100以外は0という思想が拭えない理由
今でこそ自分の思想が100以外は0、完璧以外は全て失敗という思いが少し薄れた気がするのだが、長年この思想が拭えずに苦しんでいた。
その理由は今になってだんだんわかってきた気がするので、子育てに役立てたいと思う。
遊びの中で培われる成功体験
2歳の誕生日に貰ったこのパズル。娘はトトロが大好きでたまに一緒に遊んでいるのだが、このパズルで遊ぶ中で私が褒めるポイントは幾つかある。
(本体からパズルを)上手に外せた、描いてあるものの名前がわかった、はめる場所がわかった、パズルの向きが揃えられた、全部はめられた、、褒めるポイントは細かく分けてたくさんある。
しかし、ふと実母と娘がこのパズルで遊ぶ様子を見ていて気づいた。娘が場所はあっていて向きが違うようにはめようとしていたら「それは違う」と訂正していたのだ。
そして母が正しい向きではめなおした。
2歳半にもなっていない娘にそこまで要求するのは難しいのではないか…?
そして間違っているというより惜しい!と伝えたほうが否定された気にならずやる気が出るのではないのか?
いろんな想いが私の中で渦巻いた。
完璧にできていなければそれは間違い?
それは大人には当てはまることもあるだろう。仕事において求められることはよくあることだ。
しかし、2歳半の娘にとって完璧にできることが大事なのではない。
挑戦したこと自体が賞賛して良いことだと私は思う。
しかし、幼い頃の私はそういう褒められ方をしたことが無かった。
「これは違う、これが正しい。」
白黒はっきりした教えの中で、私は完璧以外は無意味なものと思うようになっていった。
結果が全てではない
私は娘に結果だけが全てじゃないと教えたい。だから、今から挑戦したことに対して、小さな成功したことについて、褒められるポイントを見つけてはその都度伝えている。
結果が伴わなかった時でもその過程は無駄ではない。次にまた生かせばいいのだ。
これから幼稚園という新しい社会に踏み出して色々挑戦していく娘。ずっと見守ることはできないが、家で話してくれたらその時はその場にいたかのようにたくさん褒めたいと思う。