Garden Cities Of To-Morrow
東京オリンピック選手村を改修した「晴海フラッグ」は、東京都が総事業費約540億円をかけて、道路などを整備し、11の事業者がファミリー層向けの分譲マンションなどを建設しました。今年の1月から入居が始まった「サンビレッジ」という街区についてNHKが部屋の所有者を調べたところ、全体の4分の1以上が法人名義で取得されていたそうです。東京をはじめ都市部ではマンションが高騰するなかこうした部屋の多くは、投資用として賃貸や転売に出されているとみられ円安からくる資材の高騰も相まって都市部を中心に住宅価格が高騰しています。この住宅高騰対策の一つとして団地の再生が言われています。今回は団地の再生がこれからの地域社会を考えるモデルケースになるのではという考えから団地について勉強していきたいと思います。
団地の成り立ち
住宅を単体ではなく、まちづくりや住宅地全体で捉える考え方で、100年以上前の1902年にイギリスの近代都市計画の祖エベネザー・ハワードが「明日の田園都市」で提唱したのが初めてとされています。日本においては1919年の旧都市計画法施行令に都市計画事業として「一團ノ住宅経営」として記されていたのが現在の「団地」の語源だとされています。1955年には日本住宅公団が設立され、1960年代には地方公共団体の整備したものを含めると約100万人が集合住宅に入居し「団地族」という言葉が話題になりました。1970年代になると都市部の土地の高度利用がはかられ、超高層化をはじめとした都市部の大規模開発が行われた。また、地方においても低層集合住宅も多数誕生し、住宅棟を独特な景観と居住空間で形成した準接地型低層公営住宅が建築されるようになった。セットバックテラスとスキップ構成で住みやすさを生み、風土にマッチした景観と大小の中庭や路地状の階段を設けるなど、コミュニティの場となる屋外空間を特徴とした水戸市にある県営6番池団地は準設置型の代表的な例として知られています。住宅戸数が世帯数を上回り、1世帯1住宅が達成し、1980年代になると住宅政策において内需拡大のために持家支援促進がはかられ公営・公団は減退局面を迎えました。
社会問題としての団地
日本が超高齢化社会に突入し始めた2000年代になると団地は建物の老朽化と居住者の高齢化により団地は社会問題として注目されることになりました。老朽化した団地の建て替えや高齢者の孤独死だけではなく、リーマンショックによる住宅購買意欲の減退、総人口が減少に転じたことによる空き家問題など様々な問題が注目されるようになりました。現在全国には2900余りの集合住宅や住宅団地が存在しそのうちの約半数が東京・大阪・名古屋の大都市圏に集中しています。建設が古い高経年の住宅団地は社会全体に比べて高齢化率が高く、今後一層深刻化することが予想されています。これに対して6割以上の市区町村が団地の問題意識をもっており3割が何らかの対策を実施または実施予定としています。しかしながら人手不足などの要因から取組みを出来ない市区町村が多くあります。
団地再生の取組み
団地再生の取組みは全国で行われており、民間のノウハウを活用した公民連携による建て替えを行う東大東市の「morineki プロジェクト」や、駅前の活性化を重視し「響き合うダンチ・ライフ」を掲げ、子育て世帯に訴求する間取りやコミュニティ支援を行っている堺市の茶山台団地、建て替えなどのハード面の整備だけではなく地域医療福祉拠点化というソフト面も重視した柏市の豊四季台団地など個性的な取組みで団地再生が行われています。こうした背景には、団地再生は様々な要素が相互に関係した問題で一律の解決策を講じることが困難で、かつ長期的に取り組まなくては解決できないことにある。しかしながら、こうした大規模団地はまちづくりや住宅地全体で捉えられ形成されているというその特性から、老後の暮らしやすさ、子育て環境の実現、親子世代の近居、住宅の多様性、若者からの支持・共感の獲得がしやすいというメリットがある。人口減少時代を迎えた日本にとって団地再生は様々な社会問題を解決する糸口になると思います。
おわりに
ハワードの考えていた「田園都市」とは、都市と農村の優れた機能を併せ持ち、住民の経済的、社会的、文化的な生活を満足させる新しい都市とされています。名前から想像される牧歌的な郊外住宅地ではなく、現代においては既存の団地を地域の実状に合わせて再構築しハイテク都市として再生させた団地を指すのではないでしょうか。
おまけ
東京オリンピック選手村の跡地も将来的には老朽化や住民の高齢化と言った問題が浮上することが予想されます。その時の良いリーディングケースとなるように、この問題はしっかりと取組むことが現代人の指名なのかもしれません。