帯叩きにポジティブな人は道場と自分が一体化しがち
昇帯のとき「帯叩き」と呼ばれる儀式があります。最近はあまりやらないかもしれないですね。昇帯は上達の証ですからとても嬉しい。それをちょっと手荒にお祝いするのが帯叩きです。
帯叩きってどんなの?
帯叩きでは、下に動画のように、ずらっと並んだ人が昇帯する人をバシバシ帯で叩きます。私が所属する道場ではやらないのですが、出稽古に行ったとき帯叩きに立ち会ったことがあります(私は叩きませんでしたが)。まあ、痛そうですね。
帯叩きはファビオ・グージェウがはじめたという話があります。他にも諸説ありますが、遊びでやったら意外に盛り上がったという話のようです。
厳しい儀式の心理的影響
世界中を見渡して、儀式のない社会はありません。日本は、結婚式とか卒業式とか入社式とか儀式が好きですよね。小さい頃は、七五三、歳をとると還暦など儀式にはこと欠きません。
古くから危険だったり、痛かったりする儀式がいろいろ行われてきました。南太平にあるバヌアツのバンジージャンプとかが分かりやすいですね。こういう儀式により所属集団への忠誠心、自分自身がそのメンバーであることへの意識、その集団に対する評価などが高まることが知られています。忠実な構成員になるんですね。軍隊における新兵の訓練が厳しいのはそういう理由もあります。映画「フルメタルジャケット」はその厳しさと異常性を描いた映画でした。
帯叩きに関する調査
帯叩きも、言ってみればバンジージャンプのような厳しく痛い儀式です。Kavanaghたちは、帯叩きが道場への所属意識や態度をどのように変えるのか、734人を対象に調査を行いました(Kavanagh et al., 2019)。黒帯から白帯まで様々な人が調査に参加し、平均年齢は31歳、95%が男性、ほとんどがアメリカとヨーロッパの人でした(調査が英語で行われたため)。
およそ半分の人に帯叩きの経験がありました。ただ、この経験の有無によって、道場に対する忠誠心や、所属意識などに違いはありませんでした。
ただし、帯叩きをどのように捉えているかによって、道場の自分に与える影響が異なることが分かりました。具体的には、帯叩きの経験をポジティブに捉えている人ほど、道場が自分のアイデンティティの中心にあることが示されました(注1)。「私は道場と一体だ」とか「私は誰よりも、道場のためにベストを尽くしている」とか「私が道場を強くする」といった項目に肯定的に回答するほど、道場が自分のアイデンティティの中心にあると評価します。加えて、帯叩きをポジティブに捉えているほど、時間やお金を多く道場に投資することも示されました。
帯叩きはなぜ行われるのか?
帯叩きのような厳しい儀式は、集団のメンバーに対し痛みや苦しみに耐えられる覚悟や忍耐力を示す機会になります。結果として、それが信頼できる人の証となる場合があるのです。帯叩きをポジティブに捉える人は、その傾向が強いのかもしれません。だからこそ、その人にとって道場が重要なものになり、多くの時間やお金を投資することになるのでしょう。
なお、帯叩きを経験した人は、この調査でおよそ半分でした。調査は2012年ごろに行われたので、現在ではその比率はさらに下がっているでしょう。それでも、ブラジリアン柔術は世界中でますます盛んになっていますから、帯叩きがなくとも、柔術に時間とお金を投資する人はたくさんいることは間違いありません。そういう意味でも、私自身は、帯叩きはやらないで良いかなと思っています。
引用文献
Kavanagh, C. M., Jong, J., McKay, R., & Whitehouse, H. (2019). Positive experiences of high arousal martial arts rituals are linked to identity fusion and costly pro‐group actions. European Journal of Social Psychology, 49(3), 461-481.
(注1)ここで測定されたのは「アイデンティティ融合(identity fusion」という概念です。所属集団と自分が一体化する程度のことを指します。
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