なぜ経験者はすぐテクニックを覚えるのか?
最近、印象的な柔術テクニックのメモをツイッターで見ました。
絵がうまいですね。すぐに何のテクニックかわかりました。このツイートに今なら「テクニカルスタンドアップ」と書けば済むと書いてある箇所があります。絵を含んだ詳細なメモが1単語で済むようになる。これが本日のテーマ「なぜ経験者はすぐにテクニックを覚えられるのか?」です。
チェスや振り付けの記憶
チェスの上級者と初心者にチェス盤に置かれたコマの位置を記憶してもらった研究があります(Chase & Simon, 1973)。20個を超えるコマの位置を正確に覚えるのは至難の業に思えますが、上級者はなんなくこなせるようです。一方、初心者にはかなり大変です。
対戦におけるコマの配置を一瞬見せ覚えてもらうと、上級者は平均16コマの位置を思い出せたのに対し、初級者ではたった4コマでした。上級者は4回に3回は配置を完璧に覚えていたそうです。
ただし、上級者が正確に覚えられたのは、実際のゲームのコマ配置のときでした。デタラメにコマを配置すると、上級者も初心者も同じ程度しか覚えることができませんした。
同様の結果は、バレエの振り付けでも確認されています(Starkes et al., 1987)。バレエの上級者と初心者に、実際にある振り付けとデタラメな振り付けを見せて、踊って再現してもらいました。チェスの記憶と同じように、実際にある振り付けでは、上級者は初心者に比べ圧倒的な正確さで踊りを再現できました。しかし、デタラメな振り付けでは、ほとんど思い出せず、初心者と同じくらいしか再現することができませんでした。身体の動きを再現する場合にも、チェスと同じように経験によって大きな違いが出ることがわかります。
経験を積むと楽に記憶できる
初心者がテクニックを習うと一挙手一投足、つまり、すべての動作を細かく具に記憶しなくてはなりません。一方、経験者はいくつかの動作をまとめて記憶できます。上手くまとめることができると、人間は沢山覚えることができます。
例えば、nh, kd, na, ib, mn, ecという一見無意味に見える文字列を覚えるのはなかなか大変です。しかし、これらを、nhk, dna, ibm, nec(NKH, DNA, IBM, NEC)という馴染みのあるまとまりにしてみましょう。同じ文字数ですが遥かに容易く覚えられます。これをチャンク化と呼びます。経験を積むとこのチャンクをうまく作ることができます。チェスの上級者になると50000以上のコマ配置がチャンクとして記憶されています(Gobet & Simon, 1996)。
Xガードを例に考えてみる
経験を積むと体の動き、柔術のテクニックや動きもチャンクにすることができます。上で紹介したツイートの例からわかるように、経験を積めば「Xガード」と「テクニカル・スタンドアップ」という2つの組み合わせだけで、複雑な動きを記述できます。一方、初めて経験した人には膨大な情報量になります。例えば、Xガードだけでも、
1. 自分の体を相手の足の間に入れ
2. 自分の頭を相手の左足の、自分の脚を相手の右足のあたりに位置させる。
3. 自分の右足首を相手の右足鼠蹊部につける。
4. 自分スネの内側が相手の臀部につける。
5. 自分の左足を相手の右足膝裏に引っ掛ける。
という感じになります。これでも不正確かもしれません。ともあれ実は膨大な情報量であることはわかっていただけると思います。初めての人ならできなくて当たり前ですね。たいへんです。
まずは慣れましょう
経験者がその日に習ったテクニックをスムーズにできるように見えるのは、同じテクニックや似たようなテクニックを習ったことがあるからです。10回目、20回目なんてことも決して珍しくはありません。だから経験者の頭なかにはたくさんの動きがチャンクとなって入っています。そして、それらの動きが体に染み付いています。
体の動きは、ただ覚えるだけではなく、適切な加減でコントロールしなくてはなりません。それが、数学の公式や漢字を覚えたりすることと全く違うところです(これらは単に思い出せば良い)。ただし、身体動きに関する記憶には良い部分もあります。そのへんの話を別の記事に書いたので興味がある方はお読みください。
ここでも簡単に書いておきます。良い部分の一つとは、自分が覚えている気がしなくてもいつの間にか身についていることです。また、一度覚えるとなかなか忘れません。これは、体の動きが手続き記憶という、通常の記憶(例えば、昨日の夕食は何かとか)とは違う種類の記憶だからです。そんなわけですから、習うより慣れろでやってみるのが良いと思います。続けているといつの間にか習ったテクニックをすぐに再現できるようになっているはずです。
柔術の良いところは指導方法がある程度確立しているところです。インストラクターの指導を受けながら続けていれば、必ず体は動くようになってきます。進歩のスピードは人それぞれですが、続けていれば3ヶ月前と比べるとはるかに上達し、知識も増えているはずです。
引用文献
Chase, W. G., & Simon, H. A. (1973). Perception in chess. Cognitive psychology, 4(1), 55-81.
Gobet, F., & Simon, H. A. (1996). Recall of random and distorted chess positions: Implications for the theory of expertise. Memory & cognition, 24(4), 493-503.
Starkes, J. L., Deakin, J. M., Lindley, S., & Crisp, F. (1987). Motor versus verbal recall of ballet sequences by young expert dancers. Journal of Sport and Exercise Psychology, 9(3), 222-230.
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