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もうみんな、キラキラするのやめようぜ〜ドキュメント72時間「大阪 昭和から続くアパートで」

2023年2月5日(日)🌕14.3 ☀️6:38-17:12
24:立春 72:東風解凍(はるかぜこおりをとく)

瞑想をしていると、毎日発見があったり、日常の改善が見込める時期と、なんとなく同じような集中度合いで手応えもなく、モチベーションの下がる時期がある。それは小さいスパンでもやってくるし、大きいスパンでもやってくる。

現在小さいスパンでのローな状態だ。それでも淡々とやる。そもそも手応えを求めるものではない。ここを超えていくのが最初の関門。

私が持っているのはシーバではなく十穀米なのに

録画していた『ドキュメント72時間』、1月の放送分に、久しぶりの神回をみた。始まってすぐにこれは面白い、30分では足りない、と思った。表題の、大阪住之江区「白馬荘」「乗鞍荘」「穂高荘」、築58年の集合住宅の回である。

昼間から飲んでいるおじさんたちの人間模様だったら、これまでの同番組にもあった。が、そこにあったのはただの下町人情ではなかった。悲しみを連れて歩きながらも、これが自分の人生であると、諦めにも似た全肯定をしている労働者階級の高齢者たちの「集合的な暮らし」の姿だった。

最低限住む場所があり、食べるものがあり、そして何より、ほどほどに自助しながら生きていける人の気配がある。それは、「人間関係」と呼ぶほどでもない、もっとさりげないものだ。

「もう、これでよいではないか」と私も思った。教養がない人間の末路は悲惨だとこれまで思っていたが(酒びたりの住人が多い時点でやはりそうだとも言えるのだが)、それだけではなかった。
土着とは異なる、血縁とも異なる、排他的ではない人の気配と助け合いがあれば、一階の集会所で飲んだり軒先でだべったり、焼きそばパーティーをするだけで、じゅうぶんすぎるのではないかと思った。彼らはみな、一段上にいるとすら思えた。健康を害すも害さないも本人の人生。

SNSでの表現方法だとか、ブランディングだとか、なんなら自立ですら、もう、どうでもいい。お部屋にもっと納得のいく家具を置いていこうと思って意気込んでいる自分があほらしくなった(住まいの空間は大切です)。
40代も50代もまだキラキラしようと必死でもがいている。もう、キラキラすることなんて全放棄してしまえばいいじゃないか。よほど特別な人でもなければ行き着くところはみな同じなのだから!

(とはいえ、これらのアパートには公式HPやSNSアカウントがあり、入居者募集ツイートには#貧困 #生活保護 などと入っている。何かしらのプロジェクトが絡んでいるのを感じられないわけではない)

住人たちは酔っ払いを介抱し、新しい入居者の引越しの手伝いをし、不用品を譲る。いっぽうで、足が悪くても、外の洗濯機で洗濯を終えたら、自らかじかむ手で屋上の物干し場まで運ぶ。
「誰もやってくれへんしな」と、怪我で現場仕事をやめた60代のおっちゃん(住人の中では末っ子)は自分の手で洗濯物をひとつひとつ干す。雨上がりの空は、雲間の青が泣けるほど美しい。
助け合いもあれば、とてつもなく「ひとり」でもある。
住人のうちの何人かは、年末スペシャルが放送される頃にはあのアパートにはいない気がする。それでも。

「私も最後はほどほどで、あんな感じでいいなあ、トイレは共同じゃないほうがいいけど」と思った人は多いだろう。
が、持病持ち保証人なし高齢者生活保護受給者入居可の、あれに似たもう少し衛生的な箱をつくり、一階に集会所を設け、面倒見のよい管理人さんを入れたら、あの小宇宙は作れるかというと、そうはいかない気がする。

管理人以外は、なんとなく自主的に動くこと。それを奨励したり、当番制にしたり、少しの報酬や免除が発生するようにしてしまったら、たぶん、ひとりきりであのような場所に流れ着く者にとって、もっとも避けたい足枷ができてしまうと思うのだ。すると、すべての空気はがらっと変わってしまう。ああいう終いの棲家を「作ろう」として作ることは、実に難しいのだろう。

ところで、「昭和から続くアパート」って漠然としたタイトルだなあと思っていたが、考えてみたら昭和から続く建造物は、現在築35年を越しているのだ。じゅうぶん限定的じゃないか。自分が築55年のマンションに住んでいるせいで、ちょっとマヒしている。

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