「恋せぬふたり」が生まれてくれて
今季冬ドラマの「恋せぬふたり」はアロマンティックアセクシャルがテーマになっている。
「アロマンティクは他者に対して恋愛感情を抱かない」
「アセクシャルは他者に対して性的感情を抱かない」
広義の意味はこんな感じだ。
私はこれまでnoteや他SNSの一部の人にアロマアセクであることを打ち明けたことがある。
アロマンティックやアセクシャルという言葉を知らない人がほとんどだったが全ての人はアロマアセクという言葉をとてもあっけなく受け入れてくれた。
「そういう人もいるよね。」
暖かい言葉をもらって嬉しかった。存在を認められた、そう思った。
けれどしばらく経つうち私の中に小さな違和感と消化不良の感情が残っていたことに気がついた。
当番の学生に毎日掃除され綺麗なはずの教室の隅にはゴミが溜まっている。そのゴミが後になって気になりソワソワと仕方ない気持ち。
嬉しかった言葉に不満足を覚える自分を、なんて傲慢なんだと責めた。
恋愛感情がないだけ、性的感情がないだけ、それは変じゃないと認めてもらえたのにどうしてやるせなさが生まれるのか。
その答えは「恋せぬふたり」の第一話をみた時にわかった。
第一話では主人公のさくこがアロマアセクを自認するまでを描いている。
私にとっては、嫌な記憶を思い出し過呼吸になるほど辛いものだった。
けれどこの辛さを彼らは多分知らない。
現実世界で「セックスをするパートナーはいらない、結婚願望はない、恋愛がよくわからない」と言えばどんな言葉が返ってくるのか・その返事にどんなふうに苦しむのか、ことさら家族に言ったらどんな波乱が待っているのか多分知らない、もしくは解像度が低いのだ。
彼らにとってそれらを知らないことは当たり前である。
そもそもこれまでは知る術が非常に限られていたからだ。
一部の書籍や当事者談によるネット記事、SNSによる発信。
手段は様々あれど、当事者以外にはなかなか届きにくいコンテンツであることもあいまってこれらの認知度は高くはなかったはずだ。
私は多くの人が持っているだろう恋愛感情・性的感情をドラマや漫画、小説から知った。
だからこそ「恋せぬふたり」はアロマアセクバージョンとしてこのような役割を担えるだろうと期待している。
「アロマンティクは他者に恋愛感情を抱かない・アセクシャルは他者に対して性的感情を抱かない」という一文だけでは語れないアロマアセクから見える世界を知ってくださる方がいればとても嬉しい。
松澤