。そして、その行為によって世界は大きく変わってしまう。

エレンとずっと一緒に巨人と戦ってきた幼馴染のミカサは、最後の方で、

果たして、他に選ぶべき選択肢はあっただろうか。すべては最初から決まっていたのかもしれない。それでも考えてしまう。あのとき、もしわたしが、別のこたえを選んでいたら。結果は違っていたんじゃないかって...

と自分自身に問いかけます。

これは私たちへの問いかけでもあると思いました。私たちは選択の自由を持っているのか?それとも、すべては決定されているのか?

与えられた役割を受け入れ、迷いなく行為することこそが自由なのかもしれない。そんな風にも思えてきました。


カルマ

よく「カルマ」というと「前世の報い」というイメージを持ちますが、最近僕の中ではちょっと違う解釈になってきました。

私たち人間には、先祖から受け継いだものがたくさんあります。遺伝子はもちろん、価値観や思考パターン、心の傷まで。例えば、お父さんやお母さんの持っている価値観が、知らず知らずのうちに私たちの中に根付いている。そして、そのお父さんお母さんも、また彼らの親から受け継いだものを持っている。

この連鎖こそが、現代的な意味での「カルマ」なのかもしれない、と思います。


映画『メッセージ』のカルマ

主人公は言語学者のルイーズ。彼女は終盤、未来が見えるようになっている自分に気づきます。そのおかげで、戦争が回避されたワケですが、でもこれから生まれる自分の娘が若くして病気で死ぬことを知ってしまいました。でありながら、ルイーズは娘に出会う未来を選択して歩みはじめます。


映画『DUNE 砂の惑星PART2』のカルマ

『デューン砂の惑星』の主人公ポールも、自分の進む道の未来を、知性で、綿密なシミュレーションによって見通す能力を持っていました。(これは僕の解釈です)
そして、「この道しかない」と見定め、たとえ周りから誤解されようとも、大切なものを失うことになるとわかっていても、全力で仲間を鼓舞しながら、その過酷な道へと没入していきます。


アニメ『チ。地球の運動について』の真理と自己欺瞞

※ネタバレあり

アニメ『チ。』では、真理と自己欺瞞の話が描かれます。登場人物のピャスト伯は天動説に人生を捧げた人。でも、金星の観測結果が地動説を支持するものだと分かったとき、彼はその事実から目を逸らそうとします。なぜなら、地動説が正しければ、自分や尊敬する先人たちの人生が否定されてしまうと感じたから。

でも、若い研究者バデーニはいいます。

個人の都合や信念を軽く超えて、究極に無慈悲で、それ故に平等な、そんなものがあるとしたら、それを何と呼びますか?

ピャスト伯はガクリと肩を落とし、いいます。

それは…真理だ

「真理」は、人間の情とは無関係です。でも私たちは、自分の都合のいいように解釈しがち。その「都合の良さ」が自己欺瞞なのだと僕は思いました。

カルマから逃れようとすることも、ある意味で自己欺瞞かもしれません。重要なのは、自分の中にあるカルマを認識すること。そして、向き合い、それを受け入れること。

『メッセージ』のルイーズは娘の死を受け入れ、『DUNE 砂の惑星』のポールは自分の運命を受け入れ、進むべき道を選び取りました。いや、選び取ったというよりかは、「決定された未来を受け入れた」といった方が正しいのかもしれません。

映画を観てから少し時間が空いてからの解釈となりますが、彼らは自分のカルマを生きる決意をしたのだと感じています。

そして、そこには迷いがありません。なぜなら、それが自分の進むべき道だと知っているから。カルマを生きるとは、そういうことなのかもしれません。

これは私たちの人生にも通じる話です。私たちは先祖から受け継いだものを背負って生きている。でも、それは呪縛ではない。それを認識し、受け入れ、自分の道として選び取ることで、新しい未来を切り開いていけるのではないでしょうか。


