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写真を撮るように文章を書く。
ふと、道端に咲く花が美しいと感じ写真を撮りたくなった。
そんな衝動が起きるように
道端に咲く花がなんだかとてもキレイに見える。なだか文章書いてみたい。
そんなことが感覚として持てるのではないかと思いまして、今日の記事を書くことにしました。
書こうと思う時
皆さんは書こうと思った時、どうしてそれを書こうと思ったかを考えたことはありますか?
どう言った答えが変えってくるかを想像してみました。
書きたいと思ったから…。
そんなシンプルな答えが最も多いのではないかと察します。もう少し深く考えてみました。
思いや知見を知ってほしいから、伝えたいから
思ったことや感じたことをまとめておきたいから
思いを忘れたくないから(反対に忘れたいから)
と理由は様々考えられます。
僕自身も書こうと思う理由の多くは
「気づいたこと」を伝えたい思い
気づきをしっかり考察したい
2つの思いが存在しています。
今までのことを考えるとそうでした。気づいたことが書きたいの衝動につながっています。
そういった気づきではなく、
写真を撮りたくなるように、文章も書きたくなる
そんな感覚があるのではないか。ということに気がつきました。
この書きたい衝動は気づきとはまるで違った感覚で、まだうまく言葉に表現することができていません。
今の時点では写真に例えるのが最もわかりやすい感覚でして、そう書いていますが、もう少し詳しく考えてみることにします。
写真を撮りたくなる時
写真を撮りたくなる時ってあるんです。
ここで注意すべきは
被写体があって写真を撮るというものではないことです。いわゆるフォトジェニックな場所(写真映えのようなもの)や観光地、他にも目の前に料理が出されてスマホで記録として撮っておこうというような場合です。
これは被写体に撮らされたと表現したりします。
ファッションでも服に着られているなんて表現をしたりしますね。それと同じことです。
そうではなく
偶然目にしたものがドラマチックに見えたとき。そう、道端に咲く花がいつもは何でもないものなのに、たまたま通りがかったら光がとてもキレイに花に差し込みキレイに見えた。あぁ写真撮りたい。
というように感情が先に動くような時です。
もう10年以上、写真を生業としてきた中で、写真を撮りたい感覚というのはだいぶ研ぎ澄まされてきました。
書くことでもこう言ったことが起こり得ると思ったんですね。
今まで書くことは「被写体があって写真を撮る」ような視点で書いていました。
僕は気づいたことを書くネタにすることが多いのですが、ネタを用意して書いていくため、これは被写体を用意するに似ています。また、まだ書いたことはありませんが、読書感想文や何かのレビューなども「被写体があって写真を撮る」に入ります。
そうではなく、書くにも「感情が先に動いて写真を撮る」と同じ視点が存在しうるのではないかと思い、今そのための試みを考えているところです。
日常の中に隠れている「感情が先に動く」ような出来事。そんなものを見つけ書けたらいいなと。
身近に目を向けた「書く」
「書く」という視点で身近な何気ないことに目を向ける。
書きたいと思える題材を探すのではなく感じる。
実際に書いてみる。
これをグルグル続けていけば、題材を見つける洞察力が鋭くなっていくのではないかと思っています。これはいつも写真でやっていることですが、書くでもやってみようと。
今はまだ、言葉として、文章として、形として、何も提示するものはありませんが、この「感情が先に動く題材探し」はこれからきっと面白い方向に進んでいくと思います。
なんでも無いような日常が、カメラを持つことで視点が広がるように、書くことでも日常の視点が広がっていくから。
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