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Loveの整理がつかない人に

私はLoveの整理ができていない。
薄々このことに気がついてはいながら、これでもいいんだと放置して過ごしてきました。

なぜって?
Loveの代名詞である恋愛を理解できないままだからです。
「恋人」という言葉が頭にちらつくので「君は誰だ」と尋ねても名前をいってはくれません。
君がどんな存在なのか知らないから必要ない、まあいいやと通り過ぎると、今度は私の周りをうろつくんです。

どうして私の前に現れては消えていくのでしょうか。
この神出鬼没な「恋人」の謎を解き明かしたい。

これが文章をまとめるきっかけでした。

恋愛がしたいのではないです。
今ある「恋」の位置付けをはっきりとさせたいのです。

これは私にとっての「特別な人」「友人」「親友」そして「恋人」。
彼らがそれぞれどんな存在で、彼らに対して何を求めるのか、今後の人間関係を整理するために「Loveの整理がついていない私」が彼らの正体をまとめてみた記録です。

先に注釈をつけますが、私の感性は少数派です笑
故にみなさんが思うLoveとは随分異なる考えが出てくるかもしれません。
その時は静かにnoteを閉じ、見なかったものにしていただけると幸いです笑



皆さんの大事な人にはどんな名前の関係性がついているのでしょうか?
私の人生でとても重要だった人間の関係性は3つです。

「特別な人」と「友人」と「親友」

(他にそこそこ登場した関係性は「先輩」「先生」「彼氏」「知人」などでしょうが今回は重要な関係に絞ってまとめたいので割愛します笑)

彼らは私にとって、とにもかくにもI love youです。
「特別な人」「友人」「親友」全員まとめてI love youなのです。

これだとあまりに抽象的なので、詳しく私なりの彼らの解釈についてまとめます。

まず、「特別な人」について。
彼らは姉や家族です。これは多分一生変わらないはず。
生まれた時から私の分身のようにあたりをずっとうろついている存在。

「友人」は私の人生の中で出会った大切な人たちのことです。
幸せになってほしい、心の底から。
私という存在が彼らにとって必要である限りそばにいるし、もうその関係性を卒業したのなら、私は離れていっても問題はない。
ただ、私が相手に求めている境界線を飛んでこられるとどうしても目をそむけたくなってしまうのが友人でもあります。
これは私にとってはそれが「特別な人」であるからで、逆説的に友人は「特別な人」ではないのです。

最後に「親友」についてですがこれがかなり厄介です。
なぜなら「親友」とは特別な人と友人の境界線にあり、私が手放せなくなった人たちであるからです。
「親友」とは心に残り続ける結果であり、実際にその人との距離が開いてからしかわからない。
なのでずっと心の中で一人でに話し続ける亡霊ともなりえて、親友という言葉が好きではない所以であります。
どれだけ時間が過ぎても記憶が擦り切れていっても、あの時の「親友」は忘れることがなくずっと私に居座り続ける。
一緒に飲んだアルコール瓶をずっと卓上に残しているような感覚。
その関係が心地いいわけではないのですが、でも手放せないのです。


そうしたときに「恋人」とはなんであろうかと考えます。


「友人」から「特別な人」になったら、「恋人」になれるのだろうか。


でもそうすると「恋」とはなんであろうか。


恋がその人が目の前にいなくとも思い浮かべてしまうような感覚をいうのなら、私の世界に「恋」は溢れている。(特別な人や友人や親友などがいる)

しかしラブロマンスの渦中に巻き込まれたい状況を指すのなら、私の世界に「恋」はない。(恋愛がわからないのだから)


「恋人」が「友人」や「特別な人」と異なる言葉を意味する場合、「恋人」という言葉はずっと未分解のまま漂っていて、「恋人」がなにかしらの関係性の連続や互換性のあるものなのだとしたらいまだに「恋人」と分類できるような関係性になれる人に出会えていないだけかもしれない。

今度はLoveとは何かを考えます。
実はこれ、私の中では答えが決まっていて「Love = 一緒にいたい」なのではないか、と思うのです。

だとすると、「友人」「親友」は一緒にいたいし、多分「恋人」だって一緒にいたい関係で、「親友」は一緒にいたかったけれどそれが叶わなかった人であり、表すなら失恋みたいなものです。


こんなことをまとめていくと、とても気持ち悪い関係性の構造が浮かんできます。
私は「友人」に恋をしていて、失恋すると「親友」となる。
「特別な人」はその特別性を自覚して一生人生に絡まってくる存在でありながら、「恋人」と定義することはできない。

なんじゃこりゃ。と思いながら、これまでの私の主張を簡潔にまとめるとこうなってしまうのです。

多くの人が考える人間の関係性と大きくズレていることでしょう。

そしてこの認識を誰でも認められる言い換えをするために私は「愛」を用いてしまうのです。


この世には愛が溢れていて、そこに私は溺れているだけなのだと。


そしてそこから掬い上げてくれる誰かがきっと「恋人」になるのでしょうか。

溺れる私を助けるために急に現れては消え、朧になってはまた姿を現す。
ただただ彼らは漂っているだけのようにも見えます。


これから私は「恋人」に出会うことができるだろうか、、
そんな普遍的な悩みに頭をもたげさせる最近です。

松澤



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