私たち、不思議で不定性

私に出会った時に何故だかわからないけど魅力を感じてくれる人がいます。

よくわからなそうな顔をしてそれでも近寄ってくれる人がいます。

逆も然りです。
私が他の誰かにそう思うこと多々あるのです。

それはファーストインパクトに得る何か。
放つ雰囲気、発する言葉の香り。
本当によくわからない顔をして、何かに期待して話しています。

私の中にある何か、注釈をつけるように解説していきます。

でもそれは実は私にもよくわかっていないのです。

よくわからないことを解説しようとして、あれでもないこれでもない、ないことの証明を続けていくといくつかの問いを見つけていきます。

その問いを応えるために削り磨き、核のようなものが見え隠れし始めた時にはもう過ぎ去る季節。

ついに答えを見つけたとして、それはよくわからない何かの断片で結局不可思議な私が新しい問いをもたらします。

そんな出来事を重ねて少しは何かかわかったような気がしますが、それでも空気を手繰るような感覚のまま宙に漂う何か。

あと十数年積み上げれば少しはわかるでしょうか。そもそもわかるとはなんでしょうか。削り削られ彫刻になった何かは私でしょうか。

多分正解は私であり、私ではない、一生付き纏う己なのでしょう。

溺れる、が浮かびます。

溺れながらたどり着いた島はきっと目的地ではなくてしばしの休憩の後、地図にない島へ旅に出ます。

一つの時間軸の中でたくさんの残心と花を携えて振り返る道が光となるように、未来に期待はしないのに未来だった過去が心の支えになるような今日この頃です。

一体何について書いているのか、わからないまま筆を進めここまできました。

この文章もまたいつかの未来に過去をたぐる目印くらいになることを願っています。

良い夢を、良い夜を。

松澤

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