【Day3〜4】喪の仕事
9月18日(月・祝)
24:白露 72:玄鳥去(つばめさる)🌙月齢3.1 5:25〜17:45
泣いてばかりいる3連休だった。夫が出かけて戻ってきて「ただいま」というだけで泣く。だって、この「ただいま」がもう聞けなくなるのだから。
夫をどんなふうに見送るのか。おそらく金沢への引越しに伴う猫2匹の搬送をいっしょにやってもらって、1、2日新居で手伝ってもらったのち、夫だけ東京へ戻り、それから立つのだろう。
最大の喪失感は、金沢の私の新居を夫が出るときにやってくるのか(いかなる場合も見送りにわざわざ行かない前提だ。怖いから)。それとも、空港から今旅立ったという知らせが来た時にやってくるのか。
案外スンとしているかもしれない。が、おそらく一旦は「取り返しのつかないことになった」という気持ちでパニックを起こすのだろう。
いくら市内に住んでいるといっても、それぞれいろいろ大変な状況にある家族に頼ることもできず、やってくるかもしれない不眠への恐怖と、どうやってただひとりで闘うのか。猫に話しかければ話しかけるほど、きっと寂しくなる。だって猫たちにとっても、ものすごく寂しい日々がやってくるのだから。
いつも思う。もともと夫は私の世界にいなかった。30歳までいなかった。
なぜこんなにも怖いのだろう。私のPDとはまた別に、夫がいない世界はもう考えられなくなっている。好きだの嫌いだのとはおそらくそれほど関係がない。
ここのところの私は仕事も忙しくて、住まいにも不満だらけで、友達もいなくて、そして心も閉じていた。だからきっと、いちばん近い人への依存を断ち切る運を神様は与えたのだろう。
宇宙はうまくできているんだと、わかっているけれど。
連休が終わる夜、いつも精神的危機状態の時に読む『こころのヨーガ』(赤根彰子著)を手にとる。
人は依存のない状態をいつでも目指すのがよい。どんなささやかなものでも、なくても大丈夫かを確認する。だって、人は何も持たずに生まれて死んでいくのだから。一冊を通して綴られているテーマは自立だと思う。
私たち夫婦には、健康な頃には健康な頃の、病気になってからは病気になってからの景色が見えていて、きっとどちらも大切だった。
だから不安定なこれから数カ月も、きっとその時にしかない景色が見えるのだろう。
9月19日(火)
『こころのヨーガ』の効果か、早めにふとんに入れたからか、「いつもの頓服の量」のお薬でしっかり眠ることができて、ほっとする。
お薬に頼ってでも眠れるならば、そこから減らしていくことができる(私はそれができている)。よかった。怖いのは、飲んでも眠れなくなること。
朝、夫を送り出し、その後もバタバタを用意をしていると、ねこが玄関で何やらさわいでいる。その目線を辿ると、Gがいた。一年ぶりだった。
普段は蚊の鳴くような声でしか鳴かないが、侵入者は掃除機でもフロアモップでも決して許さないスイ。彼女がどうやらそいつを玄関で執拗にアタックし、動かなくなったら、ぷいと部屋に戻ってきた。
ねこ、なんて有能なんだ…!
ホトケの始末は後で夫にお願いしよう、と決めかけた時、ふと思った。
私はこれからひとり暮らしするんだぞ。15年間数々の汚れ仕事を夫に引き受けてもらっていたが、これからは猫らと私で力を合わせるしかない。
勇気を振り絞ってジェットでとどめを刺し、トイレットペーパーとほうきとちりとりでホトケの始末までやりとげた。わざと裸眼のまま。
勝ったよ、ぼく。見たろ、ドラえもん。
そう、夫は「さようならドラえもん」だ。いや、ドラえもんってむしろ猫だけど。
知人がSNSの#NOWPLAYINGで、矢野顕子の『中央線』をポストしているのを観た。
高校生の頃、金沢の通学バスの中で死ぬほど聴いた曲だ。
むろんその頃は夫は私の世界にいないし、それどころか、誰かを好きになったこともろくになかった。
私は通勤電車で『湖のふもとでねこと暮らしている』を聴いた。この曲には続編『湖のふもとでまだねこと暮らしている』もある。とにかく、猫といっしょに遠くにいるある人のことをずっと思い続けてながら、ひとりで女が暮らしている歌だ。この頃の矢野顕子にはそういう曲が多い。
夫の喪失(といっても死ぬわけでも離婚するわけでもなく毎日でも連絡をとり数か月に一度は会え、数年後には戻ってくるのだが)を除きさえすれば、金沢でひとり暮らしすることは、夢が広がることでもあるのだけれど。
あれから毎日心境が変わる。たぶん今、ものすごいスピードで喪の仕事(作業)をやっているのだと思う。
ちなみに、永瀬正敏主演のずいぶん昔の映画『喪の仕事』、今あらすじを読んでまた観たいなと一瞬思った。