再度『進撃の巨人』から学ぶこと

※ネタバレあり

進撃の巨人の中で、私が特に印象に残っているシーンがあります。人類最強の兵士、リヴァイ兵長が巨大樹の森でジークと対峙するシーン。

ジークは、リヴァイの部下たちを巨人に変えてしまいます。つい先ほどまで人間だった仲間たちと、リヴァイは戦わなければならない。彼は一瞬、仲間たちの人間だったときの顔を思い出します。でも、その後...静かに迷いを鎮め、戦いはじめる。

このとき、リヴァイの目が特徴的なんです。

仏教でいう如来の「半眼」になっている。如来の目は「三昧」といって、心を静めて乱れず集中している状態を表すんです。二元論的な善悪の判断を超えて、ただその行為に没入している状態。

そして物語の終盤、全人類を踏みつぶそうとする超大型巨人たちの目も、同じ半眼になっています。

リヴァイと超大型巨人はいってみれば敵味方の関係ですが、でも内面の状態には共通点があったのではないかと僕は解釈しました。

どちらも善悪の判断を超えて、自分に与えられた役割を全うしようとしている。そこには迷いがない。

これって、私たちの人生にも通じる部分があるんじゃないでしょうか。正しいことをしようとすればするほど、誰かを傷つけてしまうかもしれない。でも、それでも進まなければならない道がある。

もうひとつ印象的だったのが、サシャの父の言葉です。サシャは、マーレの少女兵士ガビによって殺されます。娘の敵であるガビを目の前にして、サシャの父は皆にこういいました。

結局、森を出たつもりが、世界は命の奪い合いを続ける森の中やったんや。サシャが殺されたんは、森を彷徨うたからやと思うとる。せめて子どもたちはこの森から出してやらんといかん。そうやないと、また同じところをグルグル回るだけやろう。だから、過去の罪や憎しみを背負うのは、我々大人の責任や。

この「森」というメタファーが秀逸です。私たちは森の中を生きている。でも、その森から出る方法はある。それは、大人である私たちが過去と向き合うこと。カルマを解消すること。

オッペンハイマーの時代、科学者たちは原爆という破壊的な力を解き放ってしまいました。でもいまを生きる私たちには、その歴史を受け止め、次の世代に何を手渡すのか、考えることができます。

現代には情報が溢れており、僕たちはさまざまなツールによってかなり自由に、どこにいても、情報にアクセスすることができる。

私たちには知的好奇心のままに、学ぶ自由を持っています。

歴史を知り、現状を理解し、理想的な未来をイメージする力もある。なかなかすごい時代を生きていますよね。

できる人から、過去の罪や憎しみと向き合い、受け入れ、次の世代に自由を手渡していく。そんなタイミングなのかもしれません。


まとめ

オッペンハイマーの話から始まって、進撃の巨人、そして未来について一緒に考えてきました。

オッペンハイマーは『バガヴァッドギーター』を愛読し、進撃の巨人のエレンは未来を見通し、リヴァイは自分の役割に徹した。彼らに共通するのは、避けられない運命と向き合い、それを引き受けた覚悟です。

私たち人類は、600万年に及ぶ進化の過程で、サバイバルのための本能と自我を手に入れました。その力は時として破壊的なものとなり、戦争や核兵器という形で表れてきました。

でも同時に、その破壊的なエネルギーを、創造的な方向へ向ける可能性も見えてきています。かつての兵器開発の技術は、今や宇宙開発という形で、人類に新たな地平を示してくれています。

そして何より、私たちには「知る自由」があります。歴史を学び、科学を探求し、未来を構想する。そんな特権的な時代を、私たちは生きている。

サシャのお父さんがいったように、過去の罪や憎しみ、カルマの解消は、なんとか僕らの代で終わりにしたいですね。

不謹慎と感じる人もいるかもですが、それを別に重荷と感じる必要はないのかなと思っています。次の世代に自由を手渡す仕事を面白がってやれたらいいなと思います。

そしてそれは、先人たちの智慧やこれまでの歴史を、知的好奇心のおもむくままに楽しく学ぶことからはじまるのではないか、と思ったのでした。

みなさんと一緒に探求していけたら嬉しいです。

それではまたー!

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